9月その④

「ねえ、センパイ」


「…………」


いつものように声をかけて、いつもはセットのようにくる返事がないことに違和感を覚える。


いつもの部室、いつもの席で、いつものように向かいに座っているはずのセンパイは、わざと返事しないことはあっても、声をかけられているといえ気配もさせないのは珍しい。


もしかして煙のように消えてしまったのかなと思いながらノートに向けていた視線を上げると、そこにはまぶたを閉じたセンパイの寝顔があった。


向かいに座っていた私が気付かないほど自然に、勉強をしていた姿勢のまま頬杖をついて目を閉じている。


多分勉強をしたまま自然に睡眠モードに入ったその姿を見て、ひとまず持っているシャープペンをゆっくりと引き抜く。


「こんなところで居眠りしてると風邪引いちゃいますよ」


返事が来ない忠告をして、肩を揺すろうと腕を伸ばす。


でもその寝顔が気持ち良さそうで、なにもせずに腰を戻した。


しばらく寝させてあげますかね。


模試の勉強で疲れていると言っていたので、寝不足かもしれないし。


「まあ私も勉強で疲れてるんですけど」


と言い訳しておいても誰もつっこんでくれないとちょっと寂しい。


折角なのでゆっくりと観察してみると、寝顔のセンパイは普段よりも丸く見える気がする。


と言っても太って見えるって意味ではなくて、優しく見えるって方向で。


普段はこんな姿見せるタイプじゃ無しですしね。


起きてるときも勉強に集中してる姿が大半で、話してるときも屈託なく笑ったり穏やかな表情を浮かべたりすることはほとんどないし。


「起きないと、イタズラしちゃいますよ」


なんて言ってみても、起きる気配はない。


まあ特になにかするつもりもなかったけど、なにしても許されると思うとついしたくなるのが心情というもので。


試しに腕を伸ばして前髪を指で触れてみると、センパイが少しだけ眉を動かす。


スッと手を引いて息を潜めると、どうやら起きる気配はなくてほっと胸を撫で下ろした。


これ男女逆ならセクハラかも?と一瞬思ったけど、まあセンパイならいいかな。


それから折角なので寝顔をカメラでパシャリ。


画面に映ったセンパイは、心なしか実物よりも気持ちよさそうな寝顔に見える。


んー、やっぱり気のせいかな。


「そうだ」


こういう時は顔にペンで落書きをするのが定番だろうけど、流石に直接それをやるのはイタズラが過ぎるかな。


ということでスマホの画面をタッチして、画像の編集アプリを起動する。


当然映るのは寝顔姿のセンパイ。


その顔を拡大して、ペンモードで頬に線を入れた。


右と左に三対ずつ。


それを元の倍率に戻すと、実際に顔に描いたのと区別がつかないくらいの落書きの完成。


我ながら良い出来かな。


と自画自賛したところで、どうしよう。


この画像をセンパイに見せないでしまっておくか、今すぐセンパイに送るか、それとも後で送るか。


今すぐ送ると、センパイが起きた後のスマホを見て驚いた表情が見れる。


帰った後に送ると、センパイが帰り道ずっとこのままだったのかと思って凄く驚かせられる。


送らないのは……、特にメリットはないかな。


んー、よし決めた。


ちょっとだけ考えてから、スマホを操作する。


どっちにしろ今すぐにどうにかなることでもないんだけどね。


「ずっと寝てたら日が暮れちゃいますよー、センパイ」


なんて言っても起きる気配はなくて、真面目に起こす気もないんだけど。


でもこのままだと風邪引かないかだけちょっと心配かな。


もう九月も終わりが見えて、来週には冬服に衣替えの季節。


シャツはもう長袖になっていている。


それでも平均気温的には暖かい日が多いんだけど、今日は週間予報の気温のグラフが谷のようになっていて特別涼しかった。


起きてれば問題ないかも知れないけど、寝てたら体が冷えるかも。


うーん、しょうがないですねー。


立ち上がって机を回り込み、センパイの後ろに立つ。


それでも起きる気配のないセンパイに、自分の羽織っていた上着をかけてあげる。


今日は涼しかったから、私が上着持ってきてて良かったですね、センパイ。


なんて、涼しくなければ上着をかける必要もなかったから無意味な前提だったかな。


まあいっか。


そんなセンパイに上着を掛けてあげると、サイズ差でなんだか不格好になっているけど気にしない。


