第11話 デートタイム〈六の姫イザベル〉


 あたしはあたしの好みがよく分からない。

 まったくもって、分からない。

 むしろ、分かりたくない。

 でも、気になってしょうがない。

 



 そんなことをうだうだと考えていた、儀式の3週目。

「今週より、デートタイムに入ります。

 希望票はもう提出する必要はございません。組み合わせをこちらで決めて、毎朝お知らせいたします。

 場所は、トークタイムの部屋のほか、それ以外の部屋とガーデンもお使いいただけます。

 午後はこれまでと同様にお過ごしください。

 では、部屋をご案内いたしますので、どうぞこちらに。」


 音楽室、ダンス室、美術室、図書室、実験室、どれも何とかなるわね。といっても、誰に披露のしようもないのが一番の問題じゃない。

 ガーデンの四阿、噴水、蔓薔薇の小道。ここで披露するとすれば、何がベター?とりあえず、あたしの火魔法を使ったら燃えてしまうわね。

 だいたい、場所がかぶったらどうするわけ?ああでも、あの3人の姫ならトラブルにはならないかも。あたしがクレームをつけるくらいね。


 ともかく今日は、午後のお茶会がメインよ。是非、誘いにのってちょうだい。


 そして、午後のお茶会はあたしを含め4人の姫がそろい、実に有意義だった。そう、あたし以外の姫にとって!

 あたしが知りたかったのは、ほかの王子のことも聞きたくないとは言わないけれど、何よりも知りたかったのは、ユリウス王子のこと。

 それが結局……!


 “のんびりとした雰囲気をお持ちの方です。”

 “楽なことがお好きなように見えて、つかみどころのない方だと思いましたわ。”

 “良い質問を立てられる方です。探究心をお持ちのようですね。”

 “箱庭について興味をお持ちのようです。”

 “箱庭の卵についても。”

 “実は、卵を食べてみたいのでしょうか?”


 参考になる箇所が欠片もないわ!

 あたしがよく分からないから聞いてみたというのに、この結果!

 結局、自分でどんな王子か確かめるしかないってわけね……。


 ラクなことが好きで、やる気の欠片もなく。

 箱庭とか卵とか、答えの出ない問いをわざわざ相手に投げかけ。

 のんびりとした雰囲気どころか、相手を巻き込むくらいの悠長さを発揮しておいて。

 人柄も能力も何もかも、それですべて覆い隠すかのように。

 

 分からない。いえ、分からないから気になるのではないのよ。

 あたしは、あの、どうでもいいほどの、のんびりとした雰囲気が、何か気になって。

 なぜか気になって。


 


 翌朝、ガーデンに出向いてみれば、デートタイムのお相手はユリウス王子だった。

 これはまた、いい機会!気になるところを解明して、さっさと気にならなくなりたいわ。

 と言いつつ、またあの箱庭とか卵とかそんな話のお相手を、結局あたしはするのかしらね?

 それとも。

 テーブルの向かいでユリウス王子がにっこりと笑った。


「イザベル姫、どこに行こっか?どこも面白そうだから、ちょっと悩むな~。でもオレは、実験室なんて、いいと思うんだけどさ?」

 デートタイム1回目だし、ひねらなくていいわ。もうちょっと普通の選択肢を出しなさいよ。ダンス室とか、音楽室とか、ガーデンとか!

「ダンス室はいかが?」

 とりあえず、踊っておけば間が持つわ。箱庭や卵の会話をするよりマシでしょうよ。

 それなのに。

「姫は日焼けとか気にする?」

「ええ。」

 当然、気をつかっているに決まってるでしょ。

「じゃ、四阿にしよう。」

 人の話を聞いているの、いないの!?


 心地よい風と、紅茶の香り。

 四阿は緑に囲まれ、小道の両側には花壇が続く。

 ユリウス王子は行儀悪くテーブルに頬杖をつき、小道の向こうを見ている。それが何かサマになっているものだから癪に障るわ。あたしを放っておいて、そんなことをしているのもね。


 いえ、放っておかれている、わけではないかもしれないわ。

 あたしは今、どんな会話にしようか迷っているのよ。

 それを待ってくれているのかもしれない。そんな馬鹿な!このお気楽王子は、単にぼーっとしたいだけでしょ。


「何を話したいか決まった?オレは何でもいいよ。ただこうやって、のんびり過ごすのもいいよね?」

 これ以上のんびりして、どうしようというの!?

