ケラサスの使者の使者

岡倉桜紅

雪夜のダンス

 この仕事に就いてもう三か月になる。俺は本来は城の役人として働いて安定した生活を望んでいた。クロードと呼ばれ、事務や雑務をこなす公務員だ。そのために公立の安いところだが、まともな学園も卒業した。


 しかし、今の状況はどうだろうか。――地獄だ。


 『休め』のポーズでずっと立っていると腰もきついし、最近は夜が冷え込むことが増えてきて、夕方のこの時間の勤務は動かさない足が凍り付きそうだ。俺は今、南ブロックにでかでかと設置された柵の前に仁王立ちして日がな一日見張り番をしている。


 この世界では、東西南北四つのブロックに国が分けられ、南と西は文系の人間、北と東は理系の人間が集まって住んでいて、理系と文系どちらが優れた学問かを武力を持って争い、決しようとしていた。


 支給された制服はケビイシの制服を少し頑丈にしたもので、鉛の実弾を食らっても致命傷で済むらしい。腰には実弾の入ったピストルが挿してある。合成皮革のブーツはかなり冷える。見張り番の兵の足が凍り付いていざというときにまともに動きそうもないのは完全にシステムの不備に思えるが、この姿勢で見張れと言われているからには足を崩すわけにはいかない。俺の指定された見張りのエリアは普段ヒトが全然行き来しない場所で、この仕事の意義を考えるのはとうの昔にあきらめてしまった。学生の荒っぽいデモとか喧嘩の仲裁という仕事が一切ないのは、ありがたくもあったが、この仕事をさらに張り合いのないものにしていた。


 南にいる理系文系がみんな戦いに来た兵士だとすると、学園に通う血気盛んな生徒が一等兵で、先生は兵長、ランク下段の学生の集団が軍曹とかでそのリーダーは曹長、ランク中段が大尉、ランク上段が大佐、各塔の大臣は大将とか、そういう感じになるんだろうか。むろん、クロードになるための最低限の勉強しかしてこなかったが、この戦争中に俺がたぶん一番、理系文系どっちがいいかという議論ができないことだろう。軍隊でいえば下っ端の二等兵とか三等兵にあたるんじゃないだろうか……。


 腕時計をちらりと見降ろしたが、さっき見た時から五分と経っていなかった。むやみに妄想して気を紛らわしても、足の冷たさは簡単に頭の中から出て行ってはくれなそうだった。交代まではまだ時間がある。


 俺は柵越しの正面に俺と同じように『休め』の姿勢で突っ立っている女兵士を見た。もっとも、王は楽園の掟の一つの『王は軍隊を持ってはいけない』というのを守らないといけないから、俺たちは確かに王に雇われ、兵士チックな仕事をしているが、兵士という呼び名は社会的にふさわしくないのである。とはいえ、俺の頭の中で呼ぶくらいなら許されるはずだ。


 今日も女兵士は表情を崩さず、やや顎をツンと上に向けたような角度で柵の一点を見つめていた。この女兵士は俺がこの仕事を始めて少しして俺の前に立ち始めた。この人もよくやるよな。俺は暇になって目だけきょろきょろしているのだが、この女兵士はなにか信念でも持っているかのようにちっとも動かない。これ以上石のよう、という表現があてはまるヒトを俺は見たことがない。


『ピーンポーンパーンポーン!』


 俺たちの頭上に設置されたスピーカーからやや音割れした音声が流れ始めた。毎日夕方七時ごろにはクロードの最高責任者であるヒサメという人がラジオにて戦況を報告する。


『本日の昼に国語大臣のキリサメと理科大臣のハクマが今月三度目のバトルを行い、今回も決着はつきませんでした。出されたモンダイは過去問としてキロクによって王宮図書館に新たに集積しました。公開されるのは来月頭からとなる見込みです。明日、社会大臣のセイムと数学大臣のハクマの対戦となっています。民間のニュースに移ります。ギウザスでガクによって住宅20棟を破壊したとして理系学生7人、文系学生9人が連行されました。死傷者は40名あまりにのぼります。引き続き、知識人としてマナーある戦闘を心掛けてください』