こうやって見ると、センパイも男の人なんですね。


お互いの体格の差を改めて実感して、そんな今更なことを思ってしまった。


センパイが男の人っていうのはもちろん前からちゃんとわかってたけど。


「センパイに風邪引かれたら困りますからね、特別サービスですよ」


まあセンパイが学校休んで部室の鍵がないと、放課後暇になるかもしれないから八割くらい自分のためですけどね。




それからしばらく勉強をしていて、流石にそろそろ起こそうかなと思って、預けていた上着を返してもらう。


貸していたことを気付かれないようにちゃんと袖を通してボタンまで留めると、自分の体温とは違う温かさに包まれて、ほんのちょっとだけ不思議な気持ちになる。


「……………………」


センパイの肩に手を置いてトントンと叩く。


「センパイ、センパイ」


「ん……」


小さく声を漏らしたセンパイはそれでもまだ目は開けず、更にゆさゆさと肩を揺らす。


「センパイ、起きてください、センパイ。起きないと耳に息ふーってしちゃいますよ」


「んー……」


また声を漏らしたセンパイは、今度こそまぶたを開けた。


起き抜けで、でも寝ぼけることなくこちらを見たセンパイが朝のように挨拶をする。


「おはよう、後輩」


「おはようございます、センパイ」


よく考えたらおはようって挨拶するのは珍しいかも。


朝に会うことは滅多にないですし。


「左手がいてえ……」


「ずっと頬杖ついて寝てたからですよ」


体重をかけたまま動かさなかったから痺れてるのかもしれない。


「ちょっと触ってみてもいいですか?」


「やめろよなんで触ろうとするんだよ」


「痺れてる時はマッサージするといいらしいですよ?」


「そんなこと言って、痺れたところ触って遊びたいだけだろ」


「そんなことないですよー」


正座したあとの足みたいに触って悶えるセンパイをみたいとかはちょっとしか思っていない。


「んで、なんで後輩がこっちにいるんだ?」


「センパイがずっと寝てるから、起こしてあげたんじゃないですか。勉強大丈夫ですか?」


「そんなに予定を詰め込んで勉強してる訳じゃないから大丈夫だが、それはそれとしてありがとな後輩」


「どういたしまして」


「ちなみに、どれくらい寝てた?」


「三十分くらいですかね」


「六時間くらい熟睡した気分だわ」


「たまにありますよね、そういうこと」


なんなら五分の仮眠で一晩寝たのと同じくらい長い夢を見たりもするし。


とにかくセンパイが目を覚ましたので自分の席に戻ろうとすると、くしゅんと小さくくしゃみがでて思わず顔を押さえる。


センパイは気にしたりしないだろうけど、ちょっとだけ、恥ずかしい。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃないのでなにか温かいもの買ってください」


照れ隠しにそんなことを言うと、センパイがお財布に手を伸ばす。


「しょうがねえな」


しぶしぶな感じを出しながら、結局奢ってくれるセンパイに心の中でくすりと笑う。


「んじゃ行くか」


「はい、センパイ」


なんて言いながら部室を出て、校舎の外の自販機の前まで移動する。


少し離れたところでは、女子のバスケ部が走り込みをしているのが見えた。


「なに飲む?」


ちゃりんちゃりんと自販機に100円玉を入れながら、こっちを見たセンパイに答える。


「センパイ、身長伸びました?」


「気のせいだろ」


前より見上げる視線が高くなってる気がするけど、今までちゃんと意識することがなかっただけかな?


「それで、どれにする?」


「ミルクティーがいいです」


「はいよ」


センパイが取り出した背の低いペットボトルを受け取ると、丁度良いくらいの温度で温かい。


外の気温も寒いと感じるほどじゃないけれど、秋の入り口を感じられるくらいには涼しくてホットドリンクが身体に染みる。


そのあとセンパイは、自分の分のレモンティーを買って一口飲んでいた。


「センパイ、レモンティー一口ください」


言うとなぜかセンパイが微妙な顔をする。


「んー、やだ」


「えー、なんでですか。いつもお菓子あげてるのに」


口を尖らせてもセンパイが折れる気配は無さそうなのでしょうがなく諦める。


そもそもなんで一口くれないのか、もしかして間接キスを気にしてる?


