リゾート気分ってなんだっけ 2
アルはコーヒーを一口飲んだ後、少しだけ筋トレをする。コーヒーと自分の心を少々冷ましたかったからだ。
メリッサは長い脚を組み、タブレットを眺め続けている。何を読んでいるのだろうか。いや、時折タイプしている。役員に報告しているのかもしれない。それは当然、考えられることだ。アルが社長に就任して以来、こんなに長い休暇をとったことがない。役員連中にとっては未知の体験だ。戸惑っていることだろう。
仕事の澱をきれいにして、メリッサとの時間を過ごしたい。だから、聞かない。
読書に戻って、アルはぬるくなったコーヒーを飲み干す。
隣にラフな格好のメリッサがいる。それだけでもう特別な体験のはずなのに、もう慣れている自分がいる。それはそうだろう。Tシャツだけの彼女と一晩を共にしたのだ。少しは耐性ができる。それと同時に欲望もかき立てられてしまうのは仕方のないことだ。それでも焦らず、少しずつ、距離を近づけようと思う。
1時間ほど読書を続け、アルは今度は水着に着替えて外に出る。もう日が昇り、気温が高くなっていた。プールで泳ぐにはちょうどいい頃合いだった。メリッサはタブレットを手にしたまま、室内にいる。それでいい。各々好きにすればいいのだ。
真夏の陽光がアルの肌を刺す。心地よく感じるのはどうしてだろう。高校時代にプールで泳いだときのことを思い出す。塩素の臭いが鼻をつくから、記憶が呼び覚まされるのだろう。
プールに飛び込み、ゆっくりとクロールで泳ぐ。
ゆっくりと身体のどの筋肉を使いながら泳いでいるのか意識する。すると今まで筋トレでサボっていた筋肉が分かる。結局、オールラウンドに鍛えるには水泳が1番ということだ。心地よい疲労。息継ぎの酸素の美味さ。ゆっくり心拍が上がっていく。
何往復もしただろう。覚えていない。65階のここまで階段で上がってくる代わりの運動としてはやりすぎだ。そろそろ上がろうと思ってプールの端に手を掛け、空を見上げると、太陽をバックにメリッサの顔と手が見えた。
「はい、上がります?」
「うん」
アルはメリッサの手をとる。彼女の手のひらは小さく、指は細く、爪はあまり派手ではないマニキュアが塗られている。マジマジと見るのは初めてだ。そして手を握るのも。
心地よい何かがつないだ手から流れ込んでくるのが分かる。彼女の手を頼りにプールサイドにあがり、膝立ちしているメリッサの正面に座り込むようなカタチになった。
「ああ、疲れた」
「ずいぶん長く泳いでいらっしゃいましたね」
「調子に乗った。ああ。気持ちが良かった」
メリッサは水着姿になっていた。美しい。昨日の日焼けは見えない。日焼け対策は万全なのだろう。ふと思った。
「君は背中にどうやって日焼け止めを塗っているの?」
「え? 普通、手が届くじゃないですか。どういうご質問で?」
どうやら関節の可動領域は広いらしい。
「それは新鮮なお答えで」
メリッサは思い至ったのか、少しニヤついたような笑みを浮かべた。
「そうですか。それは分かりませんで。秘書の背中に日焼け止めを塗らさせてさしあげるというミッションをスルーしてしまったんですね、私」
「別に自分で塗れるならいいんじゃない?」
「ボスは日焼け止め要らないんですか?」
「休暇帰りに日焼けしているのもそれらしくていいだろう?」
「あら。背中に塗れなくて残念」
「そういう冗談はいい」
メリッサの胸の谷間に目が行ってしまうと、また急に意識してしまう。いかんいかん。大人しくしろ、お前、とアルは下半身の自分を律する。Cくらいはありそうだ。十分な大きさだ。形も良い。誰も触れたことのない乳房。馬鹿だ俺は。自分でブーストを掛けてしまった。ガマン、ガマン。
「君は泳がないのか」
「泳ぎますよう」
そしてメリッサは立ち上がり、プールに飛び込んだ。
水しぶきがアルにかかった。
太陽が眩しい。
周りを見てみれば、見慣れた街並みが眼下にある。相変わらず人々は通りを行き交い、ハイウエイには車が列を成している。この光景の中、何故かアルとメリッサだけはリゾートごっこをしている。排気ガスのせいで霞んだ青空でも、プールサイドにいるお陰か、鮮やかに思う。
「ちゃんとリゾートしてるなあ」
プールサイドに用意しておいたタオルで身体を拭き、室内に入る。テーブルの上にメモがあり、冷蔵庫を見るようにとあった。冷蔵庫の中を見るといかにも健康に悪そうな青い飲み物がグラスに半分入っていた。見たことのないグラスなので、下のホテルにオーダーしたのだろう。炭酸水も一緒だ。冷凍庫を見てみるとアイスもある。
自作も悪くない。
青い飲料が入ったグラスに炭酸水を注ぎ、アイスを投入して浮かべ、スプーンを手に執務スペースに戻る。青い液体と白いアイス。これだけでリゾート気分だ。
全面ガラスに目を向けると、早くもメリッサがプールから上がってきた。
白い肢体が陽光に眩しい。水滴の1つ1つが反射している。
ゆっくり関係を進めたいな、とアルは思う。自分の好意を信じて欲しい。密室で2人きりになったから、単に欲望に負けたのだと思われたくない。少しずつ、話をしようと思う。
グラスを手にしているのに気がついたのだろう、メリッサが全面ガラスに寄ってきてトントンと叩き、何かを言っていた。防音なので唇を読もうとするが、もちろんそんなスキルがないアルには分からない。でも「いいでしょ?」くらい言っているのかなと思う。
アルはスプーンを手に子どものようにアイスを大口で食べる。
ガラスの向こうのメリッサが破顔する。
ああ、僕は今、最高にリゾートしてる、とアルは思った。
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