ep31. リアナの本音

 甘い匂いがする。

 ソウリの香水のような、カイリの研究室に初めて入った時のような、甘ったるい纏わりつくような匂いだ。

 体がぞわぞわして、頭の芯が痺れる。

 息をするだけで、甘い吐息が漏れる。


「ぁ……はぁ、はぁ……」


 うっすらと目を開く。

 天蓋付きのベッドだ。こっちに戻って、最初に見たのもこんな風景だった。あの時は、隣にセスティが寝ていた。

 手が動かせないと思ったら、手枷を嵌められ頭の上で拘束されていた。

 誰かの手が、カナデの頬をそっとなぞった。

 それだけで、体が小さく跳ねる。


「せ、す……?」


 口が回らなくて、言葉も巧く出てこない。


「第一声で聞きたい名前じゃないな、カナデ。こういう時は、僕の名前を呼ばないと、ダメだろ?」


 声の方に何とか顔を向ける。

 一瞬、カイリかと思った。しかし、表情はまるで別人だ。まるで無害な善人の笑みは、見慣れた義兄の顔だった。

 隣に寝ていたソウリがカナデを眺めて微笑んでいた。


「ソウリ、にいさん」

「そう、僕を呼んで。これからは僕の名前しか呼べないように、ちゃんと躾けてあげるからね」


 顎を掴んで、唇が重なる。

 甘い香りが流れ込んで、気が遠くなる。


「今すぐ僕のものにしてしまいたいけど、まだやることがあるからね。セスティを殺したら、ゆっくり僕だけのものになろうね、カナデ」


 項をゆっくり撫でられる。弱い刺激が体をめぐって腹の奥が疼く。

 唇が触れたまま話されると、振動で余計に感じてしまう。

 熱い唇がぴたりと重なって、舌が溶け合う。


「もっと舌を絡めて、カナデ。自分から僕を貪って」


 言われるままに、舌を絡めて唇を噛む。

 恍惚な表情をしたソウリが、カナデを見降ろした。


「あぁ、早く犯してしまいたい。けど今は、ね。リアナ」


 名を呼ばれて、リアナがソウリに歩み寄った。

 目が虚ろで、まるで自分の意志などない人形のような表情をしている。


(リアナ、やっぱり一緒にいたんだ。なんで言いなりに……、魔法か何かで操られているのかな)


 ソウリがベッドから降り、リアナを後ろから抱き締めた。


「カナデの発情でリアナも発情期ラットの状態になれるよ。抑制剤を飲んでる僕でも我慢が辛いくらいだ。カナデをいっぱい可愛がって良いよ。したくても出来なかったこと、沢山してあげるといい」


 ソウリがリアナの背を押した。

 前にのめる形で、リアナがベッドに乗る。


「カナ……愛していますわ」


 カナデに馬乗りになり、うっとりと顔に見入る。

 唇に指を滑らせると、自分の唇を重ねた。


「っん……ふぁ……ぁっ」


 無心でカナデの唇を貪るリアナを、ソウリが満足げに眺めている。


「そうやってカナデを汚して、君も汚れてしまえばいい。これ以上、兄さんばかりが欲しいものを得るなんて、許せないからね。リアナがカナデを汚したと知ったら、セスティ皇子は、どう思うかな。楽しみだね」


 カナデを貪るリアナを確認して、ソウリが部屋を出て行った。


「っ……はぁ、はぁっ」


 リアナが大きく息を吸って、吐き出した。


「カナ、カナ、ごめんなさい。今、抑制剤を……」


 震える手が隠し持っていた抑制剤を取り出す。

 カナデの腹に、細い針を刺し、薬を注入した。


「リ、ア……。何があった、どうして、こんなこと」


 まだうまく言葉が出ない。

 自分にも抑制剤を打って、リアナが蹲っている。その体は小刻みに震えていた。


「呪詛が、完全に解けませんの。今は、何とか保てているけれど、またすぐに」


 荒い息を噛み殺しながら、リアナがカナデの手枷を外す。


「呪詛って、誰に? 何で今、平気なんだ?」

「ソウリに掛けられた呪詛ですわ。今は、カナが傍にいるから、何とかなっていますの。その前はシャルロッテが助けてくれて、でも」


 リアナが体を抑えて、蹲る。

 

「リア、大丈夫か」

「触れないで! まだ、抑制剤が効いていませんの。押し倒してしまいそうですわ」


 触れようとしたカナデの手が止まる。


「でも、俺が傍にいるから、呪詛が何とかなっているんだよな」


 リアナが余裕なく頷く。

 

