17.忘れられた記憶
「
「あ、いや。そんなことはないよ。むしろいい匂いだった」
慌てて否定すると、すぐにタオルを返す。
少し考え込んでしまっていた。横目で
タオルをしまっている梨央は僕の視線には気がついていない様子ではあったけれど、楽しそうな笑顔を覗かせていた。
まさか梨央のことをこんな風に意識してしまう日がくるなんて思っていなかった。梨央自身はどう思っているのかわからないけれど、ずっとすぐそばにいてくれた女の子の存在に僕は気がついてしまった。
いちど意識し始めると、妙に気になって仕方が無かった。
それでも僕はできるだけ平静を努めていた。なるべくいつも通り振る舞って、この後も梨央とのデートを楽しんでいた。いたと思う。
「ふう。遊んだ遊んだ。うん、楽しかったー」
梨央は大きく手を伸ばしながら帰り道を歩く。
「こうして一真と二人で遊ぶのはひさしぶりな気がするね」
確かに高校に入ってからは梨央と二人で出歩いたことはなかった気もするし、去年は受験でそれどころでもなかった。その前はどうだったかいうと、あまり覚えていない。梨央と二人でというのは本当に久しぶりかもしれない。
「そうだね。楽しかった」
「うん。デート。楽しかったよね」
「あ、えーっと。うん。そうだね」
デートということを強調されて、ちょっとだけ胸が揺れていた。
なるべく梨央が女の子だということを意識しないようにしていたけれど、デートという言葉はどうしてもそこに引き戻してくる。自意識過剰だとは思うのだけども、まるで梨央が僕と一緒にいたいと思っているんじゃないかと錯覚してしまう。
だからこそ曖昧にしか答えられなかった。でも梨央はそんな僕の様子をみて、適当にうなずいているように感じたのかもしれない。
「もー。一真ったら、つれないなー。こんなに可愛い女の子と二人で遊んだっていうのに、そっけないじゃんっ」
梨央は僕の背中を音を立てて叩くと、あはははっと声を立てて笑っていた。
いつもとおりの梨央だ。たぶん僕が思うほど、梨央は気にしていないのだろう。僕が変に意識してしまったから、つい余計なことまで考えてしまうのだと思う。
「あ、そういえば来週は秋祭りだね。暇だったらそっちも一緒に回ろうよ」
梨央は街中にある案内をみて、不意に気がついたように、秋祭りへと僕を誘った。
秋祭り、か。
来週の秋祭りは、もう約束をしてしまった。みらいと一緒に回る約束はやぶる訳にはいかない。みらいのことを思うと、梨央のことを考えている時とは違う形で胸が締め付けられるような気がしていた。
僕には自分の気持ちがよくわからなかった。どうしたいのかわからない。
でも先に約束したのだから、その日はみらいと一緒に回るべきだ。
「ごめん。実はもう人と約束しているんだ」
「えー。そっか。それって昨日のデートの相手かな」
「うん。まぁ、そう」
「そっかー。やっぱりその子のことが気になっているのかな。あんなに
梨央は後ろ手に組んで僕をじっと見つめていた。
梨央がどう感じているのか、僕にはわからない。ただ梨央は少しだけ残念そうな顔を浮かべたけれど、でもすぐにまた笑顔を僕へと向ける。未来のことをずっとひきずっていただけに、僕がその子とデートすることを喜んでくれているのだろう。
「うん。まぁ、可愛い、かな」
少し言葉を濁して答える。
みらいのことを話したら、梨央はなんというだろうか。普通には信じられないとは思うし、そもそも未来のことを忘れられないでいる自分に呆れられるかもしれない。
でも僕がたずねるよりも先に、梨央が話を続けていた。
「そっか。それはよかった。ここのところさ。一真。なんか少し悩んでいるみたいだったからさ。心配だったんだ。あの時と同じような顔していたから」
梨央のいうあの時のことを思い出して、僕は胸が強く痛む。
「そんな顔していたかな」
「うん。未来がいなくなって。そして。一真がさ」
梨央は少しだけためらいがちに口をつぐむ。
でも意を決したように、僕の顔をじっと見つめていた。
「一真が自殺しようとしたときと同じ顔」
梨央は僕をじっとのぞき込んでいた。心配をかけていたのだろう。
「大丈夫。もう死のうだなんて思っていないよ」
僕はゆっくりと首を振るう。
あの時は僕もいろいろと思い詰めてしまっていた。僕が未来を奪ってしまった。僕が未来を殺したのと同じだと、何度も自責の念にかられていた。
でも梨央はそんな僕を止めてくれた。
梨央を初めとして、僕のことを考えてくれている人がいることを教えてくれた。
だからもう死のうだなんて思ってはいない。
でもみらいが僕の前に現れて、僕の心がかき乱されていたのは確かだと思う。
どこか違う世界からきたというみらい。死んでしまったはずの未来が目の前に現れて、平静ではいられなかった。
嬉しくて、信じられなくて、それでも信じたくて。でもどこか現実感がなくて。
だから僕の気持ちがいつもよりも強く未来に惹かれてていたのは確かだと思う。そんな僕をみていたら梨央は心配になったのだろう。