 放送はそして唐突にプツッと途切れる。報告は簡潔に、余計な事を一切漏らさないというような意志が見えるようだ。もう少し早く俺がクロードになってたらこの人の下で働いていたんだなあと考える。実際クロードになっていないのでどんなふうかを想像することはできず、漠然としみじみするだけだったが。


 と、視線を女兵士に向けると、石のようだった彼女の目がスピーカーを食い入るように見ていた。心なしか顔が青ざめているようにも見える。この三か月で初めて見る表情だったので俺は驚いた。


「おい、大丈夫か」


 三か月向かい合っていて何も話さなかったヒトが、やっとかけた言葉がこれなので、相手はきょとんとした。俺も宙に気持ち悪く残った自分の声に困惑した。まぬけな沈黙が少しあって、女兵士は顔を取り繕った。


「話しかけるな、理系風情が」


 いつもの石のような表情に戻ったが、心なしか動揺で目が泳いでいるように見えた。へえ、そんな声だったのか。思っていたよりも透き通ってきれいな声だと思った。


「失礼した」


 俺たちはまた動かずに向かい合って突っ立っていた。


🌸 🌸 🌸


「ギウザスって先月の抗争でぶっ壊れてゴーストタウンかと思ってたぜ」


「ゴーストタウンだから悪い若者が暴れる戦場になるんだろ。元ギウザスの知識人はもっと柵から遠い地域に逃げたから、もともと中央の住人じゃなかった奴が住み着くようになったんじゃねえか?」


「ギウザスは中央と南の堺の重要な地域だから、統治してるトップはまだ残っていざるを得ないんじゃかないかな」


 次の日、兵士の控室、と俺は呼んでいるが、プレハブの基地に入ると同僚たちが缶コーヒー片手に雑談していた。俺は黙々と制服に着替える。


 俺が同僚と交代すると彼女はもうすでにいつもの場所に立っていた。大体、俺か彼女のどちらが先に来るかは半々くらいだ。今日もまたしんとした場所で柵越しに向かい合う。


「……ギウザスに友達でもいたのか」


 彼女は俺が自分に話しかけていると認識するまでに10秒を要した。


「話しかけるなと言っただろう」


「ちょっと気になったものだから」


「だったらなんだ。敵のお前に教えていい情報などない」


 沈黙が流れる。また足が冷えてくる感覚がじわじわと脳を占領しはじめる。そこで俺はさっきまでは足の冷えを意識していなかったことに気付く。今の沈黙は今までの沈黙とは種類が変わっているような気がした。俺は急に面白くなってきた。


「なあ、この戦争は高学歴の戦いだろ。議論してこそ戦争じゃないか。なにか話そうぜ」


「……」


「黙ってるだけじゃ知識人の戦いとは言えないと思うぜ」


 それからしばらく彼女は俺を相手にしないでいつものように石になりきっていたが、普段より瞬きが多いような気がした。やがて彼女は口を開いた。


「理系は戦略の変更でもあったのか?私が言うことはなにもない。その汚い口を閉じておけ」


🌸 🌸 🌸


「なにか話そうぜ。そろそろ退屈してきたろ」


 俺はあれから二週間ほど頑張ったが、彼女は石になりきったまま何もなかった。のれんに腕押しとはこのことか。のれんがなにかは知らないが、まさにそういう感じがする。


『ピーンポーンパーンポーン!』


 急にスピーカーががなりだし、俺たちは驚いてそちらに目を向ける。まだ夕方で明るい時間に戦況の報告が入るのはこれまでになかった。


『緊急の速報です。今日の午前中に王のテンキュウが何者かに暗殺されました。現在ケビイシが捜査を進めています。王の死亡による戦争中止は計画されておりませんでした。しかし、今月の計画されたバトルはすべて開催される見通しとなっています。新たな情報が入りしだい、順次お伝えいたします』


