蝉時雨

第7話

 今日は土曜日で学校は休み。私は葵に呼ばれて今その葵の家に来ていた。


「なに、ここ」


 私 は家を見上げて呆然としていた。これは私の家が周りに比べてボロくて、小さいから大きく見えているとかでは決してない。


 まず家に入る前に門をくぐらなければならない。私は森田と書かれている表札の下にあるインターホンを押す。


「はーい」


 少しすると、女の人の声がインターホン越しに聞こえた。


「えっと、葵...さんいますか」


「あぁ、葵のお友達ね。ちょっと待ってて」


 そう言われた通りに待っていると、家の中からドタドタと階段を降りてくるような音が聞こえた。音が聞こえなくなると、ドアが開き葵が顔を出した。


「いらっしゃい」


 葵に門を開けてもらって、家の中に入る。


「お邪魔します」


 入るなり広々とした玄関に大きめの観葉植物が飾られている。


「美月ちゃん、こっち、こっち」


 葵は階段を上がりながら手招きをする。そんな葵について行き階段を上がった。


 初めての葵の家にきょろきょろと辺りを見渡す。二階に上がると天井には扇風機みたいなものがぐるぐる回っている。


 これなんて言うんだっけ、シーリングファン?これなんの効果があるんだろう、と思いながら階段を登りきった。


「ここが私の部屋だよ」


 そう言ってドアを開ける葵に続いて中に入る。葵の部屋は綺麗に片付けられていて、白いもので統一されてる中、ピンク色のぬいぐるみが目立っていた。


「適当に座っていいよ」


 落ち着かずにたっているままの私を見て葵が言った。言われるように荷物を置き、適当に腰を下ろす。


「美月ちゃん、今日は何の日かわかってるよね!」


「うん。七夕祭りでしょ?」


 いきなり勢いよく尋ねてくる葵に驚きながら答える。そう、今日は文化祭の時に約束した祭りの日。毎年やるこの七夕祭りは大通りを使って、行う大きな祭りだ。


 人もたくさん集まるらしい、というのも私は小さい頃に、お母さんと行ったのが最後だからあまり記憶にないんだよね。


「祭りになに着てくの」


「なにって今、着てるこれだよ」


 私は自分の服を見下ろし引っ張った。下はジーパンに上は大きめの白いTシャツだ。


「ありえない。祭りと言ったら浴衣でしょ!」


 葵は拳を握り、大きな声でそう言った。


「ごめん。でも私、浴衣持ってなかったから」


「そうだと思って」


 葵はそう言うと部屋にあったクローゼットをばっと開いた。中にはいろんな色の浴衣が十着以上は並んでいた。


「すごい、なんでこんなにあるの」


「買ったものもあるけど、半分はお母さんが作ったやつかな。あっ、これとか」


 葵は浴衣を手にとると私に見せながらそう言った。


「これ、お母さんが作ったの!」


「私のお母さん、デザイナーだからたまに作ってくれるんだよね」


 葵はお母さんのことを自慢げに胸を張った。私は文化祭で着たドレスのことを思い出す。葵がデザイナー目指しているのはお母さんの影響だったのか。


「私の浴衣を貸してあげる。好きなの選んでいいよ」


「いや、でも汚しちゃうかもだし」


「いいの、いいの。ひとりだけ浴衣を着てるのもいやだから。それにせっかくのデートなんだよ」


 デートとい言う言葉にドキッとした。やっぱりオシャレとかした方がいいのかな。昔はそんなこと気にしていなかったけど、私は少し悩んだ結果、借してもらうことにした。私はクローゼットの浴衣をひとつずつ見ていく。すると一着の浴衣に目が止まった。


