第15話 私に指揮を振らせてください
『放課後第三音楽室集合で! みんな来てるよ!』
『漢字いっぱいで中国語みたい!w』
西島さんからそんな連絡が届いた放課後────私は第三音楽室に足を踏み入れる。そこには元の第三オーケストラの面々が揃っていた。オーケストラを抜けたはずの獅々田くんたちチェロパートも全員いる。
西島さんが全員集めてくれたようだ。そんなに活動的な人だったんだ。私は団員のことを何も知ろうとしなかったんだな。
「リっちゃん!」
その西島さんが手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。
「ちゃんと全員連れてきたよ。話せる?」
「え、ええ……それより、なんですかそのリっちゃんとかいうのは」
「リツだからリっちゃんだけど?」
「……そんな呼び方を許可した覚えありません」
「えー、仲直りの証のあだ名じゃん。うちのことも好きに呼んでよ」
「仲直りとあだ名は別です、西島さん」
「仲直りしたことは認めるんだ?」
「…………」
「に、睨まないでよ……ごめんて」
はぁ、とため息を吐いて、私は指揮台の上に立った。ちなみに、このため息は面倒とかそんな意味じゃなくて、ただ……そう、緊張しているだけだ。視線が一斉に集まる。宮本さん指揮台に近づき、そっと耳打ちしてくる。
「あのことは、みんなに言ってないよ。私とカノンちゃんと創路さんの秘密」
「えっ」
私は思わず宮本さんを見た。彼女は微笑みながら頷いた。
「あんまり知られたくないと思って。言い訳になっちゃうかもしれないから」
「……どうしてそこまで」
「誠意の証、かな」
宮本さんは私から離れると、オーケストラの団員たちの方を向いた。
「みんな、今日は時間を取ってくれてありがとう。私たちの今後について、ちゃんと話合いたくてみんなには集まってもらいました」
「……話し合うことなんてあるのか?」
獅々田くんが不満そうな表情を浮かべながら言った。
「有志オケは申請がいっぱいだからって選考中なんだよ。満足にオケもできやしない。せっかくこの泥船から抜けられたのに」
「ナオ! やめなさい!」
西島さんが声を上げる。
「オケがやりたいなら戻って来りゃいいのに! いつまで意地張ってんの!」
「はぁ? 意地なんて張ってない。てかカノンだって前までは女帝の否定派だったろ。なんだよさっきの仲良さげな雰囲気」
「何、嫉妬してんの? 男の嫉妬ってキモイよ。それに、うちら仲直りしたから。ねー、リっちゃん」
「……巻き込まないでください」
私は咳払いをして、そして……オーケストラを見渡した。
指揮台の上で音楽以外の話をするなんて初めてだ。初めて、私は自分の言葉を話す。じんわりと手袋の中の手のひらに汗が滲む。
何を話そうか、何も考えられなかった。しかし────ここに立つと、すっ、と口が開いた。
「ファーストヴァイオリン。宮本さん」
「は、はいっ!?」
名前を呼ばれると思っていなかったらしい宮本さんは慌てて返事をした。「なんだ……?」「何を言い出すつもりだ……?」と団員たちは私の次の言葉を固唾を飲んで待った。
「金田くん、小山くん、八丈島さん、庄司くん、陽くん、永澤さん、佐々木くん。セカンド。柊くん、余根田くん、咲元さん、佐久間くん、吉田さん、城嶋くん、チェさん、井波くん。ヴィオラ。如月さん、伊藤くん、国崎くん、木下さん、神田川さん。チェロ。獅々田くん、牧原くん、新条さん、エバンスさん、春田くん、登喜くん。コントラバス。和仁屋さん、加藤くん、群道さん、星くん。オーボエ。マンツくん、林田さん、東海林くん、三上さん。フルート。立花くん、舘くん、町田さん、李くん。クラリネット。西島さん、香川さん、安藤さん、富野さん。ファゴット。柏森くん、佐藤くん、後藤くん、吉川くん。ホルン。乾くん、花山くん、竹之下くん、常田さん、仁内くん、河北さん。トランペット。桐生さん、山田さん、春日さん、住吉くん。トロンボーン。桐生くん、環くん、霧野くん。パーカッション。木村くん」
私は一人ずつ顔を見ながら全員の名前を呼びかける。
「西島さんに言われました。私は自分の殻にこもって、あなたたちを信じていないと。だからあなたたちも私を信じられないと」
「私は嫌われている自覚があります。そして、それでも構わないとも思っています。人間関係など構築する意味が無いと思っているからです。そもそも私は誰かを好きになったことはありません」
「音楽家は音でモノを語る人種です。だから周りがいくら何を言おうと、音でねじ伏せればいいと、そう思っていました」
「でも……」
「それは私がソロをやっていたからです。一人でヴァイオリンを弾いていたからです」
「先ほど、ある方とセッションしました。彼は私の酷い演奏に食らいついてくれました。そこで初めてあることに気付きました。初めて私は、誰かの目を見ながら弾きました」
「あなたたちがいくら私のことを嫌っていても構いません。それでも、オーケストラには向き合ってほしい。私も、あなたたちに向き合います。……その、努力をします」
