3月その③

『ちょっとコンビニ行ってくる』


そうTwitterに書いて家を出る。


コートにマフラーの完全装備でも外に出ると耳の先がぴりっと冷気に当てられて、暦の上ではもうすぐ春になるとはとても思えない。


「ちょっと前は暖かかったのになぁ」


今日は三月の第三週の日曜日。


ここ数日の気温のアップダウンの差がおかしいと言いたくなるが、なだらかな山なりの気温の変動をする方が珍しいのだからしょうがないか。


コンビニまでは歩いて十五分ほど。


近くはない、というかなにか用事があればまず親に車を出してもらおうかと考えるくらいは遠い。


これだから田舎は、と言いたくなるがそれも月を跨いで四月になれば縁遠い世界になると思うといくらか思うところはなくもないかな。


いや、思うのは生活環境が変わることについてか。


ホームシックになるような柄でもないし、少し前までは新生活に対する期待の方が大きかったんだけど……。


実際今でも大学生活と一人暮らしに魅力は感じているんだけど、それと同じくらい今の生活が終わってしまうことに離れがたい感情を覚えている。


そんなこと言っても、実際問題にもう卒業と進学は変えようのない未来なんだけど。


だからこれは、一種の未練なのかな。




コンビニに着くと店の中の客は二名だけ。


一人はつまらなそうに雑誌を立ち読みしていて、もう一人はドリンクの売り場を眺めている。


そんな様子を片目に、店内をぐるっと一周してレジ横の棚に並んでいるホットのカフェラテと餡まんをひとつ、いやふたつ買って店を出る。


ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると夜八時を過ぎていた。


さっびぃ……。


店内との気温差で再び耳先がひりひりして体を震わせる。


ちゃんと冬用の格好をしていても保護していない耳だけで冬の寒さを実感するには十分だった。


帰るか……。


部屋で大人しく寝てれば良かったかなといくらか後悔していると、冷えきった空気に『カンッカンッカンッカンッ』と遮断機の音が深く響く。


踏切の前で立ち止まり、ごうっと地面を揺らしながら通過していく電車の中へと視線を走らせる。


見上げる格好になる電車の窓には、近くに立っている人の様子が風を切る速さで流れていく。


その中には同じ高校の制服を着ている生徒もいて、つい目で追ってしまう。


もしかして、なんて頭をよぎった相手はこんなところにいるはずもないのに。


それでも探してしまうのは……。


三両編成の電車は直ぐに目の前から通りすぎて、遮断機も上がり再び静寂が戻る。


そのまま動かずにいると、頬に冷たい感触が触れる。


いつの間にか、空から白い結晶が舞っていた。


もう四月も目前なのに。


直ぐに積もるほどではないけれど、確かに視界が白くちらつく。


明日も雪かなぁ。




まるで時間が止まったかのように感じられる空気の中で、やっと一歩を踏み出そうとした時に背中から声が聞こえた。


「セーンパイっ」


背中にトンッと衝撃があって、一歩前に勢いを流す。


首に回された腕に窮屈さを感じながらも振り向いて抗議する。


「踏みきりの前で危ないだろ」


と言っても電車はついさっき通りすぎたばかりだが。


そんな俺を意にも介さずにニコニコしている後輩は、自然に俺の隣に並んだ。


「コンビニの帰りか?」


「そうですよ?」


こんな時間に、なんてことはわざわざ言わない。


「暇だな、後輩も」


「センパイも人のこと言えないじゃないですか」


それは、確かに。


「とりあえず、餡まん食うか?」


帰り道を歩きながら差し出すと、後輩は待ってましたと言わんばかりに返事する。


「いただきますっ」


ビニール袋からひとつ取り出したのを後輩に渡して、自分の分の包みを剥く。


歩きながら食べるのは行儀が悪いとかそういうのは今更だろう。


餡まんは熱と水蒸気でうっすら皮がふやけていて、一口咥えると中の餡も舌を火傷するほどに熱くはなくなっていた。


「センパイのも餡まんですか?」


「そうだな」


どっちを選んでも同じなので確認する手間を省けたわけで、片方が肉まんだったらとりあえず開けて確認しないといけなかっただろう。


なんて考えたら肉まんも食べたくなってきた。


ともあれまた今度だな。


もしかしたらまた来年、になるかもしれないけど、時期的な意味で。


「美味しいですねー」


「そうだなー」


個人的に餡まんには氷点下に近い外の空気の中で食うのが一番のスパイスだと思う。


熱と一緒に餡の甘さが脳にダイレクトアタックしてくるのを感じる。


隣ではふはふと熱そうに食べてる後輩も同じ気分だろう。


こうしていると一年前のことを思い出して、少し懐かしくなるな。


「ご馳走さまでした」


「どういたしまして」


食べ終わったゴミをまとめて、餡まんを食べるために外していた手袋を取り出すと、後輩が素手のままなことに気付く。


「手袋どうした?」


「家に忘れちゃいました」


忘れたらすぐに気づくだろうにそれでよくここまで来たな。


「ということで、センパイの手袋ください」


「前にもこんなことなかったか?」


「気のせいですよ」


絶対気のせいじゃないんだよなあ。


