第20話

「うぅ、眩しい」


 突然、真っ白な光に包まれて視界がなにも見えない。私は瞼をぎゅっと強く閉じる。少しすると瞼を透ける光が和らいでいく。


「ここどこだろ」


 ゆっくりと目を開いて首を回し、あたりを見渡す。しかし、私が見ている限り、ここには真っ白でなにもなかった。


 あっ、そうか。私、学校の屋上から飛び降りたんだ。ってことは私は死ねたのだろうか。それにしても想像していたところと違った。てっきり三途の川を船で渡ったりするのかと思っていた。


 それよりも、


「蒼空いる?」


 私は静かにその場で呟いた。小さな声でもこの空間にはよく響いて聞こえた。


「美月」


 その声が聞こえた瞬間に私は笑顔で振り返った。


「蒼空っ!」


 嬉しそうにしている私とはうってかわって、蒼空はなんとも言えない顔をしてこちらを見ていた。


「お前なんで...」


 そんな蒼空におかまいなく私は蒼空に抱きついた。


「蒼空やっと会えた。これでずっと蒼空といられる。だから私と一緒に行こ」


「お前と一緒には行けないよ」


 そう言った蒼空の瞳は悲しげに揺れていた。蒼空はくっついていた私の体をグッと剥がした。


「お前はまだ死んでないよ」


「私は死んだんだよ!だから一緒に行こうよ」


「美月、お前は生きてなきゃいけない人なんだ」


「ちがう!それは蒼空の方だよ」


 私は理解ができなかった。蒼空の言葉の裏には別になにか伝えたいことがあるはずだ。


「俺はこれでよかったんだよ。なんの後悔もしてない。俺は大丈夫だから」


 いつもなにを聞いても大丈夫しか言わなくて、でも大丈夫なことなんてひとつもない。そんな蒼空の大丈夫を信じられらなかった。


「嫌だ。私も連れてってよ!私をひとりにしないで!」


「お前はもうひとりじゃないから。周りの人をもっと見てみろよ」


 蒼空はそう言ったけど、私にとってはそういう話ではもうなかった。私はただ蒼空と一緒にいたいのだ。私が望むのはたったそれだけ、それがそんなに難しいことなのか。


 私がなんと言おうと、蒼空にはなにか揺らがない核があった。優しく私に笑いかける蒼空の顔に根底から不安が溢れた。


 そのまま蒼空はなにも言わずに歩いていってしまう。


「蒼空、待って!」


 私は必死に追いつこうと手を伸ばした。どんなに走っても私と蒼空の距離は広がる一方だった。


「ねぇ蒼空ッ!お願い待ってよ」


 そうすると、蒼空はこちらを一度振り返った。最後の最後で蒼空はにっこりと笑った。そして視線が絡み合う。けれど、すぐに再び歩き始めた。どんなけ叫ぼうと蒼空はもうこちらを向いてはくれない。


あれは私や自分自身に向けた言葉では言い表せないなにかを秘めた視線だった。


 走っていた足が地面がなくなったように空振り、倒れ込む。真っ白だった空間は段々と暗くなっていった。


「蒼空そっちはだめ!」


 私の声なんて聞こえていないかのように進んで行ってしまう蒼空は暗闇のように真っ暗な夜の中へと溶けていった。それと同時に私の意識も落ちた。


「あっ」


 次に目を開くとそこ何度も見慣れた天井だった。私は体を起こそうと力を込める。


「痛っ」


 身体中に痛みを感じて私は起き上がるのを諦めた。視線だけであたりを確認する。口元にはプラスティックのマスクにぐるぐるに固定された腕と繋がれた管。それだけの情報でここが病院と判断するには十分だった。そして寝ている私の手をずっと握っていたのだろうか。お母さんがベットに俯いた状態で眠っていた。