 あたしは、なれない。これ以上のんびりなんてなれない。

 今ののんびり具合でさえ、慣れなくて、居心地悪くて、でも……。


 いいえ、あたしが会話に迷っていたのを気づかれていたなんて、屈辱だわ。

 こういう時こそ、磨いた社交術を役立てなくてどうするの。

 それなのに。屈辱ということも、役立つということも、何かどうでもよくなってきて。

 どうでもいいわけないわ。けれど、それ以上の熱意も出てこなくて。


「ユリウス様、お菓子はお好きですの?」

 とりあえず、目の前にあるものを話題にすることにした。

 というか、口から出てきてしまったのよ。いつもよりお茶菓子の種類が多いから、さっきから気になって。

 

 王子がにっこりと笑う。 

「オレ?好きだよ。だから女官に頼んでみたんだ。どれがいいか迷ったんだよね~。

 キルシュトルテ、ケーゼクーヘン、アプフェルシュトゥルーデル、どれも捨てがたいと思わない?」

 あたしも甘いものは好きだけど。

「どれも捨てがたいのは認めますわ。さくらんぼに、チーズに、りんご、どれも美味しそうにしか見えませんわ。しかし!一度に全部並べる必要はないのではなくて?」

「そうかな~?美味しそうだからこそ、そう思ったときに食べたくならない?」

「あなたは3切れ食べられますの?」

「オレはいけるよ。倍でも。」

 ……こういうのに付き合うと、こちらのペースを狂わされるだけ!

「わたくしは一切れいただきます。」

「でも、捨てがたいのに選べるの?」

 ……ああ言えばこう言う!

「選びますから、ちょっとお待ちになってくださる?」

 ユリウス王子がにっこり笑った。

「無理に選ばなくてもさ、例えばこういう方法もあるし。」

 王子はそれぞれを3分の1ずつ切り分けると、皿に盛ってあたしに差し出した。

 その盛り付け方がこう、何かおしゃれで。あたしは余計にムッとする。

「どうぞ、姫君。」

 マナーは!?と思いつつも、結局それをいただいた。

 ちなみに、選び難かっただけあってどれも美味しく、あたしはとても満足した。

 馬鹿馬鹿しすぎる、有意義さの欠片もないティータイムであったけれど、あたしは満足してしまった。

 ちなみに切り分けた残りは、ユリウス王子が嬉しそうに全部食べていたわ。

 別に嘘だと思ったわけじゃないけれど、確かに甘いものは好きなようね。




 翌日、デートタイムの2回目は、またユリウス王子がお相手になった。

 そうよ、今日こそ、気になるところを解明して、さっさと気にならなくなるのよ!

 と、気合を入れたものの、本人を目の前にするとどうもペースが狂う。

 しかし、主導権を握られてばかりでは後手に回り、状況が不利になるだけ。ここはひとつ、あたしから提案するのよ。例えばあたしが何か曲を披露すれば、何かしら賞賛の言葉を言わないわけにはいかないものね、そんなふうに。……あのお気楽王子が言うかしら?

 とかなんとか、考えすぎていたら結局。


「今日は音楽室に行こうよ。」

とユリウス王子に決められてしまった。勝手に決めないでくださる?そう言おうとして、王子の何か楽しそうな雰囲気に、あたしとしたことが言いそびれてしまい。

 今あたしは、音楽室のソファに座らされている。不本意だわ。先にあたしがクラヴィーアの曲でも披露しようとしたのに、結果こうなって。

 

 ユリウス王子が一礼した。これでも王子だというのがよく分かる、優雅さで。

 王子が弦楽器を構える。ビオラかしら。


 少し低めの落ち着いたやわらかい音色、ビオラの独奏。

 あたしはその最初の音から、悔しいことに魅入られてしまった。

 技巧ももちろんだけれど、その表現力、それ以上の何か。

 どこまでものんびりとした雰囲気をまとったこの王子が、初めて見せた真摯な情熱。


 曲が終わる。

 あたしは拍手も忘れて、その余韻にひたってしまった。


 ユリウス王子があたしの隣に座る、先ほどまでの雰囲気はすっかり霧散させて。

「気に入ってくれた?」

「賞賛いたしますわ。」

 悔しいけれどそうとしか言いようがないのよ。なのに、ユリウス王子は興味なさそうにこう言う。

「そういうのじゃないんだよね~。姫が、気に入った?」

 客観的な評価でなく、あたしがどう思ったかを聞くというのね!?

