2月その④

「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


窓の外へと向けていた視線を戻していつものように向かいに座る後輩を見る。


「あーん」


「ん」


摘まんで差し出された板チョコの1ピースを咥えると、後輩が指を離す。


味で判断するに、これは明治のホワイトチョコだ。


ミルクチョコレートより更に強い甘味が口の中に広がる。


もはや直接砂糖を齧るよりも強い甘味を感じるこれを、普通に食べていていいのか若干不安になるくらい甘い。


「それでどうした?」


「なんでもないです」


「そうか」


急にチョコを差し出してきたから何かあるのかと思ったが、そうでもなかったらしい。


まあ後輩だしな。


「なあ、後輩」


「なんですか、センパイ」


今度はこっちから。


「あーん」


「んー」


差し出したクランキーを後輩が咥えて、そのままぱくりと口に含む。


サクサクと噛んで味わう後輩を見てたら俺も一枚食べたくなってきた。


「どうしたんですか?」


「どうもしないぞ」


「そうですか」


お返しなので特に意味はない。


強いていうなら、そうしたら面白いかなと思っただけ。


「そろそろ雪止みますかねー」


「そうだな」


窓の外は雪がずっと振っていて、雨宿りならぬ雪宿りで部室に顔を揃えて時間を潰していた。


別に雪が降ってる中を帰ってもいいんだけど。


お互い今日はちゃんと傘も持ってきてるし。


むしろ待ってた方が雪が積もって帰りづらくなるまである。


けどまあ帰らずにこうやって待っている。


たまにはそんな日が合っても良いだろう。


「入試終わった後でよかったですね」


「そうだな」


つい先日、二次試験の前期日程が終わったところなので、路面状況は気にせずゆったりできる。


まあ受かってなかったら後期日程が待ってるんだけど。


ともあれ今は少しだけ、脳を休めていた。


「センパイ、これ知ってます?」


「ん?」


と見せられたスマホには最近話題のミュージックビデオ。


「最近流行ってるよなー、わりと好き」


クラスの友人が見てるのを覗いたことがあって知っていたけど、夜空に流れ星が落ちる演出が好みだったやつ。


「じゃあこっちは?」


「初めて見た」


流れるMVの中では、現実と同じように雪が降っている。


「こういう雰囲気の曲好きだわ」


なんとなく切なくなる、冬って感じの曲。


再生数的にかなり有名なやつみたいだけど、ここ一年くらいはほとんど流行のものに触らずに生きてきたからなあ。


こうやって、トレンドで盛り上がるって感覚がもはや懐かしい。


「じゃあこっちも、ってめんどくさいですね」


スマホを弄ってこっちに見せてまた弄ってという行程が手間に感じたらしい。


後輩が腰をあげて机のこちら側に回る。


「ほら、そっち寄ってください」


「おう?」


尻を半分ずらすと、後輩がそこに腰を下ろす。


「流石に狭くないか」


「そんなことないですよ」


というか隣の椅子に座ればいいのでは?と思ったが別に困るわけでもないしいいか。


肩がくっついてるとか顔が近いとか体温を感じるとか、後輩が自主的にやってることなので俺も文句はない。


「どこ見てるんですか、センパイ」


特に近い横顔を見ていたのを気付かれて、後輩が口をとがらせる。


「私がかわいいからってそんなに見つめないでくださいよ」


「別にかわいいから見てたわけじゃないけどな」


そしてスマホに視線を移して、後輩の選んだ動画にどうこうと言っていく。


ドメジャーな物から始まって、段々後輩の趣味全開のチョイスに変わっていくと俺のよく聞くジャンルとはちがうなーと思うけどそれはそれで悪くない。


あー、なんか高校生って感じがする。


なんて思いながら1ミリも意味の無い会話を続けて、お互いに笑いあったところでふと気付いた。


隣に後輩がくっついてやっと気付いたんだが、なんだか甘い匂いがしている。


まあ後輩がチョコレートとかキャンディとかで甘い匂いをさせてるのもそんなに珍しくはないんだが、今日はそれとはまた違った匂いだ。


「これは、香水?」


「あ、センパイやっと気付きましたね」


さっきまで存在しなかった微かなバニラの匂いは、確かに後輩のもの。


「じゃーん、香水つけてみました」


と両腕を広げられても特に変化はないんだが、おそらく大発表的なノリなんだろう。


それはそれとして。


「ここまで近付かないと気付かないなら誰も気付かないんじゃないか」


「こういうのは気付かれないくらいさりげないのがいいんですよ」


「そういうもんか」


「それに、センパイは気付いたじゃないですか」


「まあそうだな」


おそらく廊下ですれ違った程度じゃ気付かないくらいの然り気無さだけど、そういうのが上品なのかもしれない。


まあ後輩に上品さなんてパラメーターゲージがあるかは謎だけど。


あとあんまり強い匂いだと教師に注意されるしね。


「さて問題です、私はどこに香水をつけているでしょう」


なんて聞いてくる後輩。


香水も目的とシチュエーションでつける場所を変えたりするらしいけど、当然そんなことには詳しくないわけで予想もつかないんだが。


「当てられたら豪華景品をプレゼントですよ」


と言っても、つけられる場所は限られているし探せばすぐ見つかるだろう。


「つけてるのは一ヶ所だな?」


「そうですよー」


「それじゃあ」


椅子から落ちないように肩を抱いて、後輩の首の後ろに顔を寄せる。


「んっ……、センパイくすぐったいです……」


「我慢しろ」


「えぇー……」


長く伸びた後ろ髪に覆われた首は相当に顔を寄せないと香りの判別自体が難しいので髪に鼻先が触れるくらい近づいてみたが、特に香りが強くなった感じはしないので首の後ろではないらしい。