「私、これがいい」


 それは赤がベースの色鮮やかな花柄に派手すぎず、帯は淡い黄色のもの浴衣だ。


「あっ、それ私も美月ちゃんに似合うと思ってたの!」


「葵はどれ着るの?」


「私はこれ!」


 そう言って葵が見せてきたのは白ベースのピンク色の花がたくさんある浴衣だった。


「これお母さんが新しく作ってくれたんだけど、どうかな」


「お母さん葵のことよく見てるんだね。美優にピッタリの浴衣だよ」


 葵には明るい色の可愛いものが良く似合う。まさにその浴衣は葵のために作られたものだった。


 葵は「そうかな」と嬉しそうに笑った。


「じゃあ、準備に取り掛かりますか」


 そう言った葵は目を光らせ、指と指の間にはマスカラ、リップ、アイラインなどのコスメを持って構えていた。


 私は一歩、二歩と後ずさりする。


「私は化粧とかはいいよ。浴衣だけで十分だから...」


 ❋


「お母さん、行ってくるね〜」


「気をつけてね」


「お邪魔しました」


 私は玄関から手を振る葵のお母さんに軽く頭を下げる。


 隣にいる葵は鼻歌を歌いながら歩いている。楽しみなのが隠しきれない様子だった。


 一方、私は祭りの前から疲れ果てていた。浴衣を着るのがあんなにも疲れるなんて。私は鞄から折り畳みの鏡を取り出す。


 おかしくないかな。さっきから自分の格好が気になってしょうがなかった。浴衣は葵が手伝ってくれて葵のお母さんに髪型までセットして貰った。


 申し訳ないと思ったが葵のお母さんは「ひとりもふたりも変わらないわよ」と言ってくれた。気を使ってくれたんだろう。葵に似てよく笑う優しい人だった。


 葵のお母さんの手伝いもあって、無事に準備万端だ。美優に化粧までしてもらった。唇は潤ったようなプルプル感が出ており、頬はほんのりピンクく、目元はキラキラと光っていた。


 葵は可愛いと言ってくれたけど、普段から化粧なんてしていない私が、いきなり化粧をしたら変じゃないだろうか。気合い入れすぎだとか思われたらどうしよう。今まではどうでもよかったのに、こんなに気になるのはつ、付き合っているからだろうか。今の私は楽しみより緊張の方が勝っていた。