「気に入りましたわ。もう一度、いえ、何度でも聴かせていただきたいくらいですわ。」

 言ってから、何か腹ただしくなってしまった。だからこう付け加えてしまう。

「こう言えば満足かしら?」

 だからといって、ああもう、可愛げのないことを言ってしまったわ。あたしに可愛げなんてものがあるかどうかはともかく。けれど王子は。

「すごく満足!

 オレはさ、聴き手を選びたいんだよね。どうでもいいヤツに聴かせても意味がない。」

 どうでもいい相手だとしても、聴かせなくてはならないのが王子とか姫ではなくて!? 

 それに、その言い方。王子にとってあたしは特別と言ってるのと同義だから、勘違いさせたくないなら、やめておいた方がよろしくてよ!


 そして結局、あたしは何も披露することなく、2回目のデートタイムも終わってしまった。

 ユリウス王子相手に何か披露したところで、何とも、どうとも、ならない気しかしないけれど。

 とはいえ、あたしは何かこう、PRするべきでしょ!?

 だいたい、それ以外に何があるというの!

 



 翌日、デートタイムの3回目は、またユリウス王子がお相手だった。

 今日こそ、今日こそ、気になるところを解明して、さっさと気にならなくなるのよ!!

 と、昨日と同じことに気合を入れているあたしって、どうなの……。

 ああもう、ペースが狂わされてしょうがないとか言ってる場合じゃないわ。なのに!?

 テーブルの向かいでユリウス王子がにっこりと笑う。


「目隠しされるのと、目を閉じておくのと、どっちがいい?」

 ……さすがに意味が分からないわ。何かゲームでもするつもり?

「姫は目隠しをしてもキレイに違いないけどね?」

 やめてちょうだい、あたしにそういう趣味はなくてよ。じゃなくて!

「ユリウス様、わたくしをどこに連れていくおつもりですの?」

 王子がのんびりと笑う。

「それを内緒にするための目隠しだよ?コインで決めよっか。」

 どこに隠し持っていたのか、ユリウス王子がコインを投げる。

「裏か表か、どっち?」

「……表で。」

 ユリウス王子がコインを見せる。

「オレの勝ち。さあ目を閉じて、開けちゃだめだよ?」

 そしてあたしは、ため息をついた。そう、賭けなどそもそもする必要はなかった。あたしがただ、何と言われようとしないと言えばよかったのに、またも王子のペースに巻き込まれてしまった。

 とはいえ、賭けに応じてしまったものはどうしようもなく、目を閉じる。


 ユリウス王子のエスコートは、意外にも細やかな気づかいにあふれていた。目を閉じさせられているから当然ではあるけれど。そうでなければ無様に転ぶわ。

 目を閉じたまま小道を進み、館に入ったようだった。方向的にもここは第三館ね。階段を上がる。

 上り切ったところで、くるりとくるりと向きを変えられた。方向感覚が狂う。

 それからさらに手を引かれ、入った部屋は。


 かすかに見知った独特の匂いがする、これは画材?ということは美術室。

 意味が分からないわ。わざわざここに来るのに、目を閉じさせる必要などないでしょうよ。

 そしてソファに座らされ、ユリウス王子の手が離れる。

「そのままじっと座っていて、目は閉じたままでね。」

「閉じたまま?」

と思わず聞き返せば。

「賭けに負けたでしょ?」

 いつまで閉じたままかは決めていなくてよ!と思いつつも、もう投げやりな心境になった。

 王子のしたいようにさせないと、終わらないわ。

 

 王子があたしの向かいに座ったような気配がする。そして。

 静かな部屋に、かすかな音が響く。何かが擦れるような、短い音が断続的に。

 ……いったい何を描いているのかしらね?

 描いているのはあたしではなく、部屋にある静物画という結末もありそうだけれどもね!


 どのくらい時間が経ったのか。目を閉じていると、よくわからないわ。

 ただ、ユリウス王子ののんびりとした雰囲気はここでも発揮されていて、不覚にもあたしはぼーっとしてしまった。本当に不覚。  

 

「いいよ、目を開けて、でも、もう少しだけ、じっとしていて。」

 向かいのユリウス王子は、クリーム色のざらっとした画紙に向かい、右手を動かしている。


 意味が分からないわ。

 絵のモデルにしたいならしたいで、そう言えばいいだけでしょ。

 それとも、あたしが拒否するとでも?……拒否するに決まっているわ!


