仔犬のような
「先生、大丈夫かなあ」
未來たちがかなり日の落ちた道で、救急車を見送っている。
葵は、明路が階段上まで上がってきていることに気づいていた。
振り返ると目が合う。
どうしようかと思ったが、ぺこりと頭を下げた。
そのまま立っている明路の許に、迷ったが、行ってみる。
みんなから少し距離があったので、訊いてみた。
「知ってたんですか?
私が貴女の娘だって」
やはり、何か感じるものがあったのかと思い、訊いてみたが、彼女は、
「いや、貴女がこう言って、私に訊いてくる予知が見えたから」
と言う。
なんなんだ、それは……。
「そう。
それで、そんな顔して怒ってたのよ」
と笑い出した。
とんだ呑気な親だ。
同じように力を持ちながら、この母親と自分の力は、発露の仕方は全然違う。
自分には未来など見えはしないし。
まあ、凡人の父親のせいかもしれないが。
それにしても、この親、どついてもいいだろうか、と葵は思う。
だが、不思議と恨む気にはならない。
親から遺伝する記憶。
そこに、明路がお腹に居る自分を慈しんでくれていた記憶もあるから。
恨むというより、ただ、この人の許で育ってみたかったと思うだけだ。
もちろん、今の両親に不満はないし、愛情も感じているが。
この身体に魂が入って、一番最初に自分を育んでくれた人がこの人だったから。
ただひとつ、伝えておこうと思っていることはあった。
「明路さん」
「ん?」
「貴女は自分の母親が聖母の姿で出て来るのを疎んでいるけど。
本当は貴女の目にそう見えてるだけなんじゃないですか?」
「え――」
「私の目にも貴女が聖母に見えます。
きっと、子どもにとって、根本的なところで、母親ってそういうものなんですよ。
例え、どんな親でも。
だから、とんでもない親だと救われないんでしょうね。
それが無条件の崇拝の対象になってしまうから」
そう言うと、明路はさすがに、ぐさっと来た顔をしていた。
自分もまた、そのとんでもない親の一人だと思ったようだ。
まあ、そうなんだが……。
ところで、と下を見下ろし、葵は訊いた。
「あれ。
さっきの噂の通り魔ですか?」
眉村が刺された場所に、まだ血は飛び散っている。
「いや。
違うわよ」
明路は気のない風に下を見ていたが、何故かそう言い捨てた。
「でも、あの犯人、
『そこに隠れてる奴、誰だ……?』
って、言いましたよ」
それは、いつか何処かで、聞いたことのあるフレーズだ。
私がではないが。
「そうね。
だから、ちょっと……惜しいわね」
明路はそんな言い方をした。
「屋敷ー」
と手を振り、下に居いた仔犬のような、いや、本当はいい年なのだろうが、そう見える男を呼ぶ。
まるで飼い主に呼ばれたように屋敷は駆け上がってきた。
「あとで正式に似顔絵とか作ると思うけど。
葵にわかる限りの特徴を聞いて」
はいっ、了解ですっ、と湊に対するより敬意溢れる態度で、明路に答える。
「じゃあ、信頼してるからね、屋敷」
「はい。
明路様っ」
……様になってるよ。
この母親、本当になんだかな……。
困った人だが、困った人生を歩んできたせいなのか。
生まれつきの性格なのか。
まあ、自分の人生の方がかなりマシかな、とは思う。
母から受け継いだ遺伝子の記憶。
今生のものしかなくて、幸いだったと思うから。
彼女が時折、ふと、思い出す過去。
そのとき、彼女の脳裏に浮かんだものだけが、自分の中にも刻まれているが、どれも凄惨なものだ。
ただ、不思議に。
その映像についてくる彼女の感情は、いつも意外なほど、慈しみに満ちている。
それは、現世の記憶でも同じことで。
彼女は父を許しているのではないかとさえ、思ってしまう。
人の心はわからないが――。
そんなに遠くに行かずにこちらの話を聞いていた怜と目が合った。
彼はどんな顔をしていいのかわからないようだった。
まあ、当たり前か。
自分の愛した女の子だが。
自分の子どもではない娘を前に、どうしていいのかわからないのだろう。
正解はなにもしなくていい、なのだが。
彼は服部怜であって、服部由佳ではないし。
私は彼にとって、ただのクラスメートだ。
それでいい――
と葵は思っていた。
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