9.私でもいいんじゃない?

 みらいとは週末に会う約束をして別れた。夜眠って目を覚まして、こうして学校に来ていても、まだ夢の中にいるような気もする。昨日の出来事が本当にあったことなのかわからずに、何かふわふわとした気持ちにとらわれていた。


 正直みらいが別の世界から来たなんて話はまだ信じられていない。いや実のところはほとんど信じていたかもしれないけど、現実感は全くなかった。

 何が起きているのかわからなくて、自分の知らない世界が近づいてきているようで、頭の中は真っ白に困惑している。

 こうして学校にいても、なんだかふわふわした気持ちに包まれていて地に足がついていない感じがする。


「なんか複雑な顔してるね」


 声をかけてきた梨央りおに僕は顔を向ける。いつの間にか机の隣に彼女は立っていた。


「うん。ちょっとね。いろいろあって。今でも信じられないんだ」


 素直な感想を漏らしていた。

 梨央とはつきあいも長いから、僕のことなんてお見通しなのだろう。僕の複雑な気持ちも察しているのだと思う。


「え、なに? まさか女の子に告白されてデートする約束になったとか?」

「あ、うん。まぁ、そんなとこ」

「え!? そうなの!?」


 梨央はあからさまに驚きをもらして、僕の顔を見つめると目を右往左往させていた。

 こんな風に慌てる梨央は珍しい。よっぽど意外だったのだろうか。


 いや、それもそうかもしれない。僕はずっと未来みらいのことを引きずってきていた。だから他の女の子に目をやったことはなかったし、浮いた話の一つもなかった。そんな僕が突然誰かとデートするだなんて話は、あまりにも意外性が強かったのだろう。


「へ、へー。まさか他に一真かずまのこと好きな子がいるだなんて思わなかった。えっと。それでどんな子なの?」

「うーん。わからない」


 僕はまた素直に答えていた。

 正直みらいの話はどこまで本当のことを話しているのかなんてわからないし、仮にすべて本当だったとしても誰かに話して信じてもらえるような話でもない。

 そしてみらいは、僕の知っている未来ではない。


 みらいが本当に未来だったとしても、みらいにはみらいの僕が知らない七年間を過ごしてきたはずだ。


 その中で何があったのか、どんな風に暮らしてきたのか。僕は知らない。

 みらいには確かに未来の面影はある。僕はみらいが未来であることをもう疑ってはいない。それでも七年の月日は、僕が知っている未来から良くも悪くも変えてしまっているはずだ。


 みらいは未来だけど未来じゃない。

 だから僕はみらいのことを何も知らない。みらいがどんな子なのかはわからなかった。


「わからないって」

「よく知らないんだ。まぁ、ぶっちゃけ明るい感じの子ってことくらいしか知らない」

「そんなの子の告白、よく受けたね」


 梨央がなんだか少し怒っているような感じがした。

 確かにそれまでずっと未来のことばかり見ていたのに、急に知らない子とデートするなんていうのは梨央から見ればいいかげんに思えたのかもしれない。

 実際には僕は何一つ前には進んでいないんだけどね。自虐するように内心で吐き捨てると、思わずためいきを漏らしてしまう。


「まぁ、ね。なんとなく」


 それ以上のことは何も言えずにごまかすように答える。

 少しだけ二人の間に沈黙が広がる。

 ただ梨央は大きく息を吐き出すと、それから僕の肩を叩いてにこやかに笑顔を見せていた。


「ま、いいか。一真はずっと未来のことばっかりみてたもんね。前に進んでいるってことだ」


 梨央は僕の肩をばんばんと叩く。

 未来以外の子との話がよっぽど嬉しかったのか、肩を叩く力がだいぶん込められている気がする。まぁみらいとのデートを未来以外と言っていいのかわからなかったけど、余計なことは言わないことにしよう。


「でもさ、どうして急に他の子とつきあうつもりになったの?」

「つきあう訳ではないよ。まぁ、なんとなく誘われたから行ってみるっていうか」

「なんかはっきりしないなぁ。誰でも良かったってこと?」


 梨央はなんだか少し眉をよせて、僕をじっとにらんでいた。

 なんだか責められているような気がして、そして梨央を騙しているような気がして気が引ける。

 誰でもいい訳ではなかった。僕の心はまだ未来に残ったままだ。


 みらいは未来だったから、僕は未来を選んだだけなのだろう。彼女の言葉が本当かどうかはわからないけど、少なくとも僕は彼女を未来だと思った。だからデートしてみたいと考えている。


