死にたがり魔法使いと夢の世界

にけ

1章 どうぶつ村の依頼

episode.1 無職と神様

 鮮明に覚えている。


 家賃6万円のワンルーム。三日分の洗濯物の中に、もう着ることのないワイシャツを捨てる。

 最後に使ったのがいつか覚えていないキッチンの流しの中には、栄養ドリンクの空き瓶が散乱している。


 小さなテーブルには、空になった弁当の容器に、飲みかけの薬のシートと太いロープ。片付いていないテーブルの隙間に、新しいコンビニの袋を置く。

 カシュッと爽やかな音が静かな部屋に響く。今までの鬱憤をアルコールで流し込み、胃液でジュッと溶かすように、大量の酒を浴びた愛梨。


 いつ眠ったのかも分からず、目が覚めたらこの世界に来ていた。


 急性アルコール中毒で孤独死をしたのだと思った。死んだことに後悔はない。

 むしろ願いが叶ったことに安堵していた。はずなのに、心の奥底には暗くて、べったりとした何かが張り付いている。


 何が張り付いているのか分からないが、そんなことはどうでもいい。死んだのだから、静かになった心を楽しみたい。そう思い、気付いたら、一週間が経っていた。

 

 そんな愛梨の静かな心に、この男は、今日も簡単に踏み込んでくる。



「――と、いうわけで、君は生きる死人だ」


 目の前に立つ髪の色を左右で白と黒に分け、髪とは反対の配色をした足元が見えないくらい長いコートを着た男。ふふん、と笑いながら愛梨に話す。


「……」

「……今日も聞いていないのか?」

「……」


 実はこの男、愛梨がこの世界に来てから一週間、毎日、毎日、暇を見つけては愛梨の静寂を破っていたのだ。

 だが、愛梨は耳が機能していないのか?と思うくらい、男の話を聞いておらず、何を言ったのかも覚えていない。


「今日もか。さすがの僕も心が折れそうだ。こうなったら強硬手段で話を進めさせてもらう。職業を選んでくれ」


 職業という言葉に愛梨はぴくりと肩を揺らす。そして、膝を抱えてぎゅっと体を小さくする。

 一週間経って、ようやく違う反応をした愛梨が見れて嬉しいのか、男の口元が少しだけ緩む。


「大丈夫だ。職業といっても、君がいた世界の職業とは異なるから安心してくれ」

「……死んでまで……働きたく、ない。社会も、人間も、うんざり……もう、嫌なの」


 風が吹いたら、消えてしまいそうなほど小さく呟く、愛梨の大きな訴え。

 仕事、社会、人間……。生きている限り、決して逃げることのできない関わり。

 しかし、今の愛梨にとっては、体と心を蝕む毒でしかない。体と心を侵した原因を自分の口から出したことで、愛梨の気分は最高に悪い。


「本当に僕の話しを聞いていなかったのか。というか、君が初めてここに来た時にも話をしたんだけどな」

「……知らない」

「人間は酒に酔うと話を忘れるというのは本当だったのか……。一週間目にして、ようやく口を開いてくれたのは嬉しいが、また説明するのは疲れる。あ、そうだ」


 男は長いコートの中に右手を入れて、中でごそごそと何かを探ると、丸まった紙を取り出して愛梨に差し出した。

 差し出された紙を受け取る気はなかったのだが、反射的に愛梨は手を伸ばし、受け取ってしまう。


「この世界の説明書だ。君はどうも僕の話しを聞く気がないようだから読みたまえ。僕はまた来るよ。君のような待ち人が多くてね、そんなに暇でもない。それじゃ」


 そう言い残して男はふっと消えた。

 その場に残された愛梨は、手に持つ紙から視線を上げて周囲を見渡す。


 そこには高層ビル群で狭くなった空も、ひしめき合うようにお店が並ぶ通りも、急くように歩く人の姿もない。

 

 愛梨の視界が捉えるのは広く澄んだ空、葉の生い茂った木々、どこまでも続く草原。遠くに見えるのは家だろうか、レンガのような色の屋根が連なっている。

 森林の中にいるような、混じりっ気のない澄んだ空気が、息を吸うたびに毒に侵された肺を満たし、少しだけ、綺麗になるような気がする。


 ずっと見ていても飽きない景色から、反射的に受け取ってしまった丸められた紙へと視線を落とす。

 英語でもアラビア語でも象形文字でもない、見たことのない文字。

 だが、愛梨の脳はそれを、愛梨が分かる言語に翻訳してくれる。


DOAドゥーアの説明書……」


 まるで修学旅行のしおりのようなものを愛梨はゆっくりと読む。




 この世界はDOAと呼ばれる夢の世界です。

 この世界はあなたが望んだ世界です。

 この世界には『待ち人』と呼ばれる、死を望み、死を待つ者が降り立ちます。

 

