#35

 ソレが棲む山には誰も立ち入らなかった。


 室町の頃にはすでに入山は禁忌とされており、人の寄りつかない山は罪人や戦に敗れた落人が逃げ込むには最適にも思えたが、立ち入った者は誰一人として戻ってくることがなかった。


 人々はソレを神の如く畏れ敬い、農作物と毎年一人の生贄を捧げていた。貧しい集落から供物として選ばれる人間は、口減らしも兼ねた年寄りばかりだった。正しく姥捨て山であり、時代が進むと共にその負の風習を非難する者も増え始める。

 所詮は化物を、なぜ神のように崇めなくてはならないのだ――と。


 神の真似事。偽物の神。

 いつしかソレは“神皮かんぴ”と呼ばれるようになった。


 そしてさらに時は進み、近辺に点在していた村落も消えた。山へ人の手が入ることも無くなり……現在。

 かつて神皮の支配した広大な山々の中心にそびえ建つ館こそが、狼戻館なのである。



◇◇◇



「……へぇ。なんかそんな昔話、ビーチくんもしてたなそういえば」

「エーイチせんせはこういう話、興味ない?」

「いや、そんなことないよ。人に歴史があるように、土地や建物にも歴史ありってあらためて考えさせられる」


 頷きながらもっともらしい感想を述べるエイイチ。ビーチなどという寝取りチャラ男が語る歴史に興味はなくとも、相手はセンジュだ。真面目に聞く価値がある。


 センジュが語った内容は【豺狼の宴】でも同様の話を聞けるのだが、そもそも原作ゲームでは神皮について最後まで詳しく明言されることはない。隠し部屋へのフラグを立てたプレイヤーが、散りばめられた謎を頼りに考察が可能な程度である。


 しかしエイイチの本音はといえば、そんな話よりも初めて入るセンジュの部屋に興味津々だった。マリの部屋とはまた違う、どことなく甘い匂いがする。


「センジュちゃんの部屋ってさ、なんというかこの……なに?」


 うまく言語化できずエイイチは、クッションに正座しながら室内を見渡した。


 マリの私室のざっと二倍は広い部屋には、ランニングマシーンやダンベル、吊り下がったサンドバッグといった無骨なトレーニング器具が置かれている。ゲーム機やエアガンのような少年心をくすぐる玩具も多数ある。

 かと思えばベッドシーツや壁紙はピンクを基調とし、部屋の半分はぬいぐるみや香水瓶などかわいらしい小物で埋められているのだ。センジュがいつも抱えている羊のぬいぐるみも十体以上並んでいた。


「なんだよ。……こいつは十四代目ヒーちゃん」


 ベッドに腰かけるセンジュは一体の羊を手に取ると、恥ずかしげに顔を隠すように抱え上げる。


「お、おう。よろしくなヒーちゃん。他の羊はけっこうボロボロなんだね」

「なんだよエーイチ! じろじろ見んな!」


 エイイチは理不尽に背中を足蹴にされた。だが痛みよりも網タイツを履いた足に蹴られる幸福の方が勝る。足裏で踏みにじられながら、センジュの見えそうで見えないワンピーススカートの奥の闇をしっかりと堪能した。


 ここでエイイチが気にかけるべきは網タイツでも淫靡な闇でもなく、本来センジュの言葉遣いにこそ注視すべきなのだ。【豺狼の宴】主人公ならばすでにセンジュの二重人格を疑っている場面だ。