「うん、こんなものかな。姫、どうぞ。」

と差し出されたのは、素描。

 描かれているのは確かに、あたし。


 似ているとか、技巧がとか、上手いとか、そんな問題じゃないわ。 

 そこに描かれたあたしは、何てキレイなんだろうと、そんなことを思った。

 外見的なものではなく、そこにあらわれる内面の、心の。

 あり得ないわ。

 あたしの中は、もっと濁って、どろどろしたものでいっぱいだというのに。


「どう、気に入った?」

 それを聞くの!?あたしは、あたしは……。

「嬉しいですわ、こんなにキレイに描いていただいて。

 ですが、わたくしはこれほどキレイではありませんわ。」

「そこは、重要じゃないね、姫が思うほどキレイかどうかは。

 だってこれは、オレから見た姫だからね。」

 ……一瞬、呆然とした、このあたしとしたことが。


 ユリウス王子があたしの隣に座ると、画紙のある部分を指さす。

「本当はね、パステルにしようかどうか、迷ったんだ~。

 黒一色じゃね、姫の髪の美しさが表せないから。」

 髪、その一言に我に返って、あたしはキっとユリウス王子を見返す。けれど、あたしの視線などものともせず王子はにっこりと笑った。

「ダメだよ、オレを卵を孵す王子に勧誘したくなっても。」


 ……あたしは、そんなこと、ひとっことも、言ってなくてよ!!!



 その夜、そろそろ就寝の時間だというのに、あたしは行儀悪く出窓に座って外を見ていた。

 窓の向こうの暗闇、その少し先、小道あたりに光玉がひとつ、ふたつ、ふよふよと浮いている。

 

 あたしはユリウス王子の言葉を思い出す。

 “ダメだよ、オレを卵を孵す王子に勧誘したくなっても。”

 認めたくないわ。ちょっとへこんでいるなんて!

 ユリウス王子が気になっているのを見透かされたようで、いたたまれない気持ちだなんてね!


 まったく!!あたしに好みがあるとして、だからどうだというの。

 だいたいこの好みじたい、どうかと思うし。

 そもそも、あたしに好みがあるなら、相手にも好みがあるでしょうしね。

 相手に好みがあるとして、だからどうだというの。あたしにはどうにもできないわ。

 で、結局あたしは、どうしたいというのかしらね!?


 ああもう、わかってたわ。認めたくなかっただけで。

 あたしは、ピリピリしている、いつも、いつも。

 誰かに非難されるのが当たり前のあたしは、常に警戒態勢、常に臨戦状態。まさに全身トゲトゲ状態よ!

 それが。ユリウス王子のそばにいると、それが。

 あののんびりとした雰囲気に、あの悠長さに巻き込まれて。 

 なんかもう、どうでもいいような気分になってしまうのよ、このあたしが。


 本当に、あのお気楽王子は何がしたいというの。

 あたしの機嫌を取るような、あたしの反応を見るような、あたしが特別であるかのような行動をしておいて、それでこのセリフ。

 “ダメだよ、オレを卵を孵す王子に勧誘したくなっても。”


 窓の向こう、ふよふよと浮いていた光玉はどこかに行ってしまった。

 残されたのは、ただ暗闇。何もない暗闇。

 そう、それで良かったのに。暗闇に光などあるわけがない、それが。

 暗闇に小さな光があると知らなければ、こんな気持ちになることはなかった。 

 さみしい、などと。

 こんな感情、持ちたくはないのに。




 デートタイム4日目、あたしのお相手はまた、ユリウス王子だった。

 とりあえず、今日が終われば休日よ。今日のデートタイムに意味があろうとなかろうとね。

 ユリウス王子はいつもどおりのお気楽な雰囲気をまとって、あたしに話しかける。

「今日はさ、ガーデンの奥に行ってみない?」

「わざわざ奥まで行かなくとも、近くでけっこうでしてよ。」

「それだとね~、ほかの組み合わせに出会っちゃうかもしれないじゃん?」

 あなたがそれを言うの、まったく気にしなさそうなあなたが!