 職業を得た待ち人は、住人から依頼を受けてください。

 住人との出会いと依頼はあなたの心に変化をもたらすでしょう。


 心から生きたいとこいねがう時、エリカが現れます。

 エリカを制した者は現実世界へと帰還し、新たな人生を謳歌することでしょう。


  この世界に端はありません。ここは夢の世界。

 あなたの世界であり、誰かの世界。




 説明書というよりは、何か語りかけるような文章。

 男の話しを全く聞いていない愛梨だったが、なぜか文章は読む気になったのか、短い語りを最後まで読んだ。


「エリカ……?」

「エリカはエリカだ」


 突然背後から声がして、愛梨は小さく体を震わせる。

 後ろを向くと、さっき消えた男が、いつの間にか後ろに立っている。

 振り向いた愛梨と目が合うと、男はにこっと笑った。


「君も必ずエリカが現れるさ」


 そんなことを言われても愛梨には興味がなく、愛梨は「そう」とだけ言い、男から顔を背ける。

 再び紙に目を落とす。今度は内容を読むのではなく、ただ視界に入れているだけのようだ。

 愛梨の目には光もなく生気もない。目で何かを捉えても脳が処理をしていないようだ。


「説明を読んで少しは興味を持ったか?」


 何を言っても反応がなく、人形のように表情一つ変えない愛梨に男は言う。

 だが、愛梨から答えが返ってくることはない。


 愛梨は、生気も、覇気もない表情で、ただ渡された紙を眺める。


「そうか。じゃあ質問は?」

「……死にたい」


 『死』という言葉を聞かされているのに、男は声を出さずに笑っている。

 男から顔を背けている愛梨はそれに気付いておらず、ぼーっと紙を見る。


「では、職業を選んでくれ」


 そう言って男は歩き、愛梨に目の前に立つと、DOAの説明書を取り上げ、たくさんの文字が書かれた紙とすり替える。

 ここで愛梨は現実に戻ってきたようで、顔を上げると、瞳を揺らしながら男を見る。


「働く気、ないから」

「ここでは必要だ。説明書にも書いてあっただろ?」

「……」

「それと、そこまで恐怖に怯えることはない。君のいた世界の職業とは違うのだから」


 気付いたら、息が上がっている。肩で呼吸をして、呼吸が乱れている。手にはじんわりと汗をかき、湿った手をスカートで乱暴に拭う。

 何を言っても無駄だと悟った愛梨は、ろくに紙も見ないで、震える人差し指で適当に指す。


「……これ」


 愛梨が指した文字を見て、男は満足そうに笑みを浮かべる。


「チートな魔法使い。実に君らしい」

「……」


 愛梨が選んだ職業を見て、男はふふっと声を漏らす。

 何が面白いのか、笑うほどおかしな仕事を選んでしまったのか。

 だが、愛梨にとってはそんなことはどうでもいい。さっさと、この男との会話を終わりにしたかった。


「君は本当におもしろいな。一週間全く話しを聞かないし、何もしないし、説明書を渡しても表情すら変えないし、動じない。それなのに適当に選んだ職業は君らしいものを選んでいるのだから」


 馬鹿にされているのか、動じない精神を褒められているのか、判断しにくい男の言葉を愛梨は適当に返事をして聞き流す。

 その姿がさらに男の興味をかき立てたのか、男は愛梨と視線が合うように顔を覗き込む。

 急に、視界に男が入ってきて驚いた愛梨は、警戒するように後ろへ下がる。


「決めた。僕は君の旅に同行しよう」


 この男は何を言っているんだと言いたそうな顔で、愛梨は男を見る。


「君のような怠惰で無関心な待ち人が、旅をしてどう変化するのか間近で見てみたい」

「死んでまで……何かをする気、ない」


 顔を伏せ、自分を守るように曲げた膝を限界まで体にくっつけて、両腕でしっかりと抱きかかえる愛梨に、男は静かに近づく。


「君は旅をする。必ず」


 何かを確信しているかのような、はっきりとした声と言葉に、愛梨は顔を上げる。

 目の前には頭の色はおかしいが、整った顔立ちの、自分よりも若いと思われる男が、真っ直ぐな瞳で愛梨をじっと見る。



「なんで、そんなこと分かるの。私は役立たずで、誰にも必要とされない――。だから、私は死ぬ。死にたいの」


「いや。君は絶対に旅をする」


 同じことを言う男にさすがにイラついたのか、わざとらしく深いため息をつく。


「だから……なんでそんな――」

「神だから」

「は?」


 自分のことを神と言った男は、愛梨と目線が合うように、その場にしゃがむ。

 訳が分からない、といった表情の愛梨を見て、男は口角をにやりと上げる。


「僕はシドウ。この世界の神だ」


「………………は?」


 











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