 俺たちはしばしぽかんとしてスピーカーを見つめていた。そしてお互いに顔を見合した。


「戦争をおっぱじめたいかれた王様が死んじゃったな。これから俺たちはどうなるんだろうな」


 彼女はいつも通り何も言わなかった。


🌸 🌸 🌸


 王が死んでも戦争が終わる気配がなかった。むしろ戦局はどんどんカオスになってきているような気さえする。王が担っていた職務は停滞し、大臣たちも自分たちのバトルに必死なようだった。


「――ばからしいよな」


 俺は白いため息とともに寒空にはいた。


「まったくだ」


 驚いて前を見ると女兵士がいつもと変わらない姿勢で立っていた。口から出たばかりの白い吐息がさっきの発言が空耳でなかったことを証明していた。


「ペンが世界を救うなんて、昔の人はよく言ったものだと思うよ」


 彼女はそう言って俺を見た。


「それを言うなら、似たようなやつでペンは剣よりも強しもあるじゃないか」


「それは、あたってるかもな」


 また俺たちは沈黙にもどった。待ちわびていた彼女の言葉だったが、戦争の憂いしか共有できていないと思うと、素直にうれしい気持ちが浮かんでこなかった。あれ、俺は彼女からの言葉を待っていたはずなのに、いざ返してもらうと、こんな気持ちになるんだな。


🌸 🌸 🌸


「戦争が終わったらどうするんだ?」


 唐突に女兵士から質問が投げかけられた。ひどく寒い日だ。


「俺か?俺はクロードになる試験を受けてクロードになるさ。暖かい室内で安定したお役者仕事をする。それが夢さ」


 彼女はそれを聞いてまた黙った。


「君はどうするんだい?」


 かなり長い思考のあと、彼女は口を開いた。最近は彼女の小さな表情の変化で何を考えているのか想像できるようになってきた。もともとあまり感情を表情に出すタイプじゃないのかもしれない。ぎこちなく表情を作ろうとしているところから逆に見えてしまう。


「お前にそこからピストルで撃って殺してほしい。それが夢だ」


「そりゃあどうして」


「やりたいことがないから」


「残念だな」


「うん、残念なことに」


 この会話の後で俺たちは沈黙した。なぜだか他にしてきたどんな会話も、これ以上に落ち着いた気分になったことはなかった。


「寒いな」


「……うん、寒いね」


🌸 🌸 🌸


 暦は十二月になった。


『明日は楽園は創設記念の冬まつりが開催されます。明日0時から23時59分まではいかなる抗争も禁じられます。楽園の創設982周年を全力でお祝いしましょう』


 冬まつり。それは中央ブロックだけでなく、楽園中のヒトが楽園の創設と発展を祝う祭りだ。家を飾り付け、豪華な食事を用意し、大切な人同士で贈り物をしあったり、日付が変わるまでパーティーで踊ったりする。この日だけはどのヒトも犯罪や喧嘩をせず、楽園に感謝する。奇跡のような日である。町中が赤と緑と金色に彩られてぴかぴか光り輝いていた。ラジオからはもうニュースは流れてこず、レコードやカセットのない家庭でもパーティーのBGMをつけられるように、軽快でいて、しかし落ち着いた音楽が流れていた。


「なあ、明日は俺のマンションに来いよ。同僚で集まって冬まつりを祝うんだ。いい酒もあるぜ」


 同僚が肩を組んできて俺を誘った。


「いいな。じゃあ行こう」


 昼の間、友人の家で料理を食べ、ゲームをいくつかしたりして、日が落ちてきた。そろそろ勤務の時間だな、と時計を見て思ったが、そんな自分に苦笑した。こんな日さえも仕事が頭から離れないなんて俺はとんだ社畜になったものだ。暗くなりかける街路を見ていると、ふと女兵士のことが思い出された。あいつは今日、なにをしているんだろう。


