第19話 家族
バイト先に向かった可能性も危惧した俺は一度、美鈴が来ていないかの確認をしにクレープ屋へと向かった。
「霧切ちゃんの彼氏じゃないか! どうしたの? 凄い汗だけど……水いる?」
しかしキッチンカーには強面の店長しかいなかった。
キッチンカーからひょこっと顔を出して心配そうに俺のことを見つめている。
「あ、あの……霧切美鈴を見ませんでしたか?」
荒い息をなんとか落ち着かせながら訊いた。
美鈴の彼氏に対して、今は誤解を解いている暇はない。
「霧切ちゃんなら今日は休みだよ」
「や、休み?」
「うん。さっき電話があってさ体調不良で休むって連絡が来てたよ。なんか声も弱弱しかったし何かあったのかな……」
おっちゃんの言うことがたしかなら美鈴は今家にいるのは確実だ。
「南沢ちゃんも急用が出来たとかでお休みだし、あー今日の売り上げヤバいかもな……どうしよう」
がっくりと肩を落とす強面のおっちゃん。しかし、千夏の行方が分からないのが気にはなるが、今は美鈴の方が最優先だ。
「ありがとうございました! そ、それじゃ俺はこれで!」
「あっ! 霧切ちゃんに宜しくねー」
おっちゃんを他所に俺は駆け出す。口の中の水分が奪われ、春先なのにも関わらず、全身が汗で焼けるように熱い。すでに脚は鉛のように重く一歩一歩踏みしめるだけで激痛が走る。
こんなに走ったのは生まれて初めてかもしれない。こういう時、もっと運動しておくべきだったと後悔する。
でも、今は一刻を争う。俺しかいない。今、美鈴を救えるのは俺しかいないんだ――。
◆ ◆ ◆
美香さんから教えてもらった家は俺の家から徒歩十五分のところにあった。近からずも遠からずの位置にあって拍子抜けしたが、俺と美鈴の心の距離を表しているようだった。
家は普通の一軒家。窓にはカーテンがかけられており、中の様子がまったく見えないようになっている。
表札に霧切と書かれているのを確認し、俺は意を決してチャイムを鳴らした。
たくさん走ったからなのか緊張からなのか心臓の鼓動が早鐘を打つ。今は息を整えている時間すら惜しい。今この時、この瞬間でも美鈴が寂しい思いをしていると思うと落ち着いていられなかった。
しかし、中々来訪者を迎える人物が現れないことに不審に思った俺は、恐る恐る玄関のドアに手をかけた。
「ったく、あの女と一緒で使えねーな。酒持って来いって言ったよな!?」
ドスの利いた声。とても不愉快で聞いていると背筋が凍るような声色だった。
嫌な予感がして、扉を開けると、美鈴が項垂れて涙を零していた。
「美鈴!」
俺は美鈴のもとへ駆け寄った。
肩を支え、無事を確認する。どうやら怪我はしていないようだ。
「美鈴、大丈夫か?」
「どうしてここに?」
身体は酷く震えており、いつものクールな顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「美鈴を迎えに来たんだ」
美鈴は涙を流しながら俺に縋るように抱きつく。
目の前の文雄は俺の姿を確認すると、大きなため息をついて鋭く睨みつけてきた。
「また君か、しつこい男は嫌われるって習わなかったのか?」
「習いましたよ。でもあなたに言われる筋合いはない」
俺は鋭く言い返した。
「っち、生意気なガキだ」
年下だから気に食わないのか、文雄は吐き捨てるように言った。
病院の前で会った時とは別人だった。恐らく、美香さんや美鈴が言ったように外面を気にする性格なのだろう。
「美鈴に何をしたんだ」
「何をしたって? 親として説教をしてやっただけだ。飯が遅い、不味い、挙句の果てに酒すらまとめに買えない使えない娘をな! まったく誰に似たんだかなぁ~」
その発言は父の口から出たセリフとは思えない程、冷たいものだった。文雄はまるで美鈴のことは娘と思ってない。
奴隷のように扱っているようだった。俺はそれが無性に許せなかった。
「それと、新しいお母さんに対して失礼な態度を取ったおしおきだ」
「救いようのないクズだな」
憤りを感じた俺は吐き捨てるように言った。
「ふん、なんとでも言え。これは美鈴が選んだ道だ。お前が口出ししていいことじゃないんじゃないか? 今すぐ警察を呼んでもいいんだぞ? それに不法侵入だ」
「お前がしたのは脅しと一緒じゃないか! 何が選んだ道だ! それに俺に脅しは通用しない。追い込まれてるのはお前の方だ!」