別に私はセンパイと同じ飲み口で飲んでも気にしたりなんてしないと思いつつ、丁度レモンティーを口に運んでるセンパイを見て、自分のミルクティーの飲み口を見て。


「どうした、後輩」


「いえ、なんでもないです。それより早く戻りましょうセンパイ」


「まだ飲み終わってないんだが」


「ゴミなんて帰りに捨てればいいじゃないですか」


「まあ別にそれでもいいけど」


買ったレモンティーはそのまま飲んでしまうつもりだったセンパイを先導して部室に戻ろうとする。


丁度その時、びゅーっと音がするくらいの風が通り抜けていった。


「今日は涼しいな」


「そうですよ。風邪引かないように気を付けてくださいね」


「ああ」


頷いたセンパイは何かを思い出したように、こちらに視線を向ける。


「ありがとな、後輩」


言われて、顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。


それは、きっと、私の上着についてのこと。


「ず、ずるいじゃないですか!」


「なんのことだ?」


「起きてたんじゃないんですか?」


「ちゃんと寝てたぞ、寝ながら聞こえてたことはあるかもしれないが」


そう聞かされて、自分の発言を思い出してみる。


「やっぱり、センパイはズルいです……」


「悪かったよ。ほら、部室戻ろうぜ」


「はい……」


センパイに促されて、私は赤くなった顔を隠しながら一歩遅れて部室に戻った。






部屋に戻ってきて、制服のままベッドに横になる。


家にはまだ誰も帰ってきてなくて、テレビもつけないと静かなまま。


枕に顔を埋めるとこのまま寝てしまいそう。


流石に着替えないとお母さんに怒られるけど。


さっきまでセンパイと話していたので、静かな部屋は余計に寂しい気がする。


センパイにからかわれたりもしたけど、今日もいつも通りの一日だった。


センパイのいる部室に通い始めてからも半年。


付き合っている訳じゃないし、付き合う予定があるわけでもないけど、それでも仲が良くなったとは思う。


んー。


寝返りをうってスマホを確認すると、LINEの通知がいくつか。


その他にも通知は来てたけど、まずはLINEを開いてグループトークを確認する。


そのあとセンパイとのLINEも確認すると、送った画像の次に『人の顔に落書きするな』と短くメッセージが来ていた。


文章だけ見ると怒ってそうでもあるけれど、これは単に文章が端的なだけ。


『本当に落書きしたわけじゃないですし、良いじゃないですか』と送って、ついでに『かわいいですよ、センパイ』と付け加えておく。


実際猫みたいな落書きをされたセンパイは、かわいいと言えなくもない。


本人は、『かわいいなんて言われても嬉しくないんだわ』なんて言いそうだけど。


そんなセンパイの無表情を想像すると、ちょっと笑ってしまう。


センパイはもう、うちに帰ってるかな。


帰り道で別れた時間を考えると、そろそろ着いてもいい頃だと思うけど。


あんまりすぐに返事が来ないセンパイだけど、家に帰ったタイミングなら丁度スマホを確認するかも。


そんな想像をして、ちょっと眠くなってきていた身体を起こす。


ベッドから立ち上がって着替えるために上着をハンガーにかけて、そのままシャツも脱ぐとピコンとスマホが鳴った。


着替える手を止めて、ベッドに置いていたスマホを見る。


そこに予想通りの相手のLINEが表示されていて、思わず笑みがこぼれた。






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ということで、24話になりました。


完結まで半分が終了です。


ここまで楽しんで頂けたでしょうか?


本当は毎日投稿したいんですけど、話数は最初に決めた一月に四話ずつというペースの方が構成的に綺麗と言うこともあり、文字数的には分割してもいいかなって所もそのままなので今のペースになってます。


ここから半年、24話で二人の距離は更に縮んでいきますのでどうぞお楽しみください。


あと、ブクマ評価感想もお待ちしてまーす。


作者のモチベにもなるのでぜひ。

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