「もうすぐで樹たちくるって」


 私は最終チェックでもう一度、鏡を取り出した。


 私たちは神社に続く石段の前で蒼空たちを持っていた。大通りまでの道には既にたくさんの人が来ていた。


「緊張する」


「大丈夫、絶対に『蒼空くん、美月ちゃんに釘付け作戦』は成功するから!」


 私は自信のなさと葵のネイミングセンスのなさに呆れてため息を吐いた。


「おーい!」


 すると遠くから聞き覚えのある声が聞こえて顔を上げた。そこには手を振りながら走ってくる樹くんと、うしろで歩いている蒼空がいた。蒼空と会うのはあのとき以来だった。


「ごめん、人混んでてなかなか進めなくて。待ったか?」


「ううん。全然、待ってないよ」


 葵たちが会話をし始めた。そして私はチラッと蒼空の顔を伺うように視線を向ける。すると、蒼空は私を見ると目を丸くした。やっぱり、変だったかな。


 急激に恥ずかしくなった、私は地面に目を落とした。


「いい」


「えっ?」


 すると頭の上からボソッと声が聞こえて、私はゆっくり顔を上げた。


「かわ......いい」


 今度は私が目を丸くする番だった。蒼空は首に手を回し、視線を逸らしたまま呟くように言った。


 私は知っていた。蒼空は昔から照れると首元を触る癖がある。でもこんな風に耳を赤くする蒼空を見るのは初めてだった。


 嬉しい。誰でもない、蒼空が言ってくれたから嬉しかった。緊張が一気にほぐれて自然と口元が緩んだ。


「なんだよ。にやにやして」


「べつにー」


 私は笑いながら言った。


「ねぇ、ねぇ浴衣どう?」


「うん。可愛いよ」


 ふたりの会話が耳に入ってくる。葵も樹くんも照れることもなく、こんな会話、慣れている感じだった。ふたりともすごいな。


「よし、行くか」


 私たちは明かりのあるほうに歩き出した。近づくにつれ太鼓の音が大きくなっていく。そして一本の大通りに出た。


「わぁ、すごい」


 私は目を輝かせた。両側に屋台がばっと並び、たくさんの人で賑やっている。上には赤く光る提灯に照らされた。


「今年もすごい人だなー」


 私たちは屋台を見渡しながら歩いていく。かき氷にわたあめに金魚すくい、食べたいものもやりたいこともありすぎる。


「射的しよーぜ」


 そう言って走り出す子供を目で追う。射的ではお景品が並んでいてその中にはゲーム機と書かれた箱が並んでいた。昔一回だけやったことあったっけ。


「あー、りんご飴あった!美月ちゃんのも買ってくるね」


 葵は念願のりんご飴を見つけるとそっち走っていった。


「おっ、イカ焼き発見」


 すると蒼空もふらっと歩いて行った。


「おい、お前ら勝手に行くなよ」


 ため息を吐いていた樹くんと目があった。


「お互い大変だな」


「だね」


 私たちは人の邪魔にならないように端によって話していた。


 樹くんとふたりきりになって気まづいかもと思ったが、樹くんが話題を振ってくれたからそうでもなかった。


「美月ちゃんって、蒼空のこと知ってるの?」


 樹くんは突然、私を見ないでそう言った。


「蒼空のこと?」


 樹くんの言っていることがわからなくて私は首を傾げる。


「いや、なんでもない」


 樹くんはそう言って笑った。樹くんの濁した言い方が気になった、が聞かれても困るだろうからこれ以上は聞けなかった。


「蒼空、本当に美月ちゃんのこと好きなんだよ」


「そ、そうかな」


「俺と話してるときもあいつずっと、視線は美月ちゃん向いてるんだぜ」


「えっ、そんなの知らなかった」


 樹くんは「ひどいだろ」と言いながら笑った。蒼空の視線に全然気づかなかった。


「だからさ。傍にいてやって欲しい」


「うん。私も蒼空と一緒にいたい」


 けど私は蒼空がいないとダメでも、きっと蒼空はそうじゃない。これから先、蒼空はいろんな人と出会う。そしたら蒼空の隣は私じゃなくなるかもしれない。でも今は私が蒼空の隣にいる。