 私、死ねなかったんだ。


 そう思っているとドアの方から「パサッ」となにかが落ちる音が聞こえ、重い首を動かした。


 そこにはドアの目の前で口元を抑え、今にも泣きそうな葵と隣で驚いている樹くん、あと落とされた花束があった。


「美月ちゃんッ!」


 そう私の名前を呼びながら葵は落ちた花束なんて気にしずに駆け寄ってきた。そんな声にお母さんは顔を上げて、目を見開き私を見つめた。


「美月ッ」


 お母さんは葵と同じように名前を呼び私に抱きついてきた。


「俺、先生呼んできます!」


 そう言った樹くんは走って病室を出ていく。


「美月なんで、なんでこんなこと。私本当にもうだめかと思って」


 お母さんは泣きながら私の肩に顔を埋めた。お母さんの涙が首元についてべたべたする。


「...お母さん苦しいよ」


「美月ちゃん。一週間ずっと目覚まさなくて本当に私心配で」


 私一週間も眠ってたんだ。まだはっきりしない意識から私はそう思った。


 遠くから足音が響くと、先生を呼びに行ってくれた樹くんとメガネをかけた先生が私元に歩いてくる。


 そして私は目や口の中を軽く確認され、先生は私の心音を静かに聞いていた。


「幸いに頭を強く打っていなかったので、言語障害や記憶障害なんてこともなさそうですね」


 先生の言葉にお母さんはよかったと胸を撫で下ろした。


 先生から詳しく話を聞くと私は一週間眠り続けていたものの手の骨折と複数の打撲、切れ傷ほどですんだみたいだった。偶然に私の飛び降りたところが木の上だったこと、すぐに先生が気づいてくれたことから助かったという。そうだとしてもこの程度で済んだのは本当に運がよかったというしかないと言われた。運がよかった..か。


「お母さんも話がたくさんあるかも知れませんが、まだ目覚めたばかりですしし、時間も時間なので」


 先生がだいたいの話を終えるとそう言った。


「まずはゆっくり休むのが大切よね。美月...また明日お見舞いに来るから」


 お母さんはなにかいいたげな顔をしたがそれをグッと堪えた。


「美月ちゃん、私も明日また来るね」


 葵はそう言うと私の手を握りながらさっきから垂れている鼻水をすする。


「ほら、葵帰えろ。美月ちゃんしっかり休んでね」


 樹くんはなんだかそういいながら私の顔からなにかを伺っているようだった。


「お母さんもみんなありがとう。今日は疲れたからゆっくりするよ」


 にっこりと笑った。そしてベットからみんなが帰るのを見送った。


 みんな帰ると一気に病室は静かでなんだな冷たかった。しばらくして消灯時間となり、病院内の電気が消えた。


 あそこから飛び降りたら確実だろうと今まで思っていたのに、以外に人は丈夫にできているらしい。蒼空が言っていたように私はもうひとりじゃなかった。私のために涙を流してくれる人がいた。嬉しかった、私はそれを知れただけで十分だ。


 病室の窓から満月の薄暗い光が私を照らしていた。私は外を見つめながら息を吐いた。そろそろ行こうかな。


 私は立ち上がると点滴の針を腕から引っこ抜いた。そしてカバンなどを使ってうまく毛布を整える。抜いた点滴を布団の中に置いた。これですぐにバレることはないだろう。


 スリッパは足音が響くため、履かずに私はゆっくりと病室のドアを開ける。誰もいないことを確認すると音を立てずにドアを閉めた。


 廊下の先にわかりやすく緑色に光っているライト目掛けて、私は歩いた。あのときの蒼空もこんな感じで病室を抜け出したのかなと想像すると私は思わず笑った。私は体の痛みなんて気にしなかった。非常階段まで来ると頑張って一階までおりた。


 病院の各出入口にはもちろん警備がされている。だからあのとき蒼空はあえて人がたくさん出入りする時間帯で上手く逃げ出したのだろう。しかしそれも夜になると難しい。でも私もこの病院を通った回数は伊達ではなかった。


 私は決まって、この時間帯は西出口の警備員は席を開けるということを知っていた。常に周りを警戒しつつ、警備員がいないことを確認して外に出た。


 うまく病院を抜け出せた私はそのままそれなりの距離を歩いて、自分の家に帰ってきた。


 お母さんは昼間に働きながらも夜はコンビニでバイトをしていた。私は昔から予備として隠しておいた鍵を植木鉢のしたから取ると家の中に入った。なんだかすごく久しぶりな気がするな。


 私はふらつきながらも一歩一歩確実に台所に向かった。棚をゆっくりと引き出すと毎朝弁当を作るときに使っていた包丁を取り出す。使い慣れていたそれは綺麗に私の手にフィットしていた。