「そろそろ城のダンスホールに移動しようぜ」


 同僚の一人が言って、仲間たちはコートを着始める。


「悪い、用事を思い出した。俺はここで帰る」


「なんだよ、これからが夜で、ここからが祭りのフィナーレじゃないか。ダンスしないのか?」


「いいんだ。また来年誘ってくれ」


 俺は同僚と別れて音楽があふれる街を静かなほうへ歩いた。


🌸 🌸 🌸


「やっぱりここにいたのか」


 俺は柵の前でいつもの通り突っ立っている彼女に言った。雪が降り始めて、彼女の鼻先は少し赤い。


「今日くらいはこんな寒いところに立ってないで家に帰れよ」


「帰るところなんてない」


「……」


 俺はため息をついた。仕方ない。俺は彼女の前にどっかりと座り込んだ。


「どういうつもりだ」


「どうもなにも、楽園の創設982年を祝うのさ。今日は勤務の日じゃないんだから、座ったっていいだろう」


「馬鹿かお前は」


「君も座れよ」


 俺は懐からさっき買ってきた酒の瓶を取り出す。


「これで飲んだくれて凍死したら、いい気持ちで死ねるな」


「……」


 俺がグラスを差し出すと、彼女はそれをじっと見ていた。そして、俺の向かいに座り込んだ。


「人生最後だ。語り明かそうぜ」


🌸 🌸 🌸


「俺は実は理系でも文系でもどっちでもよかったんだ。国語を学んだら言葉の表現が増えるし、数学がわかれば買い物が楽しくなる」


「同感だ」


 彼女の父はギウザスの市長だった。家族は抗争に巻き込まれて死に、家は破壊されて友人の家に住んでいたが、友人も抗争に参加したり巻き込まれたりして、住むところを転々と変えた。


「もう、どうでもいい。行くところも帰るところもないんだから」


「じゃあ、戦争が終わったら俺と住むか?」


「お前に私は撃たれるのに?」


「そうだな、来世、俺たちの細胞がリサイクルされて生まれ変わったら住もうや」


「思ったよりも冗談がうまいな。最初黙っていたときは石のようなやつだと思っていたのに」


「嘘だろ。俺もそう思ってた」


🌸 🌸 🌸


 冬まつりのフィナーレが近づく。スピーカーから流れる曲はワルツに変わっていた。


 俺は立ち上がる。


「ところで、どうだい。俺たちもひとつ、ダンスを踊ってみるというのは」


「今、ここで?」


 柵越しに彼女は聞いた。


「ああ、ここで」


「いいね」


 彼女は立ち上がる。二人は向かい合い、恭しくお辞儀をした。雪で真っ白なダンスホールには二人しかいなかった。


「踊ろうぜ」


 二人はぴったりと息のあったステップを踏んだ。彼女はあたかも俺にエスコートされているかのようにふわりとターンをする。互いに触れることなく踊る。舞って、舞って、その姿は夢のようだった。顔がほてる。胸が熱い。こんなに没頭するダンスを俺はしたことがなかった。頭はぼうとしていたが、視界は冴えている。もっと、もっと踊りたい。二人は、二人きりで踊り続けた。


🌸 🌸 🌸


「はあ、戦争が終わった、と……」


 俺はうわごとのように同僚の言葉を繰り返した。何度か頭の中でその言葉の並びを反芻し、数回目の試みで意味がやっとわかる。


「お前、昨日の様子が変だと思ったら、柵の前で行き倒れていたんだ」


「ここは?」


「病院だよ。半日ずっと雪の中にいたから低体温症と凍傷がひどいぞ。しばらく入院しておけってさ」


 自分の体を見ると全身に包帯が巻かれている。よく考えると全身がちりちりと痛痒い。


「飲みすぎはだめだぞ」


 同僚は病室からいなくなった。


 そうだ、そういえば俺は昨日の冬まつりで女兵士と一緒に酒を飲んで踊って、踊り疲れて倒れたんだっけ。思い出そうとしても倒れた時の記憶が全くなかった。


 さて。知らないうちに戦争が終わったようだが、俺は見張り番を解雇されるのだろうか。――まあ、なんとかなるだろう。


 次に俺はあの女兵士のことを考えた。彼女は首尾よく死んだだろうか。あのまま、あの夜のうちに死なせてあげられたならうれしいことだと思った。


 俺は病室の窓から外を見やる。雪をかぶった主のいない城がたたずんでいた。


 でも、もし――。でももし彼女が生きてたら。また、ダンスを申し込もう。

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