「樹くんって優しいね。じゃあ、私からもひとつお願い」


「なんだ?」


「美優と仲良くしてあげてね」


「あぁ。それは大丈夫だ」


 樹くんは「任せとけ」と親指を立てた。私がこんなこと言わなくてもこのふたりは大丈夫だろう。


「美月ちゃーん」


 知ってる声と同時に背中に何かが突進してきた。


「ふたりともここにいたんだ。はい、これ美月ちゃんのりんご飴」


 私の背中に飛びついてきたのは予想通り葵だった。


「ありがとう。すごい真っ赤」


 私は葵からりんご飴を貰うと光にりんご飴をかざした。


「私りんご飴、食べるの初めてかも」


「えー、うそっ!」


 そんなことを話していると蒼空もイカ焼きを買って戻ってきた。


「樹、これお前の」


「おっ、サンキュー」


 そして私たちは歩きながらかき氷を食べたり、水風船や金魚すくいなど祭りを満喫していた。


 気がつけば、一番奥の所まで来ていた。


「ねぇ、美優。あれ、なにやってるの」


 私はさっきから気になっていた方に指をさした。


「ほら、これ七夕祭りだから短冊に願い事を書くんだよ」


 葵はそう言うと「行ってみよ」と私の腕を引っ張った。


 真ん中にテーブルが四つ置いてあり、短冊とペンが用意されているし。葵はさっそく短冊を手に取り、悩んでいるようだった。


 私は黄色の短冊を取る。蒼空たちも向かい側のテーブルで同じ様に悩んでいた。


 願い事かぁ。私は少し考えてからペンを丁寧にはしらせた。


『蒼空とずっと一緒にいられますように』


「できたー!」


 隣で書いていた葵が私に短冊を見せてきた。


「また四人で遊べますように。これでいいの?」


 てっきり樹くんのことを書くんだと思っていた。


「これでってひどーい。またみんなで遊びたいもん」


 葵はそう言うと「ね」と樹くんに顔を向けた。


「そうだな」


「樹はなんて書いたの?」


「俺は内申点が出来ますように」


「樹すごーい、真面目。まだ受験生でもないのに」


 ふたりはそう言って、周りにある笹に飾っていた。


「お前、なんて書いたんだよ」


 蒼空が後ろからニヤッとした顔で覗いてきた。私は急いで短冊を隠した。


「内緒。蒼空こそなんて書いたの」


「お前が内緒なら俺も内緒」


 私たちも自分の好きな場所に短冊を結んだ。


「よしっと。ねぇ、葵」


 私は振り返るとそこに葵はいなかった。辺りを見渡すと短冊を結び終わって帰ってきた蒼空と目が合う。


「あいつらは?」


「わかんない。どこいっちゃったんだろ」


「まぁ、あいつらもふたりでいたいんじゃねぇ?」


 たしかに。本当はふたりで来る予定だったみたいだし、少しはこのままでもいいか。


「あっ、蒼空じゃん」


 声の聞こえた方に顔を向けると、そこには同じ学校の子たちがこっちに歩いてきていた。


「そらく〜ん」


 ひとりの女の子が蒼空に腕を回した。


「げっ、お前らかよ」


「げって、なによー」


「蒼空、あっちに射的あるぜ。お前も来いよ」


 親しげに話しているこの人たちは蒼空の友達みたいだ。げっと、いいながらも楽しそうに話している。本当に蒼空は人脈が広いな。


「いやだよ」


「えー、なんでちょっとくらい、いいじゃん」


 女の子がねだるように蒼空に言った。


「ねぇ、いいよね?」


 その子は私に視線を向けるとにっこり微笑んできた。


「蒼空、行ってきていいよ。私は少し休んでるから」


 気づけばそう口にしていた。馬鹿だな自分でそう言っておきながら私は少し寂しくなった。蒼空はやっぱりみんなと一緒にいる方が楽しいかも、


「今日はこいつと来てるから無理なんだよ」


 私の考えをかき消すように蒼空は、はっきりとそう言うと「また今度な」とみんなを追いやった。


「今度は絶対だからねー!」


 1人だけ女の子がぐずりながら周りの人たちがその子を引っ張って退場させた。


 蒼空は鼻でふっと笑った。そして蒼空はなにかを思い出したように「あっ」と言い携帯を取り出した。


「早く行くぞ」


「どこに?」


 蒼空は「秘密」と言って、さりげなくそっと私の手を握って歩き始める。握られた手を見つめると頬が赤く染るのが見なくてもわかった。


 ❋


「よしっ、登るか」


 そう言った蒼空の先には神社に続く石段があった。私たちは一段一段ゆっくり登って行った。今日の集合場所にしていた神社だ。


 丘の上にあるため階段は一段が高く長い。でもゆっくり登ると以外にも疲れなかった。遠くからはさっきまでいた祭りの賑やかな音が聞こえてくる。


 ここになんのようがあるんだろう。そんなことを考えながら私は最後の一段を登りきった。


 神社は古いが綺麗に掃除されているようだった。


「おぉ、ぴったり」


 蒼空は再び携帯を取りだしそう言った。


「何がぴったりなの?」


 気になった私が口を開き、いい終わると同時にヒュ〜と音が鳴り響いた。私はその音がなる方角に顔を見上げる。


「花火」


 私がそう呟いた瞬間に花火は大きな音とともに色鮮やかに夜空をいろずけた。


「ほら、ぴったりだろ?」


「花火が上がるなんて、知らなかった」


 私は花火から視線を逸らせないままそう言った。それにしてもここからは綺麗に花火が見えるし、誰もいない。


 蒼空はお賽銭箱の前にある階段に腰を下ろした。


「お前も座れよ」


 そう言われ私は神様に「お邪魔します」と言って隣に座った。


 そして再び花火を見上げる。花火は時々、形を変え、ドンッ!という音が体の中まで響いた。


「私ちゃんと花火を見たのひさしぶり」


 いつもはアパートから微かに花火の音だけが聞こえていた。私たちはしばらく話すことなんか忘れて花火を見ていた。


 時間が経つにつれてさっきまで鮮やかだった花火はどんどん儚いものに変わっていった。綺麗に咲いた花火は少しすると暗い夜空に溶け込んでいく。


 この花火が終わったらもう帰らなきゃいけない。終わって欲しくない。そう思っていると隣に置いていた手に蒼空の手が触れ、指を絡めた。


 幸せだなぁ。まだ終わらないで欲しい。そんな私の気持ちは届かないまま、花火は次第にクライマックス。


 花火は絶えずに次々と打ち上がりひとつ一段高い位置で花火が上がった。打ち上がった粒が降り注ぐように落ちていき、消えてしまった。


 昔の私は好きな季節を聞かれると必ず「冬」と答えた。夏は虫が多いし、暑いし、嫌いだった。でもこうしていると夏もいいなと思った。夏のせいか楽しかった思い出にはより輝いて私の記憶に残っている。