 私は包丁を自分に向け両手でしっかりと握った。飛び降りは運でどうにかなってしまうことがわかった私は確実の方法を選んだ。自分の手でしっかりと心臓に突き刺す。たとえしっかりと刺せなくても大量出血で死ねるだろう。そう思ったなのに手が勝手に震えて仕方がなかった。


 飛び降りと違って、きっと痛みを感じながら死ぬことになる。そう思うと息が上がった。手に力を込めるたびに頭の中で蒼空がチラつく。記憶を渡り歩いていると、蒼空笑っていて隣にいる自分も楽しそうに笑っている。


 記憶の中の蒼空が「美月」と私を呼び止めた。


「うぁぁぁぁぁ!!」


 そんな声を頭からかき消すために私は叫びながらその勢いで包丁を振るう。


 するとドンッ!と体を地面に押し付けられた。握っていた包丁が地面を滑って遠く転がっていった。


「なにやってんだよ!」


 目の前には見たことない顔で私の手首を握りしめる樹くんの姿があった。


「蒼空に助けてもらって、なんでまた死のうとしてんだよ!」


 あの穏やかな樹くんが私に向かって叫んだ。私はその言葉に納得がいかなかった。


「私は助けてもらいたくなかった!蒼空じゃなくて私が死ねばよかった!」


「美月ちゃんは生きるんだよ!蒼空の分も美月ちゃんは生きるんだ!」


 樹くんに反抗するようにそう言い腕を振り払おうとするが男の人の力にはかなわなかった。


「蒼空はそんなこと思わせるために死んだんじゃねぇだろ。なんでわかんないんだよ」


 樹くんに掴まれている手首に力がこもった。


「死ぬのは誰だって怖い。それは美月ちゃんが一番わかってるはずだろ」


 樹くんは涙を堪えるように奥歯をグッと噛んだ。そう言われた私は思い出すと抵抗するのをやめた。そうだ、人は弱い。だから逃げるかのように死ぬ選択を選んでしまう。私だってそうだった。けど私は残りの一歩が踏み出せなかった。怖かった。すごくすごく怖くて死ぬことができなかった。


 蒼空は一体どんな気持ちだったんだろう。怖かったはずだ。生きたかったはずだ。それでもあの一瞬で蒼空はトラックの恐怖を押し込んで私を助けてくれた。私が踏み越えることのできなかった一線を蒼空は私のために踏み越えてみせた。


「蒼空は美月ちゃんに生きて欲しかったんだよ」


 再び顔をあげたときにはいつもの優しい顔をした樹くんがニコッと笑っていた。その目元にはじんわりと熱いものが滲んでいる。私は手首を解放されるとゆっくりと身体を起こした。


「でもあいつの気持ちを無下にするなら俺は許さない」


「......ごめんなさい」


 私は樹くんにも謝らなければいけなかった。蒼空が亡くなって悲しんでいるのは私だけじゃない。昔から蒼空を支えていたのは樹くんだ。


「いいよ」


 樹くんは余計なことは言わなかった。そのかわりこの一言に気持ちを込めるようにしっかりとそう言った。


 私は気にしていなかった痛みがズキズキと痛み初めて眉に力をいれた。


 蒼空のあの視線に込められた気持ちがやっとわかったような気がした。すると、樹くんがはっと気づいたように慌てながら私の体を起こしてくれた。


「ごめん美月ちゃん!怪我人を押し倒すなんて」


「ううん。そんなこと全然いいよ。...樹くんはなんで私がここにいるのわかったの?」


 あまりにもタイミングがよすぎる気がした私は樹くんに尋ねた。


「たまたま蒼空の家に行ってて、帰る途中に美月ちゃんを見かけて」


 また、たまたまか。偶然が重なりすぎているように思った。これって蒼空が守ってくれてたりするのかな。そんな勝手な解釈をした。


もう蒼空には会えないんだ。そんなことわかっていたことなのに、今になって喪失感が襲ってきた。会えないそう思うと私の目からは涙がボロボロと流れてきた。私は泣いているのに樹くんは横で座って微笑んでいる。「いっぱい泣きな」そう言って私の肩をぽんと叩いた。その優しさが余計に涙腺を緩くさせる。言われた通りに私は体の水分が全部なくなりそうな勢いで泣いていた。


私は今初めて蒼空の死と向き合えた気がした。


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