#9

「エーイチくん。今から一階のシアタールームに行って、バレッタを取ってきて」


 神妙な面持ちでミッションを与えてくるマリへ、エイイチはピストルをエアーで構えると肩越しに狙いをつける。銃口代わりに指先をマリの胸元へ突きつけ、ハートを撃ち抜くぜと意志を示しているかのようだ。


「洋館に銃とかゲームじゃないんだから、あるわけないよね。わたしの心をものにしたいのなら真面目にやって」


 戯れたのは事実だが、遊びに乗じて乳首当てゲームがしたかったエイイチ。その直感は大したもので仮にゲームへと漕ぎ着けられれば、一撃でマリの突起した器官を突っつける位置に指先があった。

 しかしながらマリに意図は伝わらず、呆れられた上に嘆息まで漏らされては腕を下ろす他ない。


「ベレッタじゃなくバレッタ。……これ」


 持ち上げた両手をマリは頭の後ろへ回す。赤みがかった黒髪が見る間に結われ、一つに結ばれた後頭部では羽を広げた“蝶”が髪を飾っていた。言うまでもなく真実は蛾のモチーフなのだが、金属製のクラシックな髪飾りになってしまえば蝶も蛾も大差はない。


「ポニテ……! マリちゃんそれ新婚で料理しながら旦那の帰りを待つ幼妻の――」

「黙って。エーイチくん、もたもたしてる暇はないの。バレッタを取ってきてくれたら、新婚ごっこでもなんでも付き合ってあげる」


 マリはしきりに外を気にしている様子で、そわそわと立ち上がると部屋の入り口へ向かう。廊下をうかがうようにドアへぴたりと耳を寄せるマリ。

 言質を取ったエイイチは「まじか……」と呟きながら拳を握っていた。ドアの前へと立つマリの膝裏を一点眺め、妄想を膨らませる。


 例のエロゲーではルート攻略後に見ることができるエクストラシナリオ。そこで次女との新妻プレイが描かれる。エプロンは着用したまま様々な調味料で素肌を汚し、甘味も塩味もひっくるめて舌鼓を打つアダルトシーンは食への冒涜である。だが同時に味わう背徳感の高まりも凄まじく、シーンリプレイでエイイチは5分保った試しがなかった。


「俺に任せてくれ。必ずバレッタを持ち帰ってくるよ」


 尋常ならざる覚悟がエイイチの声から伝わり、マリは振り返らずにほくそ笑んだ。しかし笑うのはまだ早い。他にも伝えなければならない事柄がある。


「それとね、バレッタを取ったら、代わりにわたしの持ち物をシアタールームに置いてきてほしい」

「マリちゃんの持ち物?」

「そう。“マーキング”しなきゃ。なんでもいいけどペンとか本とかたくさんあるものを、そこら辺に置いてあるものから適当に選んで」


 マーキングはナワバリを広げるために必要不可欠な行為だ。狼戻館の住人は各々が自身の所有物を設置することで館内を分割支配している。ナワバリの効果はたとえ館の住人だろうと覆すことは不可能であり、他の住人の領土へ踏み込めば逃れられない死が待っている。

 唯一マーキングを取り除くことが出来る者、それが“ヒツジ”なのだ。


 マリは廊下を警戒しつつ、エイイチの準備が整うのを待つ。蛾を放てば目となるが、巡回するアヤメには気づかれてしまう。マリの見立てでは、アヤメはツキハやセンジュに与する敵だった。

 狼戻館の狼は群れない。ゆえに味方はいない。それがマリの矜持である。


「……よし、行ってくる」


 背後へ立つ気配に、マリが振り返る。確かな決意と覚悟を胸に秘めたエイイチの顔は、存外に悪くはない。ナワバリを獲得した暁には希望の一つくらい聞いてやってもいいだろうと、マリは強者に相応しい慈悲をくれてやる気になった。


 エロに突き動かされた者は、男の顔を見せる。

 自明の理だ。


「エーイチくん、死なないでね」

「君のためなら死ねる」

「今、そういうのいいから、ほんと。誰にも見つからないで。あと気のせいだと思うけど、見知らぬ人がいても接触しないで」


 深く頷き、行ってきますのキスを交わそうとエイイチが顔を寄せる。マリは闘牛士のごとく華麗に横へと身をそらし、ドアに顔面を痛打したエイイチは恥ずかしさを誤魔化すようにそのまま廊下へと躍り出た。




 深夜と呼ぶにはまだ早い時間帯。住人は自室で過ごしているのかもしれないが、寝入っている者は少ないだろう。約束がある関係上、アヤメと遭遇するのはエイイチも避けたいところ。


 得意の抜き足差し足で廊下を進み、階段を下りる。マリから教わった通りにダイニングの方向と逆を行き、しばらく歩むと拍子抜けするほどあっけなくそれらしき大扉を見つけた。


 造作もない任務だ。さっさとバレッタを入手し、マリとの新妻プレイを楽しもうと扉へ手をかけたエイイチが動きを止める。


「ん……?」


 シアタールームの大扉が青白く光を放っている。探しても光源はどこにもなく、青く光る透き通った粒子が扉全体を循環するように漂っていた。


 これこそ“猟幽會りょうゆうかい”が施した封印だった。

 マリがふとこぼした猟幽會の名。正体は狼戻館を敵視する退魔の集団である。玄関灯に放っていた蛾が機能しなくなったことから、マリは猟幽會の侵入を疑っていた。


 かねてよりの因縁を断ち切るため、猟幽會は不定期に狼戻館を訪れる。退魔の使命、友の仇を胸に館の住人の抹殺を狙っている。


 狼戻館は多様なルールによって縛られた魔窟。

 訪ねてきた猟幽會の入館を拒むことは出来ず、また住人が保持するナワバリ外での殺傷行為も双方・・認められない。十分な休息と準備を経て、猟幽會はナワバリの一室を戦場と定め命を懸けるのだ。


