俺が知った「賢者」ネリト・アークの件
◆俺が知った「賢者」ネリト・アークの件
ネリト・アーク。
シヴァ帝国の大貴族であるアーク侯爵家の次期当主で、高名な「賢者」様だそうだ。
奴は今回のクローディア・カーン辺境伯夫人を狙っているカーン辺境伯領で指名手配されている容疑者であり、ミシェラとは帝国学園で同じクラスの同期だったらしい。
クローディアがその実年齢よりも若く見えるため、全く違和感が仕事をしていないが、実際、クローディアにはネリトと同い年の長女がいる。つまり、親子程度の歳の差があるのは揺るがない事実だ。
そのネリトと同期で同じクラスだったミシェラ曰く、ネリトは学園生時代、品行方正とは真逆の性に奔放過ぎる大問題児で、既婚女性を相手に両手両足の数では圧倒的に足りない三桁を超える浮き名を流し、好みの女性には漏れなく粉をかけていた女好き。それを語っていたミシェラの眼には強い侮蔑と嫌悪の感情が滲み出ていた。
ネリトの実家のアーク侯爵家は代々優秀な「賢者」を輩出していて、その信頼からか、シヴァ帝国の魔術に関する知識を全て独占している。そのため、アーク侯爵家の傘下ではない帝国貴族の魔術師は大成できないと、まことしやかな噂が帝国内で流れているが、それどころか、アーク侯爵家と傘下の貴族家が積極的に彼等・彼女等を潰している。
アーク侯爵家現当主であるティアス・アークも、この息子にして、この親ありといったクズの極み。勇者の家系と言われている盟友のキリク侯爵家傘下のボン伯爵夫人を略奪して、ネリトにとって腹違いの弟のルカスを彼女に産ませたらしい。
妻を奪われたボン伯爵は当然抗議するも、ティアスが聞き届けることはなく、自身の主筋であるキリク侯爵家はアーク侯爵家に味方して、ボン伯爵に「愛想を尽かされた方が悪い」と言いだす始末。
元ボン伯爵夫人も、これまで愛し合っていたボン伯爵のことを、まるで以前毛嫌いしていたティアス・アーク侯爵に対して接していたかの様に、痛烈な拒絶の言葉を浴びせて、ボン伯爵を追い返したことがシヴァ帝国貴族の社交界で今猶知れ渡っている。
激しく絶望したボン伯爵は、現シヴァ皇帝に爵位を信頼している親戚に譲位することを直接伝えた。その後、その後を継いだ新ボン伯爵によって彼、元ボン伯爵の病死が公表され、厳かにその葬儀が行われた。
奇妙なことに、その葬儀に招待されていない、されるはずのないアーク侯爵夫人、元ボン伯爵夫人が強引に葬儀に参列しようとしたらしい。
当然の如く元ボン伯爵の遺族全員はもとより、アーク侯爵夫人になるにあたって、縁を切られた自身の両親・親族達からも相手にされず、アーク侯爵夫人は葬儀から締め出された。
それから、その翌日、元ボン伯爵との思い出の場所で、彼から送られた首飾りと、それが届いたときに添えられていた手紙を抱きしめ、悲しみの表情で顔を歪めて冷たくなった元ボン伯爵夫人が発見された。
一方、件のティアス・アーク侯爵はというと、身分を問わず、別の女性達の尻を追いかけ回り、実子のルカスを産ませた元ボン伯爵夫人には完全に興味を失ったばかりか、まだ幼いルカスを夫人の実家に追放する様にアーク侯爵家から追い出したらしい。
この蛮行はアーク侯爵家の行っている悪事の氷山の一角である。目をつけられた下級貴族と平民の女性達は文字通りアーク侯爵家の男達の性欲の捌け口として使い捨てられて、行方不明者として扱われているか、犯人不明の迷宮入り事件として処理されている。
それだけでなく、そうした扱いもされずに表に出ないものは百件を軽く超えているらしいと、『アイテムボックス』経由で、アーク侯爵家とキリク侯爵家、カーン辺境伯家など俺が関わることになると思われるシヴァ帝国貴族達の情報をまとめて送ってくれたユグドラが教えてくれた。
奴隷という立場ではあるけれども、ユグドラは身柄を預けられている奴隷店の店主の奥さんとは仲がよく、彼女に頼んで、俺のためになると思われるいろいろな情報を集めてくれているらしい。
余談だが、ティアス・アーク侯爵はある日の夜に、屋敷から突然、姿を消し、白目を剥いて、気絶している全裸状態で唐突に帝都の中央大通りにある噴水に【転移】してきたそうだ。
夜ではあったが、人通りがまだ少なくない時間だったため、すぐにその醜態の醜聞はシヴァ帝国の上下を問わず、瞬く間に広く知れ渡って、ティアス侯爵は社会的に完全に死んだそうだ。敢えて言うが、この件に俺は一切、関わってはいない。
社会的に死んで、自信も完全に喪失して人目に怯える様になったティアス侯爵は当初の予定を大幅に早めて、嫡男の後継者であるネリトへアーク侯爵家の家督を譲る手続きを進めているとユグドラが教えてくれた。
「おはようございます♪」