「繊細なオレとしては、ほかの姫や王子に出会わない場所がいいかな?」

 

 そして結局あたしは、ガーデンのさらに奥まったところにあるベンチに連れてこられてしまった。

 木陰にあるのが、せめてもの気づかいかもしれなくてもね。

 ベンチに並んで座る。

 それとなく隣を見れば、ユリウス王子はこれで満足とでもいうように、頬杖をついて小道の樹々を眺めている。

 今日くらい、あたしが話題を振った方がいいのかしらね?

  

「今週は、箱庭とか、卵とか、そんな話はなさいませんのね。」

「あれ、それ話したかったなら、言ってくれれば~。オレ、嬉しいな。今からでもしよっか?」

「なさらなくて、けっこう。」

 とりあえず即答よ。

「残念だな~。」

 などど言われても無視よ、なぜなら。


 例えば、この世界はなぜ存在するのか、なんて問いかけても、そう簡単に答えはでないわ。

 存在するとしか言えない、そういう部分があるからよ。

 あたしの髪の色がなぜ赤毛なのかと問いかけても、結局そうであるものは仕方ないとしか言えないように。


 そうね、だから。あたしは、あたしの優良スキルを価値があると認めてほしい。それによって、あたしという人間にも価値があると認めてほしい。

 あたしは結局、あたしという人間に価値があると誰かに言って欲しいのよ。だから、優良スキルをアピールするしかなくなるわけ。そんな誰かがいると想像できないから、余計に。

 

 そんな下らないことを考えていたあたしを、ユリウス王子が見ていたのに気づいた。

 何かしら!?


「凛とした美しい魂。」


 ……は?

「イザベル姫のことだよ。

 あ、こんなセリフ、怪しいヤツだと思ってるね?」

 ……怪しいでなければ、何だというの!?


「姫は国を出ようとは思わない?」

 唐突に話題が変わる。もう、本当に何だというの。

「今のところ、留学や長期視察の予定はありませんわ。」


「そうじゃなくてさ。オレ、姫の国では赤毛が疎まれているの、知ってるんだ。

 だからさ、ほかの国に行ってみないかって。」


 あたしは思わず、キっとユリウス王子を睨みつけてしまった。 

 ええ、わかってるわ。知ってるわ。

 赤毛を嫌ったりしない国はあるってこと。

 でも。

 それでも。

 だからこそ。

 わかってるわ、怖いのよ。

 わかってるわ。つまりは、あたしが臆病だってこと。


 もし、そんな国に行って、それでもあたしが嫌われたら?

 そうしたら、あたしはもう、本当にどうしたらいいかわからない。

 だから、行きたいわ、行きたくて。でも、どうしても行けないのよ。


 ユリウス王子がのんびりと、あたしの返事を待っている。

 怖いなどとは言いたくない。だから、あたしはごまかすことにする。

「逃げるのは、何か悔しいのですわ。」


「世界は広いよ。」

と、ユリウス王子がおどけたように笑った。

「何しろ十国もあるんだから。君の行きたいところに、行けばいい。」


 ……あたしとしたことが、不覚にも。

 不覚にも目頭が熱くなって。

 ユリウス王子とは反対側を向いて、無理矢理ツンとしたふうを装った。


「ごめんね、オレは卵を孵す王子にはなれないのに。

 何か惑わせるようなことを言っちゃって。」

 その通りですわ。本当に何だというの、このユリウス王子は。四国に視察に来たらいいとか、誘うわけでもないのに!

 いえ待って、その言い方、その含みのある言い方、気になったわ。


「ユリウス様は、卵を孵す王子にはなれないと、はっきりお分かりになりますの?」

「そりゃそうだよ~、お相手の姫君がいないからね?」

 王子がゆるく笑う。

 あたしは小さく息をついた。そして、取り澄ました表情で言ってあげる。

「あなたがお相手ならば、わたくし、卵を孵す姫になってもよろしくてよ。」

 けれどユリウス王子は。

「嬉しいな~。オレ、すっごく嬉しい。」

 王子がゆるく笑う。それでも、あたしに卵を孵すことを誘わないのね?


「お詫びに、オレのことを話すよ、おもしろい話でもないけどさ。」

 また、唐突に話題が変わった。本当に、この王子の側近は大変ではないかしらね?