 花火が終わると辺りはしんと静まり返った。


「終わっちゃったね」


 少し名残惜しくそう言うと、蒼空は「あぁ」と短く返事をした。


「ねぇ、蒼空」


「ん?」


「来年も一緒に来てくれる?」


 断れたらどうしよう。たったこれだけの言葉に勇気を振り絞った。蒼空の顔を伺う。


「そうだな。来年も一緒に来ような」


 蒼空は一瞬、言葉が詰まったように口を閉じたがなにもなかったように微笑んだ。



「葵、大丈夫かな」


「まぁ、樹がいるから大丈夫だろ」


 私たちはそう会話しながら帰りの夜道を歩いていた。花火も終わり葵たちと集合しようとしたら、葵が靴擦れしたからさきに、送って帰ると連絡がきていた。


 私たちも帰ろうとバス停に向かうとたくさんの人が並んでいた。これはバスを待っても一回では乗れないと判断して、今こうして歩いて帰っていた。


 幸いここから家は歩けない距離ではない。何より少しでも長く蒼空と居られるからむしろ嬉しく思っていた。


 それにしても履きなれない下駄に、帯にお腹を圧迫され流石に疲れた。


「少し、休憩するか?」


 蒼空は私の思っていたことを察するようにそう言った。


「全然、大丈夫。それより何か面白い話でもしてよ」


 私の無茶ぶりに「はぁ?」と言いながらも蒼空はいろいろ話をしてくれた。私の知らない家のこと学校でのことを聞いてるうちに、私一年前の蒼空のことなにも知らないんだと思った。