僕をデートだなんていって誘ったのも、たぶん僕を心配してくれていたからで、気持ちを切り替えさせたかったのだろう。
実際に梨央と遊んでいる間は未来のことを忘れられていた。一緒にいることが楽しいと思っていた。梨央にはいつも感謝の気持ちしかない。
だから。
だからこそ、僕はみらいのことを話そうと思う。梨央に隠し事をするなんてことは出来ない。
「この間、話したみらいのことを覚えている?」
意を決して話し始めた僕に、しかし梨央はきょとんとした顔を向けていた。
「え、うん? なんだっけ」
「え。あの。ほら、山の中で写真が写ってさ。未来だって名乗った子がいたって」
「そんな話したっけ?」
だけど梨央は全く覚えていないという様子で、あからさまに首をかしげている。
いや確かに僕は梨央にみらいの話をしたし、その時も梨央は僕に未来はもういないんだよと念を押していたと思う。
知らないふりという感じでもない。完全に僕と話したことを覚えていないとしか思えなかった。
けどそれはおかしい。他の子であれば、ちょっとだけ話した女の子の話なんて覚えていなくても不思議じゃないかもしれない。
だけど僕が話したのはもう亡くなった女の子である未来が、幽霊として出てきたかもしれないなんて突拍子もない話だ。写真まで見せて話したのだから、いくらなんでも覚えていないのは不自然だ。
「ほら、写真も見せたじゃない。どこか未来の面影が残っていてさ。それで幽霊かもなんて話をして」
「うーん」
梨央は腕を組んで考え込んでいた。必死に思いだそうとしているけれど、思い出せない。そんなもどかしさが表情に表れていた。
「ごめん。やっぱ覚えてないや。あ、でも写真見せてくれたんだよね。もういちど見せてくれたら思い出せるかも」
「……ごめん。写真はもうないんだ」
僕が首を振るうと梨央は「そっか、残念」と軽く答えていると、それ以上には興味をなくした様子で、僕には何も聴いてくることはなかった。
おかしい。
何だろう。例えようもない違和感が僕を完全に包み込んでいて、それまでの楽しい気分やどこか申し訳なく思っていた気持ちが霧散して消えてしまっていた。
梨央は物覚えはいい方だ。あんな会話をして覚えていないはずがなかった。でも今の梨央は僕との会話を全く覚えていない様相を見せていた。
覚えていないふりをしているなんてこともないと思う。そんなことをする意味がわからなかったし、それに普段梨央は僕のことを何かと気にかけてくれている。特に未来とのことに関しては、自分もショックだったこともあるだろうが、本当にいつも気にしてくれていた。
その梨央があの時の会話を覚えていないなんて、普通であればあり得ない。
何かが起きているのだろうか。でも何が起きているのかはわからなかった。
僕はただただ混乱した頭の中から、何か答えを導きだそうとして、でも何も見つけられなかった。
「その未来と名乗った子と、秋祭りは一緒に回る予定なんだ」
僕はありのままに答えることにする。もしかしたら何か反応があるかもしれない。そんな淡い期待を胸にしながらも、僕は梨央をじっと見つめていた。
「そうなんだ。んー、まぁでもさ。未来はもういないんだよ。その子には未来の面影があるのかもしれないけど。その子は未来じゃないんだ。未来を重ねてみたら、失礼と思うよ。ちゃんとその子と向き合わないとね」
梨央のいいぶりは、完全にその子が未来ではないと否定する答えだった。
もちろん普通ならそれが正しい。未来はもうこの世にはいない。別の世界から来ただなんて言葉を信じるのは、どこかおかしいとは思う。
でもあのみらいは確かにそこにいて、僕と触れ合った。
触れ合ったはずだ。
でももしかしたら、僕が作りあげた妄想だったのだろうか。僕の心は壊れてしまっていて、見えもしない想像の中でみらいを作りあげたのだろうか。
本当は僕はおかしくなってしまっているのかもしれない。
確かにみらいの姿は写真には残っていない。だから未来がいない世界に絶望した僕が作り出した架空の存在だと言われたら、否定する材料は何もない。
美術館に行こうといったみらい。いろんな絵の説明をしてくれたみらい。そして僕のささやかなプレゼントを喜んでくれたみらい。それはすべて僕の妄想に過ぎなかったのだろうか。
もしかしたらそうなのかもしれない。
僕は連絡先も訊けていない。確かにみらいがいたといえる痕跡は何もない。他の誰も知らない。
写真には映っていない。映したはずのみらいはどこにもいない。
未来のことを引きずりすぎたせいで、僕は壊れてしまったのかもしれない。
いやそんなことはないはずだ。ないと思う。
でも確証が持てなかった。それどころか、僕がおかしくなったのだと考える方が、現実味がある答えだ。
他の世界から来ただなんて、あるはずがない。
あるはずがなかった。
僕はだから。
「そうだね。ちゃんとその子のことを見るようにするよ」
そう答える以外に出来ることは何もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます