第20話 近代以降(多様性)
江藤淳がどこかで、日本が国際社会に出ようとした時は幸いにも進化論の時代であった、という意味のことを書いていた。
この言葉の、僕の解釈はこうだ。
日本は国際社会で低い地位から出発せざるを得なかった。それは、不幸であったが、幸いにも進化論の時代であった。日本も西欧のように「進化」する可能性があることを受け入れられていた。
ダーウィン、マルクス、フロイト。近代において、広く世界に影響を与えたのは、この三人であろう。
自然淘汰、下部構造、無意識、というような言葉が思い出される。
進化、剰余価値、リビドー、でもいい。
三人とも、「現在」は過去の結果であるという、ものの見方(この言葉は、ベストセラー本で広まった言葉らしいですね。『ものの見方について』笠 信太郎 *追記:本当にこの本が売れたことによって、広まった言葉かは、現在確かめられません。僕の勘違いかも知れません。申し訳ありません。)をしているように思う。過去があって「現在」があるということは、この先に未来があるという思考をもつとも言えると思う。
また、動物としての人間(進化)、集団としての人間(社会構造)、個人としての人間(意識)、に焦点を合わせているとも言えると思う。
更に、「層」というものに注目すれば、進化の場である自然環境はおそらく一つの層と見られていたと思うし、下部構造は上部構造とで二つの層と言えると思う。フロイトは、意識を三つの層からなるものと考えたらしい。増えていっている。
これは、ある対象は複数の層に分けて分析できる、という見方が発展してきたということではないだろうか。
輿論(世論)調査やマーケティング調査という方法で何かしらが分析できるという見方も、この流れにあるのかも知れない、と僕は勝手に思う。
近年、ニュースで扱われる「多様性」という言葉は、層をどんどん細かくしよう(増やそう)という思考運動に、僕には見えてくる。
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