「四国では、双子が忌まれるんだ。

 ああ、失敗したかな。姫、そんな顔しないで。

 双子の兄だか弟だかは、生まれてすぐ亡くなった。今はオレしかいない。それでも、双子だったってのが問題でさ。

 まあ、特に騒いでるのが前王の祖父なんだけどね。どうにも頑固で困ってるわけ。

 その前王に言われたんだよ、箱庭に来る前に。死んで来いとね。

 でもオレ、死ぬ気はないんだよね~。」

 

 その口調に悲愴感はなくて、あたしは少しほっとした。だからここは追求しなくてはね。

「ちょっと待ってくださいませ。なぜ死ぬだのなんだのという話になりますの、単に箱庭の儀式に参加するだけで。」

「……そっか、姫は知らなかったんだね。ごめん、オレ、今日は失敗ばかりだ。」

 口を閉ざそうとするユリウス王子にカチンときた。

 ここまで意味深なことを言っておいて、それであたしが引き下がるとでも!?もったいぶらずに、さっさと話しなさいな!!

「ユリウス様、わたくしにお話いただけますわよね?」

 とっておきの笑みを浮かべてみせれば、それでも王子はゆるく笑う。

「姫は怖いもの知らずだね、聞かない方がいいよ?」


 あたしは少し考え、切り札になるかもしれない言葉を思い出した。

「わたくし、箱庭に来る前に六国の陛下から申し渡されましたの。

 “役割を果たせ、さもなくば生贄になれ”と。」

 

 ユリウス王子の顔から一瞬、表情が抜け落ち、なぜか鳥肌が立った。

「あ、ごめん、何か腹が立っちゃってさ~。」

 すぐにいつもの雰囲気に戻った王子がそう取り繕う。けれど、今更何を言ってるの?

「あなた、そういう顔もできますのね。」

「面倒だから、そういうのはあまりしたくないんだよ。」

 ……面倒って!?あたしは気を取り直してもう一度聞く。

「わたくしも、あなたと同様、当事者かもしれませんわ。話してくださる?」

 すると、ユリウス王子がなぜか、やるせなさそうな顔をした。

「箱庭の参加者がひとり、死ぬよ。」


 冷たい塊が胸の奥に落ちる、そんな感覚をただの感傷と振り切って尋ねる。ええ、それだけではまったくわかりませんわ。

「それが本当なら、国際問題になりましてよ。必要な儀式としても、零国は方法などの見直しを求められるはずですわ。」

「それはどうだろうね。儀式の方が重要だとしたら、ひとり死ぬくらい、どうでもいいことかもしれないよ?」

「……それが本当ならと言いましたわ。だいたい、その話の出どころは?」

「前回に参加した四国の王子が、国に戻らなかったんだよ。」

「出奔でもなさったのでは、もしくは出家でも。」

「なら良かったんだけどね。箱庭の儀の最中から姿を消しているんだ。その後の神殿の対応も不自然過ぎてさ。」

「誰が調べましたの?」

「オレ。」

「……どの程度、信ぴょう性がありますの?」

「オレさ、姫からみて信用ないってこと?へこむな~。」

「そうは言っておりませんわ。箱庭の儀の招請があってここに来るまで数日、その間にどれほどの情報を集められるかと考えただけですわ。」

「数日じゃないよ。四国ではね、前回の箱庭の儀の話はタブーなんだ。だから、気になって少しずつ調べていたんだ。そのオレが、まさか参加者になるとは思わなかったけどさ?」

 ……運が良いのか、悪いのか。


 ユリウス王子がにっこりと笑った。

「オレは死ぬつもりないし、イザベル姫がそういう目にあうのもヤなんだよね~。ほかの誰かが死ぬのはどうでもいいって思ってたけど、王子も姫もここまで関わりあっちゃったら、それも寝覚めが悪いしさ。

 だったら、卵を壊しちゃえばいいよね~。」


 それは、あまりにもあっけからんと口に出され。だからあたしは、何を考えているの、このお気楽王子は!?と叫ぶ機会を失ってしまった。


「ごめんね、巻き込みたくなかったけど、少しだけ姫と一緒の時間を過ごしたくなったんだよ。」

 ユリウス王子はいつもどおり、のんびりとした雰囲気で話す。けれど、そこには何か揺るがないものが宿っている、それを感じて。この王子はやろうと思えば王ができるんじゃないの、あたしはそんなことを思ってしまい、ため息をついた。

 するとユリウス王子がこんなことを言ってくる。

「姫、ダメだよ。」

 何を言ってるのかしらね、この王子様は。

「止めたりはいたしませんわ。わざわざ止めてほしくて、わたくしに言ったわけではないでしょ。

 わたくしも、壊すのに付き合いたいということですわ。」 


 不意に、ユリウス王子がふにゃりと笑った。 

「オレ、姫にはかなわないな~。」

 本当に何を言ってるのかしらね、この王子は!?

