第16話 肌がきれい

 眼鏡を贈ってもらってから、毎日身につけていた。最初はきついかもしれないと心配していた度も、慣れてくればどうってことない。工学部の連中には、誰だよとか急にどうしたとか、もしかして今まで実験の計器よく見えてなかったのかとか、最初は色々言われたが、皆も次第に慣れたらしく、二、三日経つとかけているのが当たり前になった。

 眼鏡を買った後、初めて学内でお昼時に待ち合わせた際、持留が優しげに目を細めたのが仔細に見えて、あまりにも鮮やかだった。

「眼鏡、かけてくれてる。嬉しい」

 視界がくっきりとしてから、気づいたことがある。それは持留は肌がきれいだということ。タオルで雑に顔を拭う自分を省みたくなるくらいには、ぴかぴかだった。



 持留は五月二一日生まれ。斉賀の誕生日後、息つく間もなく彼の誕生日がくる。彼の好きなものは思いつくが、彼が今欲しいものは思い浮かばない。金木犀、甘いもの、犬の何か。それらをなんとなく贈っても斉賀が眼鏡をもらった時ほどの喜びは与えられない気がする。観念して、昼休みに会う時に直接聞いた。

「なんか欲しいものないか。もうすぐ誕生日だろ」

「欲しいもの? うーん。なんだろ」

 定食にセットになっている味噌汁を飲みながら、持留は首を傾げた。

「チョコレートとかいいな」

「チョコはすぐ買えるし。なんかもっと特別なもの」

「んー、別にいいよ。そんな気を遣わなくて」

「やだよ。お祝いしたい」

 唐揚げに夢中になっている彼を見ながら、何がいいか改めて考える。彼に贈りたいもの。ふと思いついて、言った。

「裕って肌きれいだよな。なんかそういう関係のどうだ」

 持留は手に持っていた箸とご飯茶碗を咄嗟、という風に持ち上げて顔を隠した。急な動作に驚きつつ、恥ずかしがっていることを察する。思っていることが素直に口から出ただけではあったが、よく考えると急に肌に言及するのは変かもしれない。慌てる。

「あ、なんか悪い。顔に塗るやつとかこだわってるのかって思って、こだわってるなら欲しいものもあるかと」

「全然こだわってないよ。安いのしか使ってない」

「あ、でもやっぱり何か使ってるのか」

「今どき男でも化粧水とか乳液くらい塗るし。普通にドラッグストアに売ってるやつだし」

 持留が顔を隠していた箸と茶碗を下ろす。ほっぺたが照れた名残みたいに少し赤かった。

「俺なんもしてないけど、もしややばいのか。髭剃りのあとアフターシェーブ塗るくらいなんだけど」

 肌の調子など気にしたことがなかったし、アフターシェーブローションも、ひりつきが気になって塗っているだけだった。けれど、目の前にきれいな同性がいるので気になる。

「や、人それぞれだから。でも試しに一回使ってみてもいいんじゃないかな」

「そうか。ちなみに持留は毎日塗ってるのか」

「うん、毎日朝夜は塗るかな」

 はーっと感心して声を漏らした。

「すげえ。ちゃんとしてるな」

「いや、もう習慣。歯磨きと一緒」

 彼は恥ずかしそうに謙遜した。

「女の子は絶対もっと大変だよ。スキンケアも手順多くなるだろうし」

「そうか。……化粧水で試してみたいものとかないのか」

「ううん、大丈夫。本当に気にしないで。永一郎は仕送りだけで生活してるんだよね? そんなお金を使わせるの、親御さんに申し訳ない」

 痛いところを突かれて、斉賀は黙った。持留の言う通りで、アルバイトもしていないし、親が払ってくれるお金で生活が成り立っている。その生活費で人に高価なものをプレゼントをするというのは、いかがなものか。斉賀も薄々そう思ってはいたのだが、どうしても彼を祝うのに相応しいものを送りたかったのだ。

 苦肉の策で、一つ提案をする。

「確かに……じゃあ、俺という労働力をプレゼントしよう」

「ん? どういう意味」

 怪訝な顔を見せてくる。

「そのまんま。なんか重いもの運ぶ時とか、車で迎えに来て欲しい時とか、どこか遠く行きたい時とか、掃除しないといけない時とか、まあなんでも。人手が欲しい時に呼んでくれよ」

「なにそれ、何でも屋みたいだ」

 笑ってくれた。

「でも、いいね。それ。何かあったらよろしくお願いします。車で遠出とか、普通にドライブになって楽しそうだ」

「そうだな。あ、夏休みになったら、帰省する時、鹿児島まで送るよ。俺も裕の話聞いて、鹿児島行ってみたいって思ってたし」

「ありがとうね。色々考えてくれて」

 優しい顔で見つめてくるから、一生懸命に彼の祝いを考える自分を俯瞰して恥ずかしくなった。

 食事を終えて、トレーを抱えて席を立つ。この後は二人とも講義があった。出入口へ向かって歩く。

「誕生日何して過ごすんだ? 」

 なんとなく聞きながら、彼女と過ごすという答えがかえってくるかもしれないと、ふと身構えた。と同時に、あの疑問が頭をもたげる。

「平日だし、普通にバイト入れた」

「そうか」

 一拍置いて、勢いで口を開いた。

「すごい今更だけど彼女、いないんだっけ」

 今なら聞ける、と昨年夏から抱える疑問をすかさずぶつけた。わりかし自然に聞けたのではないか、と心の中で満足する。ずっとシミュレーションしていたものが急に現実になって、ここから先はどういう展開になるのだろうと、予告を見ていた映画の続きを見る気持ちになる。

「いないよ」

 ぽつりと返ってきた声色が想定外に固い。一転して、失敗してしまった気持ちになった。そもそも、どういう返事が返ってくると自分は想定していたのか。

「そんな聞かれちゃうと、なんか誕生日に一人で過ごす寂しい人みたいになるじゃん」

 そう言葉を継いで、持留が笑って見せる。無理して明るく答えたことが分かる。

「じゃあ」

 彼が小さく手を振る。文学部の講義棟へ向かう後ろ姿を見送る。

 聞かなきゃよかった。沈んだ気持ちで、斉賀も歩き出す。踏み込みすぎた質問なのか、そういう話が彼も好きでないのか。自分らしくないことが気になって、似合わないことを聞いてしまった。深くため息をつく。

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