 エロゲー脳の男でもさすがに気づいていると信じたいところだが、エイイチはしばし虚空に視線をさまよわせると、再びセンジュを振り向いて微笑んだ。


「よし、じゃあさっそく特訓といこうか」

「昨日の惨状でよくあんなもんを特訓だなんて表現できるなおまえさぁ……」

「とはいえ室内のシチュエーションはまだ用意してなかったから、即興で合わせてみてくれ」

「でも……ちょっとおもしろそ。せんせに合わせて演技すればいいんだよね?」


 ころころと言動の変わるセンジュに首肯してみせたエイイチは、立ち上がると一旦廊下へ出た。間を置いて、一気にドアを開ける。


「お、いるじゃんカワイコちゃんがこんなところによぉ。ヒマしてるんなら俺と――」

「おらああああ!!」


 拳を振り上げ今にも殴りかかってこようとするセンジュを、エイイチは慌てて制止する。


「ストーップ、ストップ! だから殴るのは駄目だって昨日も言っただろ!」

「え〜? だって相手は猟幽會なんでしょ? 喉笛掻っ切って内臓ズルズル引き摺り出してやった方がいいよ」

「そんな残虐なことやろうとしてたの!? 駄目なもんは駄目。ほら、もう一回」


 定位置に戻るようしっしとセンジュへ手を振って、再度廊下へ出るエイイチ。無駄に思える指導にエイイチがこれほど熱心なのも、ひとえにヒロインを寝取られたくないという強い想いからだ。


 自分がしっかりしなければ、と。エイイチはあらためて表情を険しくするとドアを開ける。


「やっと見つけた女だ女ァ! オウこっち来て酌しろやァ!」


 もはや寝取り男というより山賊である。荒々しく迫るエイイチに対し、センジュは流し目を向けると不敵に歯を見せ笑んだ。

 困惑して見守るエイイチの前で、センジュはぎしりとベッドへ上がり寝そべった。ゆっくりと服の裾を捲って白いお腹をあらわにする。


「撫でて? エーイチせんせ」


 唐突にメスガキっぷりを見せつけられ、エイイチは雷に打たれたかのように愕然と後ずさる。

 猟友会役という役者の立場も忘れ、ガンピールの腹をわしゃわしゃしてやりたい欲求をいっそセンジュへぶつけてしまおうか。

 そうエロゲーらしい思考でベッド上のセンジュへ一歩迫ると、何か小さな突起を踏んづけエイイチは顔をしかめた。


「痛って。なんだこれ」


 足の裏にくっついていたのはネジのような5ミリほどの長さの金属の棒。ネジにしては溝もなく、何かの部品らしき取るに足らないそれを摘まみエイイチはじっと見つめる。


「なんだ……何もしねーのかよ、エーイチ」

 

 そうこうしている内に、センジュは服を戻すと起き上がってしまった。わずか5ミリの金属に気を取られセンジュの腹をもてあそぶ権利を失うとは、エイイチ一生の不覚である。


 しかしこれで誰の目にも明らかだった。

 センジュの中には二つの人格が存在している。


 不穏な展開を示唆するかのごとく、夜はさらに陰り狼戻館を唐突な雨が打ちつけた。室内にもバラバラと微かな雨音が響く中、窓を振り返ったセンジュがつまらなそうに呟く。


「あぁ〜あ……もう終わりか」

「終わりって?」

「あたしの自由時間。じゃあね、楽しかったよ。せーんせ♡」


 静かに俯いたセンジュは、閉じたまぶたを気怠そうに持ち上げた。二つの人格があるのだとして、その切り替わりは自然で明確な変化はみられない。


 エイイチは何もたずねはしなかったが、疑問に答える形でセンジュは口を開く。


「いいんだよ。そろそろ最後が近いから、好きにさせてやりたいんだ」

「最後……もしかして、お別れがくるってこと?」

「別れ、か。まあそうかもね。だから、あいつがいなくてもあたしは強くならなきゃいけない」


 以前述べた通り、【豺狼の宴】二章では喪失と別離が描かれる。エイイチは【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】の進行に則ってセンジュが遠くの地へ転校するものだと思っているのだが。

