雪籠り

楠秋生

白に赤

 しんしんと降りしきる雪は、辺り一面を真っ白にのみこんでいく。音もなく色もない静寂の世界だ。僕はその日一日、窓から見えるどんどん白に埋めつくされていくモノクロの景色を、ただぼんやりと眺めて過ごした。

 山奥の空き家に住み始めて三日目、大雪が降った。例年はもう少し遅いと聞いていたのに、いきなり雪の中に閉じこめられてしまった。もとより閉じこもるつもりで食材は確保していたから、生活には支障はない。ただ自分から引きこもるのと、出ていけなくなるのとの違いだけだった。

 

 翌朝目を覚ますと、小鳥の囀りが聞こえてきた。カーテンを開けると、眩しいくらいの雪景色が輝いていた。木々の枝も白く化粧をほどこされ、目をみはる美しさだ。空は抜けるように青い。

 僕は外に出てみようと上着を羽織った。外に出ると凍てついた空気が顔にささる。真っ白な吐息がふわりと広がって空中に溶けていくのが綺麗で、僕は何度も大きく息を吐きだした。通勤していた時はそんなことを考えたこともなかった。白い息は寒さを助長するだけのものだった。

 しばらくそうやって景色を眺めていると、すぐ近くの茂みからウサギが飛び出した。僕の存在に気づかず近寄ってくる。僕は黙ってその動きを観察した。ぴょんぴょんと少し跳ねては止まり、耳をぴくぴく動かす様子はかなり可愛い。

 と、その時、遠くで車の音がした。ウサギはその音を聞いてすくっと立ち上がり、耳をピクンと立てた。そして次の瞬間、一気に駆け去っていった。


 朝食後、家の前から表の通りまで雪かきをした。除雪が入るその通りまでかなりの距離があったため、そこに辿りつくのに昼までかかった。力仕事とは無縁の僕はそれだけでへとへとになってしまった。さっさと帰ればよかったのに、そのままそこにあった切り株に腰かけて休憩をして、通り向こうの林の奥の方で何かがガサガサ暴れているのを見つけてしまった。

 一瞬クマか? と身構えたけど、よく見るとシカだった。おかしな動きをしている。

 僕はそろりと様子を見に近寄って行った。

 シカは罠にかかっていた。少し離れて見ていると、しばらく暴れては座りこみ、また暴れてを繰り返した。真っ黒な瞳はつぶらで可愛らしい。助けてあげたいと思ったけど、近づくのは怖かった。暴れている時の様子からみるにかなりの脚力だ。

 そのままどれくらい時間が過ぎたのか、背後からザッザッと雪を踏み分けて近づいてくる足音が聞こえて振り返った。

 三十半ばくらいの大きな男だった。僕がなんとなく軽く頭を下げると、向こうもそれに応じた。


「今から止めさししますから、見ない方がいいですよ」


 手には鉄パイプを握っている。僕は黙って頷いた。そのまま去るべきなのに、脚が動かない。男はじっと僕を見て、それから死角になるように僕とシカとの間に入り背を向けた。

 男は鉄パイプを振り上げ、シカの頭を殴ったのだと思う。鈍い音がしてシカがドサリと倒れた。男はすぐに側に屈みこむと、ナイフを取り出しシカの首を一気に切り裂く。僕は目を逸らすことが出来ず、その瞬間が見えてしまった。頸動脈を切ったのだろう、パタタタッと真っ赤な血が飛び散って、真っ白な雪を真紅に染めた。そのままどんどん赤が雪に染みこんでいく。

 生きたシカを殴り首を切り裂いた男は、酷く残酷で恐ろしい人間に思えた。

 シカはまだ動いている。男はじっと動かない。僕も動けない。

 そのまま時間が流れ気づく。

 男は、静かにこうべを垂れていた。その姿は、まるで祈っているようだった。恐ろしいと思った男は、敬虔な祈りを捧げる者になりかわった。

 命を、頂いているんだと思った。五分経ったか十分経ったか、その時間はとても長く感じた。厳かな、命を尊ぶ儀式のような時間だった。

 シカは、ビクンッと体を震わせ、動かなくなった。男は手早くシカをそりに乗せロープで固定すると、僕に頭を下げ曳いていった。

 真紅の血痕だけがそこに残った。



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