昨日別れた時よりも、明らかにその肌艶が増して、ツヤツヤしているクローディアが嬉しそうに、俺に向かって朝の挨拶をしてきた。彼女の横にいるテオドールはそのクローディアとは対照的に両頬が若干痩せこけてはいるものの、昨日まで纏っていた剣呑な空気は完全に霧散していた。
まぁ、ナニがあったかを具体的に言及するのは野暮だな。
クローディアが【認識改変】の完了間近の状態である説明をした後、俺から見て、如何にテオドール達がネリト達に対して、危険で不味い状況にあるかを懇切詳しく、クローディアを含めた、あの場にいた全員に説明した。そして、ネリト達への対策を提案し、共有した。
「ジェイド様、昨日、クローディア様に渡されたのはなんですか?」
俺に
ネリトの【認識改変】対策を共有した後、【認識改変】に対抗するために、術の中心となっているクローディアとテオドールを二人だけにする必要があったので、俺は秘蔵の『翡翠竜印の蜂蜜酒』を二人に一本ずつ渡した。
「この蜂蜜酒の効能は、覚醒作用と滋養強壮、精力アップに加え、命中率アップ。
人体に有害・危険な副作用は臨床試験で発生しないことは確認済みだ」
話題の蜂蜜酒の瓶を片手に取り出した俺の回答を聴いて、乙女二人は顔を赤くした。ああ、初心ですねぇ。ニヤニヤ。
更に、必中と精力・体力を朝日が昇るまで、無尽蔵にするワンランク上の蜂蜜酒も『アイテムボックス』内にダース単位でストックしてある。しかし、テオドールとクローディアのあの様子を見る限り、別にそれがなくとも、近いうちに高い確率でマリアの弟か妹ができるかもしれないな。
とても信じられないかもしれないが、【認識改変】対策として、記憶・思い出を重ねるという意味でも二人がシたことは特に効果的な行為だ。
俺が墓守りとして引きこもる前でも、【認識改変】を悪用して人々を苦しめた
獲物への【認識改変】を失敗して絶望に染まって追い詰められた害虫共に煮え湯を飲ませて、生きたまま地獄送りにしたのは今となってはいい思い出だ。
また、ネリトがクローディアにかけた【認識改変】の術式を診た限り、奴等が使っている【認識改変】の術式は、俺が墓守りになる前に潰した賢者共が使っていたものと全く変わっていなかった。
無駄な部分が多々あるなど、改良の余地があるのはもとより、欠陥部分等が全く放置されたままだった。欠陥を全く修正しないで使い続けて「賢者」を名乗っているとは全く以って、片腹痛い。
後日、逃亡したネリト達がまたカーン辺境伯城に戻って来るのは、伝え聞いたその性格から明らかなので、昨日の対ネリトの仕込みの傍ら、【並列思考】で俺は片手間で【認識改変】の術式を弄りまくった。
無駄な魔力消費部分を削り、進捗速度を僅かだが上げることに成功。施術時に消費する魔力を削ることに成功して発動速度も向上させた改良版【認識改変】を作成した。
今後、俺が使用するかは未知数だが、他人に教え授けることを絶対にしない魔術の中にこの【認識改変・改】が加わった。
それから、ネリトが使っていた部屋に残っていた壊れた魔導具の残骸を詳しく調べて分かったことだが、この【転移】を付与した使い捨ての魔導具を使って、ネリトは自身のホームであるアーク侯爵家領の領都へ逃走していた。
そのホームへ逃亡したネリトは、クローディアの【認識改変】が予定通り完了したと思ったのか、認識が変わったクローディアによって、蛇蝎の様に毛嫌いされるテオドールが慌てるのを楽しむべく、どうやらしばらくカーン辺境伯領の動きを傍観するつもりらしい。
俺はそれをスキル【
ネリトの居場所を捕捉するのに時間がかかってしまった原因は破壊した魔力膜(仮)の術式から逆探知で辿り着いたネリトに付けていたスキル【目印付与】の反応がカーン辺境伯領内ではなく、予想から大きく離れた場所にあるアーク侯爵領の領都にあったのと、俺が現在の地理が全く分からなかったためだ。
カーン辺境伯領のテオドール達の居城からアーク侯爵領の領都までの距離は、現在帝国中に流通している普通の馬車の速度で片道1月半。
テオドールは緊急時の連絡手段である『魔力通信』で、ネリトがクローディアの治療を途中で放棄して、カーン辺境伯領から姿を眩ませたことに対する抗議をアーク侯爵家へ行った。
また、現シヴァ皇帝へも、今回のネリトとアーク侯爵家の蛮行と使用された【認識改変】の危険性とネリトの仕事放棄と部下と共に無断帰還を『魔力通信』で伝えると共に、その証拠品や報告書類を持たせた使者を、昨日の話し合い直後に、早馬で帝都へ派遣した。
一仕事終えて、思わず口から砂糖を大量生産してしまいそうな雰囲気を周囲に拡散し続けているテオドールとクローディア夫妻。朝食を摂り終えた二人のその様子を苦笑いしつつ見守っているマリア達に俺はネリト達の動きを伝えた。
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