 現状から想像しうる喪失、そして別離とは。


「具体的にいつ頃なの? その、いなくなっちゃうのは」

「“ブルームーン”がきたら。知ってる? さ、今日の特訓とやらはもういいだろ。帰った帰った」


 エイイチを部屋の外まで押しやったセンジュは、扉に手をかけたまま思い出したように「あ」と息をもらす。


「結局、どうするのが正解なんだよ? おまえの特訓。面倒だから教えてよ」

「ああ、簡単なことさ。――“逃げる”」

「はぁ? 逃げる? 猟幽會から?」


 エイイチは神妙に頷いた。

 エロゲーにおいて、もし本当に寝取り役が存在するとしたら。エロゲーヒロインがどう抗ったところで逃れる術などないのだ。アダルトな展開を待ち望むプレイヤーの期待に応える、エロゲーとはそういうものである。


「あたしの趣味じゃない。じゃあ逃げ切れなかったら? 逃げた先にも別の奴がいたらどうすんだよ」

「そのときは俺を呼んでくれ。センジュちゃんのピンチなら、必ず駆けつけるから」

「……おまえが?」

「必ず」


 エイイチは強調したが、センジュにはわかっている。恐怖の感情が欠落しているからこんな台詞が吐けるのだ。エイイチが“A1”であるのかは定かじゃない。けれど、こと戦闘において特筆すべき素養など今のエイイチには見出だせない。まともな精神ならばそれこそ逃げ出すに決まっているのだ。


「はいはい、格好いいね。まっすぐ部屋に戻ってとっとと寝ろよ」


 扉はパタンと閉められた。現在エイイチにあてがわれている部屋はセンジュの隣。にも関わらず、エイイチはあらぬ方向へと歩き出すのだった。



◇◇◇



 雨は激しさを増していく。

 館を滴る雨粒は土へと染み込み、地下の石壁にも水滴を浮かばせる。


 暗く、窓もない牢のごとき地下で。黒狼は顎をのそりと持ち上げた。まるで見えもしない空を見上げるかのように。


 四つの脚の枷により、徐々に力が抜き取られていく感覚にも慣れていた。もう長くはない。あと一ヶ月も持つまい。


 ひび割れた天井に向けられた大きな瞳を薄く閉じ、黒狼は身を伏せた。今さら願いなども無かったが、一つだけ。

 もしも叶うなら、もう一度だけ広い場所を――。



「ガンピール」



 地下の明かりを灯したエイイチは、名を呼びながら黒狼へ近づいていく。今度はガンピールも起きているようだ。


 いつもなら威嚇の唸り声でもあげそうなものだったが、エイイチが顔のそばにしゃがみ込んでもガンピールは静かにしている。


「よしよーし、悪いようにはしないから。ちょっと見せてくれな?」


 エイイチはガンピールの首に下がるロケットペンダントを手に取った。角度を変え、どうやら目的のものを発見して笑顔になる。


「やっぱり! この穴だと思ったんだよなぁ」


 右手の指にエイイチが摘まんでいるのは、センジュの部屋で拾ったごく小さな金属の棒だった。見つけたときから、きっとこのロケットペンダントの側面の穴に嵌まるのではないかと考えていたのだ。


 なぜこれほど異常な観察力を発揮できたのか。決まっている。取るに足らない金属片とはいえ、そこは棒と穴。ならば直径を見誤るエイイチではない。


「ええと、これを、こうして――と」


 捩じ込んだ金属棒を捻ると、カチリと音が鳴る。ロケットペンダントが継ぎ目に沿って真っ二つに割れてしまう。エイイチは慌てた。


「あ……ご、こめん! 大事なものなのに、まさか割れるなんて……」


 割れたのはロケットだけではない。ペンダントは黒狼を繋ぎ止める四つの枷の核であり、この“封具”の要だった。

 つまりガンピールの四つ脚に嵌められた枷までも崩壊したのである。


 身を起こしたガンピールは、動作を確認するように順に脚を踏み鳴らす。巨体を長らく縛りつけた封印はたしかに解かれていた。


「あれ? おまえ、鎖が……」


 歓喜か。もしくは怒りか。エイイチが思わず耳を塞ぐほどの遠吠えをあげるガンピール。


【豺狼の宴】本編ではついぞ核心まで語られることのなかった“神皮”と呼ばれる化物が、エイイチの手により狼戻館へと解き放たれたのだ。

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