「卵がどんなものかわからない以上、壊せるのか、壊したらどうなるのかもわからないはずでしょう?」

「姫、死にたいの?」

 まったくもう!

「死ぬ気はないとか言っときながら、壊すには死ぬかもしれないって、矛盾してましてよ!

 だから、わたくしも付き合いますわ。」

「ダメだよ、姫。」

 ユリウス王子が楽しそうに笑う。ああ、もう!

「卵を壊すって発想、妥当だと思うわ。

 壊すという言い方をしますと物騒ですけれど、要するに、仕組みを変えてしまおうって話でしょ。そのために、まず最重要な卵を壊してみる。

 箱庭に危険な要素があるならば、それを変化させようとすることは必要だと思うわ。」

「姫、なかなか柔軟な発想だけど、物騒だよ?」

 あなたに言われたくありませんわ!!


 しかしユリウス王子は、何かとても嬉しそうにあたしを見ていた。

「オレさ、姫がそばにいると、姫にいいところを見せたくて、頑張っちゃうんだよね。」

 ……まったく、このお気楽王子は何を考えているの。

「止めないとは言いましたけれど、無理に卵を壊す必要はございませんのよ!?」

「姫が死ぬかもしれないより、オレは壊すよ。」

 ……このお気楽王子は本当にもう。

「いつ、しますの?」

「夜。今日はたぶん、書庫にディルクとクリスタ姫がいるからね。明日の夜かな。」

 お気楽王子がのんびりと笑った。



 その夜、そろそろ就寝の時間だというのに、また、あたしは行儀悪く出窓に座って外を見ていた。

 窓の向こうの暗闇には光玉がふたつ、みっつ、そして手の届きそうなところにもうひとつ、ふよふよと浮いている。光玉に手を伸ばそうとして、窓ガラスにこつんと指先が当たり、あたしはため息をついた。


 “役割を果たせ、さもなくば生贄になれ。”

 まさか王からの言葉に、あんな意味があるかもしれないとは思わなかったわ。ここまで疎まれているのかと。

 認められたくて、頑張って、頑張って、頑張って、それでもなお、どうにもならないほど疎まれているのかと。

 ……疲れたわ。馬鹿馬鹿しいわ。なんかもう、どうでもいい気分になってきた。

 

 なぜなら。

 それより気になることができたからよ!!

 あたしも少々メンタルをこじらせているところがあるけれど、それでもあたしのほうがまだマシじゃなない!?あのお気楽王子の危うさに比べれば。

 勝算もなく卵を壊そうとしているとは思いたくないけれど。まったく何の準備もなく、考えもなくとは思いたくないけれど。卵を壊すなんて!!

 何が起こるか分からないでしょうに。

 だから、あの人を守りたい。などと、あたしはそんなことを思ってしまったのよ。

 そばにいれば、少しでもそのチャンスがあるはずだと。

 



 次の夜。

 あたしとユリウス王子ふたりで、密かに第三館におもむいた。

 ゆっくりと扉を押せば、扉はわずかにきしんだ音を立てる。

 暗いホールには、昼間と同じように鳥籠に入った卵が台座に鎮座していた。そこに、あつらえたように月の光があたり、卵が神聖なものであるかのように演出している。まったく、壊すのはやめた方がいいんじゃないかしらね?

「で、どうやって壊しますの?」

「そうだねえ?」


 お気楽王子がお気楽にそう言って、台座まで進み、鳥籠に手を伸ばす。

 その籠に触れようとした王子の腕に、鋭い音を立てて何かが巻き付いた。

 あたしは思わず息を呑み。

 ユリウス王子は楽しそうに笑うと、もう片方の手で鳥籠を薙ぎ払った。

 

 

 鳥籠が落ちる。ガシャンと大きな音を立て。

 続いて、硝子が砕け散るような高い音が響き。

 そして、光がはじけた。



 

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