 でも梨央にそんなことは言えない。知られたくなかった。

 少し後で考えてみれば別にみらいのことを隠す必要なんて無かったのだけれど、この時の僕は何となく梨央には言えないと考えていた。


 どうしてそう思ったのかはわからないけれど、もしかしたら前に進めているようなふりをしたかったのかもしれない。


「そうだね。そうかもしれない。ただ僕だって今のままでいいと思っている訳じゃない。だから、この話を受けることにしたんだ」


 思わず答えた言葉は嘘ではなかった。僕だって、いつまでも未来にとらわれたままじゃいけないとは思っている。

 忘れられない恋をしていた。叶わない恋をしていた。

 たとえどんなにひどい別れ方をしたとしても、生きている限りはもういちど気持ちが通じ合う可能性はゼロじゃない。


 だけど僕はもう二度とふれあうことは出来ない。


 絶対に届かない恋。未来が生きている間は自覚すらしていなかった。

 失って初めてわかることもある。物語なんかではよく言うけれど、自分がそれを感じることがあるだなんて、思ってはいなかった。

 ずっと過去のことにとらわれて、ありもしない幻想にすがりついて。本当は今も僕は脳内にだけある幻を見ているのかもしれない。


 それでもみらいと一緒にいることで、何かが前に進むかもしれない。そんな気持ちがあるのは確かだった。


「そっか。そうだね。一真が前に進むためには必要なことかもしれないね」


 梨央は納得したのか、もういちど肩に手を置いた。

 そしてゆっくりと僕へとほほえみかける。


「でも誰でもいいんだったら、あたしでも良かったんじゃない?」

「え?」


 突然の梨央の言葉に僕は思わず問い返していた。

 まぬけな声を上げてしまっていたと思う。

 梨央の言葉が何を言っているのか、耳では聞いていたけれど頭では理解できていなかった。


 梨央が、僕と? え、何を言っているのかわからない。

 梨央はずっと長いこと幼なじみとしてやってきて、そして今となっては僕が未来のことをずっと引きずっていたのを知っている唯一の友達だ。


 だから梨央のことをそんな風な目で見たことはなかった。


 梨央のポニーテールが、少しだけ揺れていた。気のせいかもしれない。

 ただ梨央は僕の言葉を待たずに、意地悪な瞳を僕へと向けてきていた。


「だってその子がかわいそうじゃない? 一真は黙っていたらクールでかっこよく見えるのかもしれないけど。実際は昔のことをひきずってうじうじしてる女々しい奴なんだよ。素の一真を知ったら幻滅しちゃうと思うんだよなぁ」

「なんだよ。それ」


 梨央の言い分にちょっとだけむっとして、声にトゲを含ませる。

 いつも通り僕をからかっているだけだったのだろう。あるいは未来のことをずっと引きずっている僕に呆れていたのかもしれない。まぁ、その方が梨央らしいなとも思う。


「あはは。怒った? 冗談冗談。でもま、その子を失望させないようにね。デートの時に未来のこととか話しちゃだめだからねっ」


 梨央は口元に笑みを浮かべたまま自分の席の方へと向かっていく。

 なんだよ。一瞬梨央が僕のことを好きだったのかと勘違いするところだったじゃないか。

 心の中で愚痴をもらすと、僕は少しだけ梨央の方へと目線を送る。でも梨央は僕の方は気にもしていない様子で、他の子と話し始めていた。


 梨央と僕は昔からこんな感じだった。

 ちょっとおどけたことを言う梨央に、引っ張り回されて、いろいろと連れ回されてきた。


 それは大変な反面、僕はそのことに救われていたんだと思う。


 あんなことをしてしまった僕を救ってくれたのは間違いなく梨央だ。梨央がいなかったら、僕はたぶんここにはいない。いなかったと思う。

 何かと僕を気にかけてくれていた梨央とは、どこかで男女の関係からは一線を引いていた。幼なじみだからか、未来のことを知っているからか。それとも単純に僕に興味がないからなのか。あるいはその逆なのか。理由はよくわからない。


 でも今の関係が心地よくて、僕はあまり梨央のことを意識したことはなかった。

 ただ不意に見せた寂しげな顔が、なぜか僕の脳裏から離れなかった。

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