第15話 描いたスタディ(2)


 あたしとダンが顔を見合わせる。


「いくよ」

「いつでも」

「「そーれ!」」


 絨毯を敷いていく。エミーは壁紙を貼り付けていく。あたしとダンが家具を部屋へ運んでいく。重たいソファーは、気をつけながらあたしとエミーで運んだ。デザイン画を見ながら、あたしがたまに修正しながら、物の配置を決めていく。


 気がつくと、雨は止み、夕日が沈む頃――汗だくになった三人が、立っていた。


「出来た……」


 完成したイヴリンの書斎に、あたしは飛び上がって喜んだ。


「理想の、マイ・スタディー!!」


 あたしは地面に転がり、書斎を堪能する。


「ふぁああ! 何これ! 絨毯の模様完璧すぎる! しゅごい! しゅごいよぉ!!」

「こんな部屋なら、俺も宿題捗りそう」

「私の絵が……部屋になってる……」

「エミー!!」


 あたしはエミーに抱きついた。


「本当にエミーのお陰! ありがとう! 本当にありがとう!」

「え、あ、ま、まぁ、んん……」

「その壁も、床も、家具も、棚も、全部エミーの考えたデザインだよ! あたしもね、こういう部屋を作りたかったんだけど、模様とかデザインのセンスが皆無なの!」


 エミーの顔を見て、伝える。


「貴女は天才。絶対にそう。だから、……自信を持って」


 エミーがあたしを見つめる。


「エミーは将来、絶対大物になるよ!」

「………………あ、あまり! 調子に乗らないでよね!!」


 エミーがあたしの手を振り払った。


「私が大物になることなんてね! 私が一番わかってるのよ! 私はね! 誰にも負けないの! 私こそが、デザイナー界の、レジェンドになるんだから!」


 エミーが逃げるように階段を駆け出し、玄関へ走っていく。


「お邪魔したわ!!」


 そう言うと、優しく扉を開けて、家から出ていった。ダンと目を見合わせる。


「エミー、思ったより悪い子じゃなさそう」

「あのエミーを従わせるなんて、お前すげーな」

「これなら魔法使いさんも喜ぶよ」


 ああ、早くイヴリンに見せたい。書斎に取り付けた時計を見て、はっとして、ダンに振り返る。


「ダン、いくぜゴーゴーレンジャーの時間じゃない?」

「え! もうそんな時間!? やべー! 家帰らなきゃ!」


 ダンも階段を駆け下りていく中、あたしに振り返る。


「なあ! そろそろテレビ用意してくれよ! そしたらここで見れるのにさ!」

(あ)


 扉が開いた。


「そんじゃ、また明日な! パレット!」


 ダンが進もうとして――柔らかいものに体が当たった。ダンが見上げる。


 冷たい氷のような女が、ダンを見下ろしていた。


「……」


 ダンの本能が、悟った。声を出しちゃいけない。紫の瞳はダンを見下ろしている。その目で見つめられたら、芯まで凍ってしまいそうな気がした。


 ダンの汗が落ちた。

 女は動かない。黙ってダンを睨んでいる。

 その空気を――あたしが斬った。


「イヴリン! その子がダンだよ!」


 体を震わせたダンが、ゆっくりとあたしに振り返った。あたしは急いで階段を下りていく。


「怖い顔しないの。ダンが怖がってる」

「我が家に帰ったら知らない子供がいる。誰でもこうなるだろ」

「優しくしてあげて」


 あたしがイヴリンに近付く。


「お帰りなさい。イヴ」

「ただいま。パレイ」


 イヴリンの頬にキスをすると、それをダンが唖然として見つめ続ける。開いた口が塞がらないようだ。あたしはダンの後ろに立ち、挨拶させた。


「というわけで、イヴ、話してたダンだよ。ルセ・ルートのパン屋の息子さんなの」

「ふむ」

「ダン。あたしの恋人の、魔法使いさんだよ。イヴリンっていうの」

「……いや、……あのさ……」


 ダンがあたしに振り返り、必死に言う。


「なんか、想像と違った」

「驚いたよねー。ごめんねー。あははー」

「でけぇ」

「かっこいいでしょ!」


 ダンの背中を叩く。


「テレビ、観なくていいの?」

「……んー」

(あれ?)

「ちょっと、魔法使いに聞きたいことあるかも……」


 あたしは瞬きし、イヴリンを見ると――また人を凍らせるような目でダンを見ている。


「イヴ! イヴ! ね! この子は平民で、子供で、貴族じゃないんだから、そんな目で見ない!」

「聞きたいこととはなんだ?」

「魔法って……何が出来るの?」

「何でも出来るぞ。君を呪うことも、殺すことも」


 流石の言葉に、あたしがイヴリンを睨むと、イヴリンが目を逸らした。ダンの背中を撫でる。


「ごめんね、魔法使いさん、機嫌悪いみたい」

「パレット、俺は正義の味方なんだ。お前は悪い奴じゃない。そんなお前の側にいる魔法使いなら、悪い奴じゃない。だな?」

「魔法使いさんはね、人見知りなの。ごめんね、怖いことばかり聞かせちゃって」

「じゃあさ、俺のこと占える? 俺が将来どうなってるかとかさ」

「出来るぞ」


 イヴリンが洗面所へ歩いていく。


「聞きたいならリビングで待ってろ」

「占い聞いたら帰るよ! ゴーゴーレンジャーは、明日も見れるし!」


 ダンがあたしにそう言ってリビングへ戻っていく。あたしは笑みを浮かべ――すぐに洗面所へ足を進ませる。イヴリンが手を洗っているところに入り、ドアをしっかり閉めた。


「あれは何? まるで舞踏会に現れた氷に咲く銀の薔薇のイヴリン様だった」

「礼儀のない子供だとは思っていたが、とんでもない。お前を呼ぶ時に「さん」もつけない」

「別にいいでしょ、子供なんだから」

「子供ならば何でも許されるのか?」

「やめて。イヴ」


 イヴリンと向かい合う。


「友達なの」

「……厄介な子供と関わってるな」

「ダンに優しくしないなら洗面所から出さないよ」

「お前と二人きりならどこでも構わん」

「じゃあもうキスしない。抱きしめない。ホテルに手紙だけ残して出ていった人に、ニコニコしてお帰りなさいを言ったあたしが馬鹿だった」


 イヴリンがあたしを睨んだ。あたしはふん! と顔をそらした。しばらしくて……ため息を吐いたイヴリンからあたしを抱きしめてきた。


「パレイ、わたくしのパレイ、我が家に帰ってきたら薄汚いネズミが入り込んでたら、誰だってこうなる」

「なりません」

「わかった。占いをしてる間は大人しくしてよう」

「そうして」

「ホテルでのこと怒ってるのか?」

「怒ってない」

「本当に?」

「……仕事だったんでしょ。怒らないよ。毎日大変な中、昨日は時間割いてくれたんだから」


 イヴリンと唇を重ね合わせる。


「イヴにプレゼントがあるの。でもね、ダンがいなければそのプレゼントは出来上がらなかった。わかる?」

「ああ、わかった。……出来るだけ優しくする」

「お願いね。……全く!」


 二人で出ていき、ダンが待つリビングに戻る。イヴリンはダンの正面に座り、あたしは夕食の準備に取り掛かる。


「何を占って欲しい?」

「んー、それじゃあ、俺が将来、正義の味方としてやれてるか!」


 イヴリンが力を手のひらにこめ、水晶玉のような形の魔力を浮かばせた。ダンがつばを飲み、イヴリンが答える。


「君が元気に駆け回ってる姿が見える。上手くやれているようだ」

「ふーん」

「幸運の色は黄色。これでいいか?」

「ああ、待って! もう一つだけ!」

「なんだ」

「パレットにとって、俺という存在は悪運か、幸運か」


 あたしはフライパンを持ちながら、チラッと見た。


「占える?」

「……見てみよう」


 イヴリンが魔力を浮かばせる。精神を集中させ、魔力を使ってダンを分析する。あたしは固唾を飲んだ。ダンが緊張したようにイヴリンを見つめる。


「……チッ」


 イヴリンの小さな舌打ちが聞こえたと思えば、イヴリンの手から魔力が消えた。


「パレットにとって、君の存在は重要らしい。君は彼女を助けられる人となるだろう」


 ――あたしは笑みを浮かべ、フライパンにバターを入れた。ダンが息を吐き、少し脱力する。


「なあ、魔法使い、それはつまり、俺はパレットの側にいても大丈夫な人間ってことだよな? だから、これからも家に遊びに来ても、問題ないってことだろ?」

(っ! ダン……!)


 あたしは健気なダンの言葉に、とても感動し、ダンのためにお菓子の包みを用意した。イヴリンがため息を吐き、ダンを見下ろす。


「遊びに来ることは構わん。しかし長居はしないように。ここはわたくしの家でもある」

「わかった!」

「ボク。……お母様から、新婚夫婦の家にはあまり訪問しないよう言われたことはないのかな? まだ若く拙い二人に、時間を与えようとは思わないのかな?」

「新婚じゃないじゃん!」

「もう帰れ。わたくしがいつまでも優しいと思ったら大間違いだぞ」


 イヴリンに凄まれ、ダンが逃げるように走り出したところへ、あたしがストップをかける。


「ダン! 待って待って! これ持っていって!」

「あ? なんだこれ」

「お菓子包んだから、お家で食べて」

「いいの?」

「もちろん」


 膝をつき、ダンに目線を合わせる。


「また遊びにおいで。待ってるよ」

「……お前」


 横目でイヴリンを見てから、あたしを見る。


「やっぱり物好きだな」


 そう言い捨て、お菓子の包みを掴んで外へと飛び出す。夜が近付く空に星が見え始めていた。


(さて)


