第41話 ノンデリ同士
先程トリスは人間に対して憎しみなどないような雰囲気だったが、自分の知らない苦労をしていたのかもしれない。そう思うと、ルミナはトリスに優しくしたい気分になっていた。
「トリス、お一つどうですか?」
ルミナは屋台で購入した食べ物をトリスへと差し出す。
「おお、いただき――おおう……」
喜んで受け取ろうとしたトリスだったが、差し出された食べ物を見て複雑そうな表情を浮かべた。
「こら、ノンデリ猫娘。鶏の獣人に唐揚げを差し出す奴があるか」
「ああ!? ごめんなさい!」
よりにもよってルミナがトリスへと差し出したのは鶏肉の唐揚げだった。いくら獣人の食性が雑食だと言っても同種の肉を食らうことには精神的な抵抗があることは明白。
無理解とは恐ろしいものである。
「先輩、なんか一周回って可愛く見えてきたッス」
「自慢の視力が人間以下に落ちたな」
恨み言の一つも言わずに笑顔を浮かべているトリスに、ソルドは何とも言えない表情を浮かべた。
「そ、そうだ、ソルド! あちらの裏通りの方には何があるのですか?」
なんとか話題を変えようと、ルミナは裏通りのある一角を指差した。
そこは普段、表通りにはない怪しげな店が並んでおり、表通りを歩く獣人達はあまり近寄らない場所であった。
「脛に傷のある人間や獣人達が開いてる店が並んでる。あっちは治安が悪いから行かせられないぞ」
「どんなお店があるのですか?」
ソルドは露骨に嫌そうな表情を浮かべるが、好奇心旺盛なルミナは構わずに質問する。
「……盗品蔵や偽造通行手形の発行所、本の汚し屋とかもあるな」
「最初の二つはともかく本の汚し屋って、そんなの誰が頼むのですか」
あまりにピンと来ない答えだったため、ルミナは思わず聞き返してしまう。
そもそも本は本来生活には必要ではない贅沢品である。それをわざわざお金を払って汚してもらうなんて、酔狂なことを考える者がいるとはルミナには思えなかった。
「適当な内容の本を価値のある歴史書や文献って偽って売り捌いたりするらしい。まあ、限定的だが一定の需要はあるみたいだ」
「いや、犯罪じゃないですか!」
ソルドの話を聞いていたルミナは驚きの声を上げる。
「いや、本の汚し屋は本を古めかしく加工しているだけ、売り捌いた奴は勘違いするような言い回しで売りつけただけだ。残念ながらタチが悪いだけで犯罪にはならないんだよ」
「ちなみに先輩は歴史書好きだったッスから何度か引っかかってたッスよね?」
「鳥頭の癖にしょうもないことを思い出すな」
勉強嫌いではあったものの、単純にこの世界の歴史には興味があったソルドは何度も歴史書を購入し、それが偽物であることに落胆していた。
同じ部隊に所属していた頃は、よくトリスにその手の愚痴を零していたのだ。
「大体、鳥頭とか言ってるけどお前本当は――」
「冷たいミルディはいかが!」
ソルドの声を遮り、元気な牛の獣人の女性の声が響いた。
声の方を見ると、木製のテーブルの上に瓶が置かれている。声の主である牛の獣人の女性は大きな乳房を揺らしながら客寄せをしていた。
「ミルディ?」
「獣人街の名物だ。栄養価が高くてうまいんだ」
ミルディとは、大麦の発芽前の栄養素がたっぷりと詰まった麦芽飲料に牛乳を混ぜたものだ。
「先輩はミルディ大好きッスもんね」
「俺はこれで強くなってと言っても過言」
「なるほど、ソルドの強さの秘密はこれに――って、過言なんですか……」
一瞬ミルディの効果を過信しそうになったルミナは呆れた表情を浮かべた。
「そこの騎士様! おっぱい――じゃなかったいっぱいどうですか?」
「とんでもない言い間違いやめろ。てか、わざとだろ」
「うふふっ、なんのことでしょう?」
売り子の女性は獣人としての血が薄いのか、耳と尻尾以外はほとんど人間と同じ見た目をしている。獣人、人間を問わず人懐っこい笑みを浮かべる女性に誘われるがまま、ミルディを購入してしまう男性は多いだろう。
決して胸に釣られたわけではない、と口々にミルディを購入した男性は口にするので、お察しである。
「お姉さん賢いッスね。その言い間違いをすると、男連中はエッチな妄想しちゃうッス」
「特に人間は獣人への理解が低い。牛の獣人だからこの人から出た牛乳が入っているんじゃないかと思ったら買わずにいられないってわけだ。商売としては理にかなっているように見えるが、男はそんなに単純じゃない。まったく、舐められたもんだ」
「胸を凝視しながら言っても説得力がない……」
意外と健全な男性的価値観を持っていたソルドに対し、ルミナは冷ややかな視線を送る。
「アチキも結構胸あるッスよ」
「そりゃ鳥の獣人はみんな胸筋あるからな……」
得意げに言うトリスに、ソルドは呆れたようにため息をつく。
「わ、わたくしもスタイルは悪くないはず……」
一方、同年代の人間と比べればスタイルの良いはずのルミナは、獣人特有の身体的特徴の前に打ちのめされていた。
「元々好物だし、決して胸に釣られたわけじゃないがミルディを三つくれ」
「まいど!」
言い訳のような注文をするソルドに笑顔を浮かべて応じると、ミルディ屋の女性は羊の腸にミルディを入れ、そこに葦でできたストローが刺して紐をつけた。
「ミルディ三つお待ちどうさま!」
「ありがとう」
手渡されたミルディを受け取り、ソルドは代金を支払う。
「これがミルディですか……では、さっそく――」
「待て、先に俺が飲む」
ソルドはルミナよりも先にストローに口を付けてミルディを一口含む。
毒が入っていないか口の中で念入りに味わうと、ようやくルミナへ渡した。
「大丈夫だ、飲んでいいぞ」
「えっ、あの」
「どうした?」
何故か狼狽えているルミナを見てソルドは首を傾げる。
「いえ、何でもありません……」
顔を赤くして俯いたルミナは、そのままストローに口を付けてミルディを飲み始めた。
「先輩も大概ノンデリッスよねぇ」
「何がだ?」
女心がわかっていないソルドの行動に、トリスはやれやれと翼を広げて肩を竦めたのであった。
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