死は簡単に劇的だ

 斃れ、積み重なった亡骸の山々の前に跪いて、真摯に、真剣に「死者のゆくさきに幸福があるように」と祈る人を見たことがあった。


 空は曇り、煙と砂塵にまみれ、まるで色彩が無くなったかのような世界で。その人のまわりだけは光っているように見えたことを今でも覚えている。

 あの頃、戦乱の中で人々は疲弊しきって、己のことだけでも手一杯だった。混迷の中でわたし達に余裕なぞなく、傷つけ合い奪い合い、そうして生きていた。そうするほか、道はないのだと。

 神に祈ったところで、救いなどなく。絶望のまま息絶えた修道女、母の腕の中で道連れにされた赤子、錯乱して自らに火をつけ苦しみのうちに死んだ老人、親を失い、餓死した子ども。ああそうだ、そこは此岸の地獄だったとも。

 既に一人ひとり丁寧に埋葬することなど不可能だった。しかし死体はいずれ腐り病を振りまく。だから人々は、わたし達は、浅く掘った穴に積み上げて名ばかりの「火葬」をしていた。誰であるかなんて分からない。ただ炎の中で縮んで丸く小さくなってゆく「死体」という薪を無感動に見ていた。


 そこに、その人は現れたのだ。わたし達と同じようにガリガリに痩せてボロを着ているというのに、背筋はぴんと天に伸びて、この地獄の中で未だ真っ当な精神を保っていた。ひと目でわかる高潔な魂は、煌々と輝く太陽のように既に地獄に染ったわたし達の目を焼いた。

 そしてその人は、薪ではなく人であると、彼らのゆくさきに幸あれと、彼らのために祈っていた。

 眩しかった。そのあまりにも強い光はわたし達の幽鬼のような昏い目を、麻痺した心を、曇った魂を焼いた。あの光は、あの時あの場所あの地獄では、直視するには眩しすぎて、痛くて、苦しかった。

 結局あの人はその命脈を絶たれることとなった。あの光に耐えきれずに飛び出してきたあの場所では普通の、そして今ここでは狂人と呼ばれるような人間にあっさりと殺されてしまった。わたしは、わたし達はそれをただ見ているだけだった。


 長い時間が経って、混迷の時は過ぎ去り、忘れ去られようとしている。ああ、それでも忘れられぬものはあるものだ。きっと、わたしは忘れない。忘れられない。凍った心が雪解けの時を迎えた時に覚えた痛み、後悔の味と共に。かの光を、彼岸の地獄へゆく時まで。いや、その後でさえ忘れないだろう。そう、いつまでも。

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