 そういえば、どうして何回も休んでたのかって聞いてもいいかな。そう思っていたけど、あっという間に家に着いてしまった。


「あっ、そういえば、蒼空に借りてた本返してないよね」


「あんなのいつでもいいよ」


「だめだよ。私すぐ忘れちゃうから返せるときに返さないと」


 私は少し前に借りた本を返そうと階段を駆け足で登った。そのうしろからゆっくり蒼空が登ってくる。


 私はカバンから鍵を出しドアを開けようとするが、あれ、鍵が開いてる。


 私、鍵を閉め忘れたのかな。いや、でもしっかり確認したはずだ。私はひとつの可能性を考えながらゆっくりドアを開けた。


「どうした」


 追いついた蒼空が私に声をかける。玄関にはいつものお母さんの靴とその隣には一回り大きい男性の靴が並んでいた。


「お母さんとお客さんの靴みたい」


 お母さんがお客さんを家に連れてくることは度々ある。それはいいのだが、お母さんは子供がいると話がめんどくさいから出てくるなと言われ、私はいつも外に出されていた。


「やっぱり、本また今度でもいい?」


「それはいつでもいいけど」


「ごめんね。送ってくれてありがとう」


 何かを言おうとした蒼空に言葉を被せて、言った。家に入れないと言ったらまた蒼空に迷惑かけちゃうし、早く帰ってもらおう。


「おい」


「下までついてくよ」


 私は蒼空の背中をグイグイ押しながら階段を降りさしていく。


「美月、話を聞けよ」


 私の腕をぎゅっと掴むと、蒼空は真剣な顔で私の顔を見つめてきた。


「お前、家に入れないんじゃないのか」


「いや、えっと」


 真っ直ぐな瞳に嘘を付けずに私は軽く頷いた。


「でもすぐ出ていくと思うし、大丈夫だよ」


 そんな私の言葉も聞いていないように蒼空は何か考えていた。


「よしっ、今から俺の家来いよ」


「えっ?」


「いや、そんな変な意味じゃねぇからな。お母さんもいるし」


「そうじゃなくて、そんな勝手に申し訳ないよ」


「昔はよく来てたじゃん。それにうちの母さんがそんなこと気にしないタイプだって知ってるだろ」


 そういいながらさっきとは逆に今度は蒼空が私の背中をグイグイ押しながら階段を降りていった。


 ❋


「ただいま」


「......お邪魔します」


 結局、来てしまった。久しぶりの蒼空の家に緊張しながら玄関に入る。蒼空の匂いだ、嗅ぎなれた匂いに少し緊張がほぐれた。


 一年ぶりの蒼空の家に昔の記憶を照らし合わせながら辺りを見渡す。


「おかえり。遅かったわね」


 そういいながら廊下から歩いてきたのは蒼空のお母さんだった。


「えっ、もしかして美月ちゃん!」


美咲みさきさん。こんな時間にすみません」


 蒼空の後ろにいた私に目を向けて驚いたように美咲さんが言った。


「もー、美月ちゃん、久しぶり。どうしたの?」


 そう駆け寄って来た美咲さんに蒼空が簡単に状況を説明してくれた。


「そうだったの。うちはいつまでいてくれても全然構わないからね」


 美咲さんはにっこり笑ってくれた。美咲さんは昔からまったく変わってないなぁ。美咲さんは優しくて、いつも私によくしてくれる。


「それにしても大きくなったね」


「母さん、こんな玄関で話し出すなよ」


「あら、ごめんなさい。もう歳なのかしら。つい立ち話しちゃうのよね」


 そういいながら美咲さんはリビングに案内してくれた。


「何か食べたりする?」


「いいよ。食べてきたから」


 お茶を入れてくれている美咲さんに蒼空はそう言う。


「母さん。樹が近くまで来てるみたいだからちょっと出てくる。美月、頼んだ」


「いいけど、できるだけ早く帰ってくるのよ」


「わかった」


 蒼空は「悪い、すぐ戻る」そう言って家を出ていった。リビングには美咲さんとふたりきり。


「あの子、学校で美月ちゃんに迷惑とかかけてない?」


 美咲さんが気を使って話の話題を振ってくれた。


「そんな全然。逆に私が蒼空に助けて貰ってばかりで」


「あら、そうなの?」


 美咲さんは優しく微笑みながらそう言った。


「蒼空ね。家でいつも美月ちゃんの話してるのよ」


「えっ、私のですか」


「そう、今日は一緒にアイス食べたとか美月ちゃんの演技がド下手くそだったとかね」


「えー、そんなことまで言ってるんですか」


 美咲さんは前に聞いた話を思い出しながら次々と私の話を出して言った。


「あとね。ずっと聞きたかったことがあるんだけど」


「なんですか」


 そう言われ美咲さんの顔を見上げると美咲さんは何やらニヤニヤとした顔で私の顔を見つめてきた。なんの話だろう、そう思いながらも私は目の前に出されたお茶を手に取った。


「蒼空と美月ちゃん付き合ってるでしょ」


「ンっ!」


 突然の話に口に入っていたお茶が飛び出そうになった。慌てて、手で口を抑え飲み込んだ。


「しっ、知ってたんですか」


「やっぱり、そうなのね!」


 驚きながら言う私に美咲さんは嬉しそうにそう言った。


「これは親の感よ」


「すごいですね」


「当たり前よ。十六年間あの子の母親やってるんだからね」


 美咲さんはそう誇らげに言った。


「美月ちゃん、これからも蒼空のことよろしくね」


 向き合うように座っていた美咲さんは机の上にある私の手をぎゅっと握って微笑んだ。


「いえ、そんなこちらこそ」


 あらたまってそう言われ、私は戸惑いながらもそう返事をした。


 その後は中々戻ってこない蒼空を待ちながら美咲さんと昔の私たちの写真を見せてもらったり、料理の話をしたりしていた。


 けど蒼空が帰ってくる前に私は家に帰った。


 結構、お邪魔してしまった。蒼空、帰ってこなかったけど樹くんと長話でもしてるのかな。


 それにしても美咲さん、やっぱり優しいな。でもこれからもよろしくねって言った美咲さんの顔が悲しく思えたのはどうしてだろう。


 私は頭の中でそのときの美咲さんの顔を思い出す。樹くんといいなんだか引っかかる。私はふと空を見上げた。


「星、見えないな」


 曇っているのか単に時間が遅いからなのか空は真っ黒だった。

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