「カナは早く逃げて。ソウリはセスを殺して、カナも殺す気なんですわ。魂の番を殺して、神殺しを企んでいますのよ。この場所と奴らの目的を、皆に伝えて」


 必死に訴えるリアナの言葉に、息を飲んだ。


(神殺し……。人間至上主義の集団って聞いてたけど、そんなことしたらこの国が亡ぶのに。それに今、リアは魂の番って)


 人間が運命の番と呼ぶものを、精霊や守護者たちは魂の番と呼ぶ。リアナもきっと、の人間なのだと、直感的に思った。


(俺やセスの周りには、守ってくれる人たちがたくさんいる。その人たちを蔑ろにするのは、神子としては絶対に間違いだ)


 カナデはリアナに手を伸ばした。

 震える体を正面から抱き締める。


「何をしていますの。まだ抑制剤が効いてないって言いましたのに」

「こうしていたほうが、リアの呪詛を留められるんだろ。リアだけおいて逃げるなんて、俺には出来ない。一緒に逃げるんだ。動けるようになるまで、こうしていよう」


 リアナの抵抗する腕の力が弱くなる。

 迷った手がカナデの背中に縋り付いた。


「私、ずっとカナを愛していましたのよ。でも、セスとカナが睦み合っている姿を見ているのも幸せで、カナが戻ってきてから、二人が何の遠慮もなく愛し合っている姿を見て、すごく嬉しくて、でも、辛かった……」


 カナデに抱き付いて、リアナが泣きじゃくる。

 こんな姿のリアナを見るのは、初めてだった。


「うん、俺も、リアもセスもどっちも好きだった。だから、本音を言わないと決めたんだ。こっちに戻ってからの、記憶がなかった俺は、全然気を遣えてなかったよな。ごめんな」


 リアの髪をゆっくり撫でる。


「そんな気遣い、要りませんわ。カナはセスと幸せになっていればいいんですの」


 その発言は、とてもリアナらしいと思う。

 少しだけ、可笑しくなった。


「じゃぁ、リアは? 俺たちはリアを置いて、神元に上がらないといけないんだ。リアだけ残して、いなくなるんだ」


 いつも三人一緒だったのに、リアナだけを人の世において、自分たちは時間の流れすら違う場所に行く。

 それはカナデにとって、とても気掛かりだった。


「心配、要りませんわ。私にも、すぐに迎えが来ますもの……」


 リアの声が、途切れ途切れになって、首ががくりと落ちた。


「リア? リア!」


 上がった顔が、カナデに迫る。

 唇が重なって、貪られる。


「んっ……ふぁ、ぁっ……」


 強く体を押し付けられて、座していた体が倒れ込んだ。

 リアナに押し倒される形になる。

 馬乗りになったリアナがカナデのシャツのボタンを外す。


(これってまた、ソウリ兄さんの呪詛のせいなのか。目に全然意志がない)


 愉悦に笑む表情はどこか抜け殻で、リアナの目ではない。


「カナ……、カナ。私と気持ちよくなりましょう」


 鎖骨を食まれて、体がビクリと震える。

 部屋の扉が開いて、ソウリが現れた。


「あれ? カナデの手枷、外しちゃったのか。まぁ、いいや。こっちの準備は整ったから、二人とも、おいで。リアナ、良いとこを邪魔してごめんね」


 リアナがカナデから離れて、ソウリの元へ向かう。

 ソウリがカナデを起こして、シャツのボタンをとめた。


(どうしよう。ソウリ兄さんが命令すれば、いや、近づいただけですぐ呪詛が戻っちゃうんだ。俺が傍にいるくらいじゃ、ダメなんだ)


 ぐぃと顎を掴まれて、強引に口付けられる。

 いつもの花の香りが流し込まれて、頭がくらりと痺れた。


「リアナは悪戯が過ぎるね。カナデはちょっと発情してるくらいの方が使い勝手が良いんだ。男女問わず無条件にアルファを誘うオメガの、一番正しい使い方だよ。覚えてね、リアナ」


 頷いたリアナに、ソウリが口付ける。


「さぁ、行こうか。楽しいパフォーマンスの始まりだ」


 カナデの手を取って、ソウリが部屋を出る。

 何を言われているのかもよくわからないまま、カナデは一緒に歩き出した。

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