ep13. 完璧皇子の憂鬱
セスティは王城の広い廊下を一人、足早に歩いていた。カナデとマイラが戻り、アルバートが目覚めた。状況は確実に動き始めている。
急がなければならないと思っていた。
「兄上、兄上! 兄上ってば、聞こえていますか!」
背後から声を掛けられて、セスティは思考を止めた。振り返ると、ティアラが足に纏わりつくようにセスティの服を摘まんでいた。
「ティア、目上の人を後ろから大声で呼び止めるのは、マナーとして正解かな?」
ティアラに向かい、身を屈めて目を合わせる。
乱れた襟元を整えて、ポンと胸に手を置いた。
庭で木登りでもしていたのだろう。弟のティアラはまだ十歳で遊びたい盛りな上、遅くに出来た子のせいか両親も甘やかし気味だ。
「ごめんなさい。でも、久しぶりに兄上の姿をお見かけしたから。近頃はお忙しいと城を空けがちですし、会えないのが、寂しいです」
カナデが戻って以降、やることは山積みでティアラに構ってやる時間はなかった。正直今も、そんな暇はない。
かける言葉に困っていると、後ろから知った顔の大人が二人、歩み寄った。
「ティアラ皇子殿下、セスティ皇子殿下は今、大事な時期でございますので、あまり我儘を言うものではありません」
ティアラに対し、我が子のように話しかけているのは、ミレイリア家の当主バルバンだ。
「バルバン殿、いらしていたのですか。挨拶もなく、申し訳ない」
いつもの張り付けた笑顔を向ける。
「こちらこそ、御挨拶が遅れて申し訳ございません。セスティ皇子殿下におかれましては、御友人もお戻りになり、少しも気が軽くなられたのではないかと存じます。先日はユグドラシル帝国の皇子殿下もお目覚めになったとか。ご活躍ですな」
嫌味な言葉とは裏腹の屈託のない笑顔に、顔が引き攣るそうになる。
「バルバン、失礼だぞ。皇子殿下の心労を思えば、滅多な物言いをすべきではない。セスティ殿下、彼に変わり、無礼をお詫び申し上げます」
バルバンの後ろから頭を下げたのは、ノースライト家の当主サーコス、リアナの父親だ。サーコスは眉を八の字に下げて、心配そうな面持ちでセスティを見上げた。
「リアナはお役に立てておりますか? セスティ殿下にもカナデ様にも、御迷惑になっていなければ良いのですが。不出来な娘ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」
セスティの手を取って、サーコスが頭を下げる。
普段ならもっとラフに話しかけてくる幼馴染の父親だが、バルバンの手前ということで、セスティに気を遣ってくれているのだろう。
「リアナは役に立っていますよ。傍にいてくれるだけでも十分、心強い。きっとカナデも同じように感じているはずです」
「さすがセスティ皇子はカナデ様のことを良く存じていらっしゃるのですな。カナデ様とリアナ様とは幼馴染でしたか。幼馴染が婚約者というのは、さぞ心強いでしょう」
バルバンが悪びれもせず後ろから話しかける。
この男に悪気はないのかもしれないが、発言の一つ一つがいちいち引っかかる。
「ええ、本当に。助けてもらうことばかりです」
セスティはバルバンに向かい、いつも通りの笑顔を向けた。
「それにしても、カナデ様が男としてお戻りになり、本当に良かったですなぁ。ティスティーナ家に選択肢がなかったとはいえ、リアナ様が婚約者に選ばれた時のカナデ様の心境を思うと、同じ娘を持つ親としては心が痛む思いです」
「バルバン! 言葉を慎め!」
サーコスに怒鳴られ、バルバンがさっと顔色を変えた。
「サーコス様への嫌味ではないのですよ。率直な感想です。『儀式』の件を考えても、やはりリアナ様を選んだのは間違いではなかったと……」
「バルバン殿」
怒鳴らないように気を付けたつもりの声には、多少の怒気が乗ってしまった。
「私はこの後、予定があり急いでいますが、何が用向きが?」
声色を整えて、問う。
バルバンが胸に手をあてて、礼をした。
「お忙しい皇子殿下にお時間を頂けて恐縮です。この度、我が娘シャルロッテが正式にティアラ第二皇子殿下の婚約者と相成りました。今後は家ぐるみのラフなお付き合いができればと思っております。ノースライト家やティスティーナ家のようにね」
やっぱりそういう話かと思った。
弟皇子のティアラが社交界デビューした折、婚約者が決まった話は聞いていた。誰であっても同じだと思っていたが、巫の家系となると面倒だ。
ミレイリア伯爵家は
今日も行動を共にしているあたり、ノースライト家が多少の助力をしているのだろう。そのあたりの貴族の派閥は、知っていても面倒なのであまり関わりたくはない。
「シャルロッテ嬢の御歌は大人も顔負けの美しさだと聞く。まだまだ未熟な弟だが、仲良くしてやってほしい」
軽く会釈すると、足元でティアラがセスティの服を引いた。
「兄上、僕だってもう大人だ。シャーリーとは仲良しだよ。兄上とリアナ姉様のように仲の良い夫婦になるんだ」
キラキラした無垢な瞳が、セスティを見上げる。
親の計らいとはいえ、ティアラとシャルロッテは子供の頃から一緒にいることが多かった。周囲に同じ年頃の子供が少なかったせいもあるが、幼馴染といえなくもない。
(ティアが純粋にシャルロッテを好いているのが、唯一の救いだな)
セスティはティアラの頭を撫でた。
「なら、魔法の勉強も、もっと頑張らないとな。遊んでばかりでは姫を守る騎士にはなれないよ」
「わかってる! 僕、頑張るよ!」
弟の笑顔がこの場での一番の癒しだ。ティアラに向けた笑みを仕舞い込んで、大人たちに向き直る。
「では、私はこれで」
踵を返したセスティに、バルバンが声を掛けた。
「今後はこのバルバンにも気軽にお声掛けくださいませ。シャルロッテの義兄上様なのですから」
横目でバルバンの顔を窺う。
如何にも無害そうに見える顔が、吐き散らかした言葉をかえって醜く貶めている。貴族社会に良くいるタイプの野心家だ。
聞こえなかった振りをして、セスティは足早にその場を去った。
(気持ち悪い。城の中も、纏わりつく人間も、この世界の何もかもが、気色が悪い)
自分はこれからも、この気色の悪い世の中で生きていかねばならない。王族に生まれた以上、死ぬまで生きる世界は変わらない、変えられないのだ。
(考えを切りかえろ。今は、 『儀式』を成功させることだけ、考えるんだ)
まだキルリスとジンジルは見付かっていない。
次の『儀式』を成功させなければ、この国に未来はないのだから。
(未来……。『儀式』が終わった先の未来に、カナはいるんだろうか)
この醜く腐った世界で、カナデだけは美しかった。今まで女の顔で笑っていたカナデが男の顔で笑っても、やっぱり美しいと再確認した。
(絶対に守る。神様なんかにカナを奪われるものか。『儀式』を成功させて、カナも失わない。その為にこの二年、努力してきた)
けれどもし、カナデを失うことになってしまったとしたら。カナデを守る完璧な解決法はまだ見付かっていない。
セスティは足を止め、自分の手を見詰めた。何でも持っているはずの手には、何も握られてはいない。只々、空虚な思いを握り潰す。
「カナを失ってまで、この世界に守る価値があるのか」
いつの間にか止まった足は、なかなか動き出してはくれなかった。
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