 本題の封印は次。

 猟幽會の退魔師は、扱う武器も能力にも個人差がある。共通項は一つのみ。

 猟幽會がナワバリ内での争いに敗れ死亡すれば、その魂は狼戻館の礎となった死肉や憎悪に引きずられ、室内に留まる。

 増幅された敵意の思念は強力な罠と成り代わり、以降住人が部屋に立ち入ることを確実に拒むのである。


 入室イコール死の図式。これが封印と呼ばれる所以だった。館の住人からすれば忌々しく、また猟幽會にとっては次に訪れる仲間の助けとなる。


 この封印を解除できる人材もヒツジだけなのだが、ヒツジとて対処を誤れば容易に死亡する凶悪な罠が張り巡らされている。実質解除不可能な呪物としてマリも認識していた。


 マリの記憶ではシアタールームは未だツキハのナワバリなのだ。まさか猟幽會との壮絶な争いの果て、死亡した退魔師によってすでに即死トラップ部屋が形成されていたなど知らなかった。


 もしエイイチが【豺狼の宴】の二日目を原作同様に進めた場合、家庭教師の休憩中に猟幽會と遭遇するはずだった。そして狼戻館と猟幽會の因縁を聞かされ、にわかに信じ難くも館への疑いを深めていくのだ。


 裏庭を家庭菜園にしてナスやキュウリを植えたいなどと仄かな願望を抱く男に、だがその資格はなかった。なんの危機感を持つこともなくエイイチはシアタールームの大扉を開け放つ。


「おお……」


 小さな映画館そのままに、正面の巨大なスクリーンがエイイチを出迎える。十数ある座席にはカップルシートのようなゆったりソファまで設置されており、個人所有のシアタールームとしては破格の広さがある。


 他にエイイチの目を引いたのは、入り口すぐにある帽子掛け。枝分かれした棒の材質は撫でた感じ、木ではなさそうだ。帽子掛けには一枚の金属プレートが引っかけてあり、プレートには【ジェイクの魂】と文字が記されていた。


「ジェイク?」


 常人では決して触れようなどと思わない。怨嗟を放つこの帽子掛けが猟幽會の退魔師――ジェイク・都草トグサの成れの果てだった。

 骨身となり、最期の苦悶を髑髏しゃれこうべに残して。人の心も原型も失ってまだ狼戻館に抗う呪物。

 エイイチが無視して一歩を踏み出せば、伸縮する骨という骨にたちまち全身を八つ裂きにされることだろう。“BAD END33”に直行である。


「独創的なデザインだなぁ」


 エイイチがジェイクの亡骸を撫で回していると、シアタールームの照明が落ちて真っ暗になった。直後にスクリーンが発光し、見知らぬ男が映し出される。


 無声映画のようだった。

 髭を蓄えた大柄な男が主役らしく、何気ない日常の風景や仲間と飲み交わす様が描かれる。かと思えば真剣な顔で鉈を研ぎ、よく出来たCGの化物と戦うアクションシーンに切り替わる。


 ジェイクの半生が、まるで走馬灯そのままにスクリーンで上映されていた。口を半開きに観ていたエイイチの胸に、何か熱いものが込み上がってくる。

 傷つき、仲間と助け合い戦うジェイクの姿に。豪快さと裏腹に花を愛でる一コマに。知らない俳優ながらたしかなストーリーを感じてエイイチはうち震えた。


 短い上映が終わり、シアタールームに再び明かりが降りる。エイイチは目元を拭うと、帽子掛けに向き合った。


【ジェイクの魂】


 トラップの解除方法は重量である。

 原作通りにジェイクと出会っていれば、ヒツジの運命を憐れんだジェイクからアイテムを託される。

 一つはジェイクの得物である大型マチェット、そのスペア。もう一つがトレードマークであるハチマキだった。この二つを帽子掛けに捧げれば、晴れて罠は解除される。


 つまりジェイクの遺品を持たないエイイチには、どうあがいても詰んだ状況。なのだが、おもむろにエイイチは衣服を脱ぐ。ジェイクなる人物は知らなくとも、示さなければならないと思ったのだ。敬意を。【エイイチの魂】を。


 エイイチを表現するのに衣服は必要ない。己の身一つでヒロインを幸福に導けなければ、エロゲーを攻略する資格などないのだ。

 脱いだそばから衣服を帽子掛けへとかけていく。最後に脱いだボクサーパンツを髑髏に引っかけて、重量は1623g。奇跡的にマチェットの重量と合致したが、ハチマキ分の重さが足りなかった。


「……あ、忘れてた」


 握りしめていたマリの私物。マーキングなんて言うものだから、エイイチは最もマリ成分が濃そうな私物をチェストから取り出していた。伸縮する布切れを両手でぐいっと伸ばし、これも髑髏に引っかけてやる。


「受け取れよ。ジェイク」


 かくして封印は解かれた。エイイチは裸で意気揚々とシアタールームを闊歩し、座席の一つに置かれていたバレッタを入手する。

 踵を返すと、不思議なことに帽子掛けが消失していた。エイイチにはわかりようもないことだが、ジェイクの魂が狼戻館から解放された証左だった。


 散らばっていた衣服をかき集め、言いつけ通りにマリの私物のみ座席へ置く。実にもったいなくも名残惜しかったが、何か良いものを見させてもらった気分でエイイチは晴れやかにシアタールームを後にする。


 浄化されたシアタールームの座席には、白抜きドット柄の黒色パンツがぽつんと残されていた。

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