まあだからといって、やることは変わらないんだけど。


右手の手袋だけ外して渡し、残った後輩の左手は右手で握ってコートのポケットに入れる。


「わっ」


手袋が一組しかないならやっぱりこれが一番効率が良い解法だろう。


「急に手を握るからびっくりしたじゃないですか」


「手袋外したら寒いからな」


後輩に手袋を渡した後の右手はすぐにポケットにしまいたいくらいには冷気が辛かったわけで。


当然ずっと手袋をしていなかった後輩の手も冷凍庫から取り出したのかってくらい冷たいわけだけど。


「嫌なら離すけど」


「別に嫌だとは言ってないじゃないですか」


「ならこのままで。危ないから転ぶなよ」


「わかってますよ。……わっ」


「言ったそばからかよ」


転びそうになった後輩の手を引いてなんとか体勢を立て直す。


「ありがとうございます、センパイ」


「どういたしまして」


というかこの状態で転んだら半分は俺のせいってことになりそうなので断固死守したいところだ。


みんなもポケットに手を入れたまま歩くのはやめようね。


「じゃあ私が転んだらセンパイが責任取ってくださいね」


「責任ってなんだよ」


「わからないですか?」


「わかんねえなぁ……」


「もうっ、センパイは意地悪ですねっ」


「ぶつかってくるなよ、わかったから」


横から肩でぐいぐいと押してくる後輩をあしらってまた普通に歩き始める。


少しだけ無言の時間が流れるけれど、それは嫌じゃない時間だった。


「センパイの手あったかいですね」


「後輩の手は冷たいな」


「手が冷たい人は心が暖かいってやつですね」


「それじゃ手袋なしで外歩いたらみんな心が温かいってことになるぞ」


「まあそれは間違ってないんじゃないですか? 歩いてて寒かったら人に優しくなりますよ」


「それは人肌恋しくなるだけじゃね?」


つまり冬のせいにして温めあいたいって話。


「だめですか?」


「別にダメとは言ってないがな」


「センパイの手、あったかいですよ」


「あったまってきたならもう離してもいいな」


「いやですー。お断りしますー」


なんて言いながら後輩は、手を離されないようにポケットの中でぎゅっと握ってきた。




自宅に続く交差点はもうとっくの前に別の道へ曲がっていて、後輩の家までもうさほど時間はかからない。


だからこうして並んで歩くのあと少し。


「そういえば一年前もこうやって歩きましたね」


懐かしむように語るのは二年半ぶりくらいに再会した一年前のこと。


ことなんだけど、俺の記憶となんか違いがあるな?


「あの時と家まで送ってくかって聞いたら、そういうのキモいからいいですって断られた記憶があるんだが」


「キモいとは言いませんでしたよ!」


そうかなぁ?


「そうですよ」


まあそういうことにしとくか。


「あれから色々ありましたね」


「そうだな。少なくともこんな関係になってるとは想像しなかった」


「それは私もです」


その関係も、もうすぐ終わり。




卒業して大学に進学したら、自然と連絡を取ることもなくなっていくだろう。


それは予感ではなく、小中高と繰り返してきた経験則。


だから、今回だけは、なんて考えない。


俺にとって卒業というのは、そういう出来事だから。




「ねぇ、センパイ」


「どうした、後輩」


並んで歩きながら、何気ない雰囲気で後輩が聞いてくる。


「センパイ好きな人はいますか?」


それは、いつかも聞かれた、三回目の質問。


前は『いない』と答えたその質問に今はこう答える。


「ああ、いるよ」


嘘をつかない、正直な答え。


「後輩は?」


「私も、いますよ」


俺と同じように答えた後輩は、照れくさそうにはにかむ。


ああ、きっと。


今、俺と後輩は同じことを思っている。


だから、それで十分だ。




それ以上は聞かない、聞かなくても答えはわかるから。


それ以上は聞かない、聞いてしまえば後戻りは出来ないから。


それ以上は聞かない、聞いても先に進むことは出来ないから。


それでも進む意思があるなら、もっと前に同じ話をしているだろうから。


だからこれで、俺と後輩の話はおしまい。




「着きました」


「ああ」


家の前まで送っていって、ポケットの中で繋いでいた手が名残惜しそうに離される。


そのまま敷地に入っていく前に後輩が振り返った。


「おやすみなさい、センパイ」


寒さで頬を赤く染めた後輩の言葉と共に、白い吐息が生まれ、冬の空気に溶けていく。


「おやすみ、後輩」


笑いながらそう言う後輩は、でもどこか少しだけ寂しさを感じる笑顔を浮かべていた。


もしかしたら俺も、似たような顔をしているかもしれない。


それでもそれ以上なにも言うことなく、家に入っていく後輩を見送ってから来た道を戻り始める。


さっきまで、後輩と一緒に歩いていた時には気にならなかった風の冷たさが肌に凍みる。


特に後輩と繋いでいた手が、温かさを失ってしまったように感じられた。


今日は三月第三週の日曜日。





明日は、卒業式だ。

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