俺は心の底から憤りを感じていた。美香さんをあそこまで追いやっただけでなく、美鈴の笑顔をすら奪おうとしているこいつのことが許せなかった。
一度こいつのことをぶん殴ってやりたいが、それじゃあ根本的な解決にはならない。
「お前、美香さんのこともそうやって傷つけたのか?」
「傷つけたって? 酷い言い草だなぁ。俺は教育をしただけだ。ただ、それがちょっとやりすぎちまっただけでさ」
不敵な笑みを浮かべながら文雄は淡々と告げた。
こいつはもう、この世にいてはいけない人間だ。俺はおもむろにスマホを取り出した。
「警察に連絡でもするのかな?」
「そんなわけないだろ」
「?」
「今のセリフ、全て録音させてもらった!」
「なんだと?」
この家に入る前に事前にスマホの録音のスイッチをいれていたのだ。
こいつから美鈴と美香さんを自由にさせるには、家庭内暴力を行った証拠を突きとめる必要がある。
文雄は近所では真面目で付き合いがいいお父さんという偽りの仮面がある。だから周りに証言したとしても誰も信用してもらえないだろう。
だから、自分で自白するのをずっと待っていた。この証拠を警察に突き出せば、警察も黙ってはおけない。
「このクソガキ……めんどくせぇことしやがって……」
どうやら子供相手に優位になってつい口が滑ってしまったらしい。いい気味だ。
「美鈴……そいつのスマホを奪うんだ今すぐに」
文雄が優しい口調で言った。しかしその声色はどす黒い感情が見え隠れしている。
「木下……」
「大丈夫だよ。俺がついてる。だから思ってることを全部言っていいんだよ」
俺は美鈴を不安にさせないように優しく微笑んだ。
その声に安心したのか、美鈴はこくりを頷き、涙ながらに笑みを浮かべた。
「お父さんの言う事が聞けないのか? そいつのスマホを奪い取れ! いますぐに! そうじゃないと……」
文雄の目つきが憤怒の表情に変わる。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
美鈴はゆっくりと俺の目を見て頷いたあと、いつもの鋭い目つきで力強く口を開いた。
「アンタなんかお父さんじゃない! お母さんのことを傷つけて、次はウチの大事な木下を傷つけようとしてる! だから、アンタなんかの指示には従わない! このクズ男が! 死ね!」
それを聞いた文雄は身体の力を抜いた後、大きなため息を吐いた。
「美鈴……あの女と同じで俺に逆らうんだな。それにそんな汚い言葉を父に向かって言うもんじゃないぞ……ここは一度痛めつける必要がありそうだな……」
不敵な笑みを浮かべながら迫ってくる。
「美鈴、こっちに来い」
文雄の不気味な笑みを見て瞬時に悟った。嫌な予感がする。
俺がここで屈してはいけない。美鈴を守ると誓ったのだ。
「美鈴! 行くぞ!」
「えっ! ちょっと!」
俺は美鈴の手を強く握りしめながら外へ駆け出した。
高校生が大の大人に勝てるとは思っていない。だからここは戦略的撤退だ。
まずはこの証拠と美鈴を守るんだ。
「クソが! 待て!」
家から飛び出した瞬間に一台の車が目の前に止まった。
こんな時にいったい何――。
「悠君! それに美鈴ちゃん! 早く乗って!」
「千夏!? どうしてここに!?」
タクシーの助手席に座った千夏が窓を開けて顔をだした。
この一大事にも関わらず明るい笑顔を浮かべていた。
「連ちゃんから聞いたの! 悠君今日、何か様子がおかしいって聞いたから、美鈴ちゃんと何かあったんじゃないかと思って!」
そう言いながらおもむろにウインクした。
「すまん! 助かる!」
「クレープ奢ってよ!」
「あぁ! キッチンカーごと買い取ってやる!」
「やったー! 運転手さん! この先真っ直ぐお願いします!」
俺と美鈴は車の後部座席へ乗り込むのを確認した後、千夏がおじさんの運転手に指示を出す。
運転手は突然の出来事に困惑した様子だったが、千夏の一言に思い切りアクセルを踏み切った。
車に乗り込んでから俺と美鈴が靴を履いていないことに気づいた。相当焦っていた証拠だろう。心臓は未だに早鐘を打っている。
隣に座っている美鈴は緊張の糸が切れたせいか、大粒の涙を零している。
俺は何も言わず、美鈴の解きかけた手をもう一度握り直した。
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