じゃあ次は。


「髪触るぞ」


「えっ? きゃっ」


後輩の横髪の下へと指を潜らせてそのまま持ち上げる。


髪を伸ばしはじめてから見える機会が減った耳へと顔を寄せる。


耳の裏もハズレか。


「センパイ、流石に恥ずかしいんですけど」


「勝負は情け無用だ」


頭を引っ張って逆の耳を確認するがここも違う。


今度は顎に手を添えてクイッと持ち上げてシャツの胸元から微かに露出している鎖骨の辺りを確認するがこれもハズレ。


「んー、どこだ?」


「わからないですか? ギブアップしてもいいですよ?」


元の匂いが控えめなのもあって腰とか肘とかみたいな服の中だともはや嗅ぎ分けられる気がしないが、後輩の反応的にその辺ではない気がする。


諦めて視線を正面に戻すと、机の上に置かれた腕に目が留まる。


もしかしてと、細い腕と柔らかい手を握って、その中間の手首に顔を寄せる。


「ここも違うか」


一応反対側の手も机の上に出してもらって確認するがこれもハズレ。


手首ってわりとポピュラーな部分だと思ったんだけど。


うーん、わからん。


「正解は?」


ギブアップして答えを聞くと、後輩が得意気に答える。


「正解は、太ももでした」


「そりゃわからんわ」


後輩が太股の内側を手で押さえて、すーっとスライドさせるとスカートが捲られる。


座っている姿勢と内腿を押さえてる手で、角度的に下着が見えることはないが、その理屈で逆にギリギリまで寄せられたスカートから太股がスラッと露出している。


股下指一本分くらいのスカートはもう水着と大差ないくらいの太股の見え具合だけど、逆に言うと水着よりは肌が見えてないんだよな、なんて考えは置いておいて。


確かに太股が露出してから匂いが強くなるのがわかった。


といっても不快になるほどの強さじゃないけど。


そのまま後輩がくるくると太股の内側を指で撫でて、そのままこちらへと差し出す。


目の前で固定されはそれを嗅ぐと、確かにバニラの甘い匂いがした。


「良い匂いだな」


「そうですか」


「舐めたら甘そうだ」


「それは匂いだけですよー」


「わかってる」


大抵こういうのは誤飲防止に苦味がつけられてたりするしな。


「でもセンパイが気に入ったならつけてきた甲斐がありましたね」


「それはよかった。それじゃこれをやろう」


机の上に置いているチョコを差し出すと、隣の後輩が手を出さずに口を出すのでそこに咥えさせる。


香水の匂いの礼になるなら安かろうと思ったが、それで話が済んだわけではないらしい。


「豪華景品楽しみですねー」


当てたら豪華景品と言われただけで当てられなかったら逆にプレゼントとは言われなかった気がするが、まあいいか。


「なにか欲しいものでもあるか?」


「景品なんですから、センパイが考えてください」


「んー、んんー、じゃあ帰りに買って帰るか」


「やったー」


「なに貰えるのか楽しみですねー」


後輩にニヤニヤされながら、くっついた肩でくいっと押される。


「あんまり期待するなよ」


押された分だけ押し返すと、椅子の上の配分が五分五分に戻る。


やっぱり狭くないか?ここ。


「そうだ、折角だしカメラ撮りましょうか」


「なにが折角なんだ」


「折角同じ椅子に座ってるから、ですよ」


言いながら後輩が腕を伸ばしてスマホを構えてパシャリ、と一枚。


「もっとぎゅっとしてください」


「ん」


抱いていた肩に力を入れると、体がさらに密着する。


「じゃあもう一枚撮りますね」


パシャリ、と二枚目。


「センパイもっと笑ってください」


「ちゃんと笑ってるだろ」


「もっとこう『にー』っとしてくださいよ」


「にー」


「全然笑ってないじゃないですか」


「こういう時、どういう顔すれば良いのかわからないんだ」


「だから笑えばいいんですよ」


普段笑わない訳じゃないけど意図的に笑顔を作るなんてことはないので、正直気恥ずかしい。


「わかりました」


後輩の腕が腰に回されて、脇腹に当てられた指先がピアノの鍵盤を叩くように踊り出す。


ぶはっ。


「お前、それはズルいだろ!」


「なんでですかー? いい顔撮れましたよ」


ちゃっかりシャッターを押していた後輩が撮れた写真を見せてくる。


いやだやめろ見たくない。


「じゃあお前にもやってやるわ」


「あっ、ちょっと、きゃっ」


肩に回した腕を腰に下ろして、指先でつつくと、後輩が盛大に笑い声をあげる。


「あっははははっ」


笑いながら対抗してきた後輩の抵抗で俺もたまらずに声が漏れた。


「あっははははっ」


お互いの笑い声だけが響く空間は一分ほど続き、呼吸困難になったところで自然と引き分けになった。


「もー、センパイのせいでスマホ落としそうになったじゃないですか」


激しく呼吸をしながら後輩が抗議してくる。


「後輩が悪い」


気付けば笑いすぎて頬が赤く染まっている後輩がしょうがないですねーと笑ってスマホを握り直す。


「最後にもう一枚撮りますよ」


「はいはい」


インカメラから画面に映る俺の顔も後輩と同じくらい赤くなっていて、それがぴったりと重なって、吸い付くように張り付く。


後輩の頬、もちもちしてるな。


柔らかくて温かくて。


後輩はどう思っているのか。


聞かなくてもわかるか。


「上手く撮れよ」


「それはセンパイ次第ですね」


頬をつけたまま喋られるとちょっとくすぐったい。


なんてことを考えると、ぱしゃりとシャッターがきられる。


そこに映っている自分の表情は、ちょっと別の意味でくすぐったかった。

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