「私は……音楽が好きです。だから、同好の士であるあなたたちと一緒に演奏したいです。あなたたちとしか奏でられない音が……あるはずだから」
私は深く頭を下げた。
「試験については、本当に申し訳ありませんでした。私の自己管理不足です。もう私のことが信用できないのであれば、指揮者を変えるよう学園に直談判します。本当に、本当にごめんなさい」
「もし私でいいなら、もう少しだけ、私についてきてください。私に指揮を振らせてください。もう私には……」
そこで私は言葉を区切る。勢いに任せていらないことまで口走ってしまうところだった。もう私にはこれしかない、と。
ざわざわとオーケストラの間でざわめきが起こる。
「うちは!」
西島さんが立ち上がった。
「あたしは、やる。第三オケがバカにされてるのムカつくし。このままじゃ終われない。ぎゃふんと言わせてやらなきゃ気が済まない!」
「わ、わたしもやります!」
カノンに続いて、かつて私に大勢の前で詰められた香川も声を上げた。
「り、リードの件ですけど、あれ、ほんとにわたしが悪い事だから。空矢さんの言ってること全部正しいもん。それにあんなに色んな音が鳴ってて、わたしの音が汚いってすぐ分かるのすごいと思う」
「僕は前から言ってるけど、空矢さんの指揮は良いと思うよ」
ホルンパートリーダーの乾くんが口を開いた。
「まぁ、言い方とか問題はあると思うけどね。でも空矢さんはオケの問題、特に管の安定性についてかなり厳しく見てくれてるからありがたいよ。緊張感あるし、自分じゃ分からないところも気づいてくれる。僕はアリだね」
「でも……虫が良すぎないか?」
獅々田くんが立ち上がり、指揮台まで向かう。
「今まで俺たちのこと無視してきたくせに今更向き合ってくれなんて。それにどんなことがあっても、空矢が何の連絡も無しに遅刻してきた事実は変わらない。嫌われてるのも構わないって言うけどさ、その原因も全部自分だろ」
「じゃあナオは言えるの? リっちゃんがなんで嫌われてるか、その理由」
西島さんが厳しい調子で獅々田くんに尋ねた。彼の目に一瞬逡巡が見えた。
「それは……学長の娘で、コネ入学したから受験合格の枠が一個潰れたり、コンクールも八百長だったって。それに卑怯な手でライバルを挫折させたって」
「それさぁ、今のうちらに関係あるの? 所詮噂でしょ」
「……それは」
西島さんは首を横に振り、俯いた。
「ううん……うちにも、ナオをとやかく言えないよ。あたしだって同じようにリっちゃんのこと、嫌ってたもん。最低だったよ。みんな最低。あたしたちの方こそリっちゃんのことをちゃんと見てなかったよ」
「でも……長谷部さんだってそうだ! あいつめっちゃ上手いのに理不尽に外されて────」
「アタシがなんだって?」
音楽室の扉が開いて、長谷部さんが現れた。テーピングだらけの手には一枚の書類を持っている。団員たちが一斉に彼女を見る。「あれ、なんか変なタイミングだった?」と長谷部さんは少しもじもじとした。
「……長谷部さん」
「どーも、女帝ちゃん。あん時の借りを返しに来たよ」
長谷部さんは指揮台まで歩き寄り、書類を渡してきた。
「これは?」
「成績上位者の特権。選抜オケに選ばれた。どこがいい? って聞かれたから第三オケがいい、って言ったら『正気か?』って言われたよ」
私は書類に目を落とす。そこには「長谷部カナを第三オーケストラ所属とする」と書かれ、学院と学長の押印が捺されている。
「アタシ、ユキに言われたよね。アンタに私が間違ってました、入ってくださいって言わせるために練習しろってさ。ざまぁみろ、帰ってきてやったけど? まさか実技試験トップの俺を入れないわけにはいかないよな?」
自信満々な顔で長谷部さんは腰に手を当てる。
私はなぜかひどく安心して口を開く。
「私は間違っていますか?」
「それをアタシに聞かないでよ。遅刻は悪かったって」
「これからも遅刻は厳禁ですよ」
「はいはい」
獅々田くんはポカンとしながらそのやり取りを見ていた。そしてため息をつきながら頭をガシガシ掻いた。
「ああもう、分かったよ! 俺もやる! どうせすぐに有志オケできないし……」
その後も各パートリーダーも次々に賛同し、第三オーケストラが復活した。正直に言えば、その場の雰囲気や空気に流された面は大いにあるだろう。それでも彼らと再び結束できたことで、私は胸を撫で下ろした。
これで、辛うじて首の皮一枚繋がった。まだ私は学園にいられる。
「ありがとう。宮本さん、西島さん」
私が呟くと、彼女たちは信じられない、という目線でお互い顔を見合わせる。
「な、なんですか。私だってお礼くらい言います」
「じゃあこれでおあいこだね、リっちゃん!」
「ふふ。うん、リツちゃん。これからよろしく」
「だから名前で呼ばないでください……」
鬱陶しそうに顔を背けながら、私は笑っていた。
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