 立ち上がるイヴリンの前に、あたしが仁王立ちする。イヴリンがあたしを見下ろす。あたしはイヴリンを見上げ、睨む。


「子供を睨まない!」

「あの男を見た時に悟った。あいつ、将来厄介になるぞ。芽は小さいうちに潰しておくべきだ」

「子供を男呼ばわり! わかった。じゃあこうしよう。ダンがあたしと協力して作ったイヴの部屋を見せてあげる」

「? わたくしの部屋は既にあるだろ?」

「寝室じゃないんだな。これが」


 一緒に二階へ上がり、扉を開ける。レトロな書斎に、イヴリンが目を見開いた。壁に取り付けた棚や、引き出し付きのデスク。おしゃれな形の椅子。模様付きの壁と絨毯。


 あたしはイヴリンの顔を覗き込む。


「ダンが手伝ってくれたの。あの子がいなきゃ完成しなかったんだから」

「……」

「感想は?」

「……実に気に入らない事だが、……部屋は立派だ。家具のデザインが非常に気に入った」

(よし)

「お前が考えたのか?」


 イヴリンがあたしの髪の毛に優しく触れる。他の人にもこうであったらいいのに。


「ううん。デザインを勉強してる子が勝負を挑みに来たから、家具のデザインを手伝ってもらったの。今回の部屋の家具はその子が考えたものだよ」

「言ってる意味がわからない。つまり、この家にはあの男と、もう一人訪問してきたというのか? 勝負とはなんだ?」

「イヴ、ねぇー! 目が怖いってばー!」

「怪我はしてないか? 悪口を言われたのであれば、正直に言いなさい」

「また一人友達が増えただけ! 悪い子じゃないから! ほら、家具のデザイン素敵でしょ!」

「お前を傷つける奴は誰一人許しはしない」


 ――イヴリンがあたしの頬に、優しいキスをした。そっと離れ、あたしの顔を覗き込んでくる。……その顔はずるいってば。


「イヴ、……傷ついてないから、暴走しないで」

「本当に?」

「むしろ、楽しかった。だって、ずっとイヴの書斎を作りたかったの。理想のスタディ。だけどあたし一人じゃ限界を感じてた。そこに、ダンと……エミーが来てくれた。だからこんな立派な部屋を作れたの。そしてそれを、この世で一番愛してるイヴに送ることが出来た」


 イヴリンの両手を握りしめ、彼女を見つめる。


「それでも、気に入らない?」

「……そんな目で見てくるな」

「みんなで作ったの。嫌って言われたら、悲しくなる」

「わかった。変な意地を張るのはやめよう。パレイ、わたくしは、お前が他の誰かとわたくしの知らない時間を過ごしていることに嫉妬しているんだ。あの男にも、そのエミーとやらにも」

「イヴ、嫉妬する意味がわからないよ。だって、あたしが一番愛してるのはイヴ以外いないのに」

「わたくしもだよ。パレイ。この世で一番お前を愛している。だからこそ嫉妬が生まれる。わたくしがもっとお前の側にいられたら、お前を独占し、誰にも与えないのにと、考えてしまう」

「イヴ、少し休んだら? 疲れてるのかも」

「そうだな。あの男も帰ったことだし」


 イヴリンがあたしの腰に手を置いた。


「朝まで、二人きりの時間を過ごそう」

「待って。……その前に、ダンに優しくするって約束して」

「……」

「じゃないと、キスしないから!」

「……チッ。……わかった」

(表では涼しい顔してるくせに、嫉妬の念が激しすぎる)

「約束しよう。ダンのことを呪わない。殺さない。普通に接する」

「優しく」

「普通に接する」

「……いいよ。それで。……睨むのは駄目ね。はぁ……」

「……もういいか?」


 あたしの額に、イヴリンが自分の額を押し付けてくる。構ってと言いたげな紫の瞳で見つめられたら、彼女の我儘を全て許し、頭を撫でて、甘やかしてしまいたくなる。


(だってお仕事頑張ってくれてるし、あたしのために色々やってくれてるのもわかってるし、だからこそ……ああ……もう……)


 瞼を閉じて、唇が触れそうで触れない距離にいるイヴリンを感じる。吐息の感触、髪の毛の感触、匂い、視線、体温。


 学生時代は、話したこともなかったのに。

 今ではこんなにも側にいて、日々愛情は強くなっていく一方だ。


 瞼を上げて彼女を見つめる。


「ね、イヴ」

「新婚という言葉は、あながち間違いではないだろ?」

「ねーえ。……言おうとしたこと先に言わないで?」


 思ったことを先読みしてしまう彼女と、同じタイミングで吹き出し、クスクス笑いながら、互いへ甘い唇を贈った。

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