第49話 呪いの正体

「……ルミナ、官僚達の死因がわかった」

「本当ですか!」


 執務室に戻ってきたソルドの報告を聞いて、ルミナは目を輝かせる。


「ええ、まあ」


 だが、ソルドの顔色は優れない。

 ルミナの胸に不安が過るが、今はそれより事件の真相を知る方が先決だと思い直す。


「報告をお願いします」

「投獄された獣人は全員狐の獣人、娼館に出る鼠を食べて食いつなぐ劣悪な労働環境、官僚達に発症した黄疸……亡くなった官僚達はエキノコックスを発症していたんだ」

「疫の酷巣?」


 聞き馴染みのない単語にルミナが首を傾げる。


「エキノコックス、狐を媒介とする寄生虫が原因の病気だ」


 エキノコックスは、感染した動物の糞便などに潜む寄生虫が土壌や飲み水などを通して人間が摂取することによって感染する。寄生虫の幼虫は鼠に寄生しており、狐や犬の体内で成虫へと成長するのだ。


 つまり、エキノコックスの幼虫を持つ鼠を食した狐の獣人達の体内で、寄生虫は成虫に育ち性行為を通して官僚達に感染したのだ。


「行為のあとに風呂に入ったり、衛生管理さえ徹底されていれば感染リスクも下げられたんだろうが、店の環境も酷かったみたいだし最悪のケースが重なったってことだな」

「ですが、何故投獄された彼女達は病気を発症していないのですか?」

「狐は体内に寄生虫がいても発症することはないんだ」


 エキノコックスの寄生虫は、狐の消化管内で成長して成虫が形成される。成虫は犬や狐の体内で存在することができるが、宿主動物の生存に影響を与えることはないのだ。


「では、彼女達の体内から寄生虫がいなくなれば解決ということですか?」

「隔離は必須だが、正直治療法があるかはわからない」


 ソルドは日本で学んだ知識こそあれど、病気の治療となると話は変わってくる。病気を治すために必要な治療は知っていても、その薬を一から生み出すことはできないのだ。


「まあ、魔法の存在がある世界なんだ。感染拡大を防ぎつつ、治療法は後々探っていくしかない」


 そこで言葉を区切ると、ソルドは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。


「ただ問題はエキノコックスっていう病気が知られていないことだ」

「証拠能力がないということですね……」


 もし官僚達がエキノコックスによって死んだと証言しても、この世界では知られていない病気のため、聞き入れてもらえる可能性は低い。


「そうだ! いっそ証拠を捏造してみてはどうでしょうか。それっぽい文献に病気のことが書いてあるのなら信じるでしょう」

「この皇女、とんでもないこと言い出しやがった」


 ソルドはルミナの発想に頭を抱える。偽物の証拠を用意することで事件を終わらせることは可能かもしれないが、信憑性のある偽物など作れるわけもない。

 古い文献に示されていたのならばまだ信憑性はあるのだろうが、今から古い文献など作れるわけもない。


「最近書かれたような文献を出したところで証拠能力なんて……あ」

「ふふ、気づきましたか」

「本の汚し屋か」


 獣人街には本を古めかしく加工する本の汚し屋がいる。それを利用すれば、ソルドの〝日本知識〟が載った古い文献を作ることは可能だ。


「いろいろと穴だらけで問題は山積みだが、いったんおっちゃんに相談しよう」


 ひとまずは今後の方針を話し合うため、二人はレグルス大公の執務室へと向かうのであった。


「なるほど、エキノコックスか……」


 ソルドの話を聞いたレグルス大公は難しい顔をして考え込んでいた。


「はっきりと言おう。仮にエキノコックスの存在を理解してもらえたとて、獣人街の焼き討ちは中止にはならぬ」

「何でだよ!?」


 予想もしていなかった答えにソルドが思わず声を上げる。そんなソルドに言い聞かせるようにレグルス大公は説明する。


「一部の獣人が発症しない寄生虫が原因の病。その事実は焼き討ちの口実になってしまうのです」

「その上、感染しても発症しないということは今も感染している可能性があると思わせてしまいます。この事実が公になれば、獣人は病気を持っているという理解ない人間からの偏見も生まれるでしょう」

「くそっ、八方塞がりか」


 レグルス大公とクレアの説明にソルドは落胆する。しかし、だからといってこのまま何もせず見過ごすことなどできるはずもなかった。

 そんな中、今まで黙っていたルミナが真剣な顔つきで切り出した。


「わたくしが獣人街に行きます。そうすれば騎士団も手が出せないはずです」


 現状、騎士団に命じられた獣人街の焼き討ちはルミナの一声で止まっている。それもいつまでも続くものではない。

 だからこそ直接ルミナが獣人街に行き、自分の身を人質とすることで焼き討ちを止めさせるつもりなのだ。


「いけません、ルミナ様。危険すぎます」


 クレアが止めようとするが、ルミナの意志は固かった。

 皇女であるルミナが獣人街にいるとなれば焼き討ちはできないだろうが、何かあったらと考えると、賛成できるものではない。

 全員が険しい表情を浮かべる中、ルミナは臆することなく告げる。


「危険なのは承知の上です」

「ルミナ、わかっているのか。皇族であるお前と獣人街の住民じゃ命の重みが違う。自分の立場を考え――」

「命は等しく重いものです!」


 宥めるソルドの言葉を遮り、ルミナは叫ぶ。その瞳は真剣そのもので、ソルドは思わずたじろぐ。


「守るべき臣民を見殺しにして何が皇女ですか! わたくしはルミナ・エクリプス・ゾディアス。皇族として民のために命をかける、それの何がおかしいというのですか!?」


 いつものおちゃらけた様子は微塵もなく、そこには皇女としての責任感に溢れた一人の少女がいた。その姿はまさしく皇帝の器を持つに相応しい気品と風格を併せ持っている。

 ソルドはその凛々しい姿に思わず目を奪われていた。


「……決意は固いようですな」


 そんな二人の様子を黙って見ていたレグルス大公は、しばらく考える素振りを見せると重々しく告げた。


「獣人街をお願いできますか、ルミナ皇女殿下」

「はい、必ず民を守ってみせます」


 レグルス大公の願いに、ルミナは大きくうなずいた。


「他の官僚に知られてしまえば止められてしまうでしょう。今夜にでも帝国城を抜け出して獣人街へ向かっていただきたい」

「となると、ルミナ様お得意の脱出路の出番ですね」


 クレアは悪戯っぽく笑う。さんざんルミナが脱走しようと試みて失敗した地下用水路。あの抜け道を使えば誰にも見つからずに帝国城から抜け出すことは可能だ。


「ソルド、付いてきてくれますか?」


 ルミナはあえて命ずることはしなかった。今回の行為がどれだけ危険かわかっているからである。

 しかし、そんな問いかけはソルドにとって愚問だった。


「そりゃ付いていくだろ。なんてったって俺はルミナ御付きの騎士だからな。騎士ってのはこういうときこそ頼ってもらいたいんだよ」

「ソルド……」

「帰ってきて早々とんぼ返りするとは思わなかったが、あんたといると退屈しないよ」


 ソルドは苦笑しながら肩をすくめてみせる。


「おっちゃん、こっちは任せたぞ」

「うむ、そっちも頼んだぞ」

「ルミナ様、荷造りのお手伝いを」

「お願いします」


 こうして、ルミナ達は動き出す。獣人街を救うために、そして皇女の責務を果たすために。

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