第8話 ピクニック

 翌朝、ミモザは教えてもらった森を訪れていた。

「霧が出ているな」

 レオンハルトを伴って、である。

「部屋でお休みになられてても良かったんですよ?」

 背後で森の様子を眺めているレオンハルトにミモザは言う。

 正直なところ、人工栽培もとい、第6の塔での養殖関連で後ろ暗いところのあるミモザとしては一人で行動したかったのだが、

「部屋でだらだらするのには飽きた」

 と言われてしまってはどうしようもない。

(まさか一人でどっかで遊んでろとも言えないし)

 なにせ、

「新婚旅行なのだから共に行動するのは当たり前のことだろう?」

 レオンハルトはミモザの思考を見透かすようににやりと笑って見せる。

 そうなのだ。

 ステラを追うための方便とは言え、ミモザは新婚旅行の名目で休暇を取っている。そしてそれにレオンハルトのことも付き合わせているわけである。

 なのでそれを引き合いに出されると軽々しく拒否できないのだ。

「新婚旅行、森でいいんですか?」

 苦し紛れに言った言葉は、

「ピクニックだな」

 今にも鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌に切って捨てられた。

「まぁ、そうですね……」

 ミモザは自らの左手に携えたバスケットを見下ろす。これは何か新婚らしいことをしたいとレオンハルトに要求されてミモザが急遽作ったランチである。

 ちなみに服装もそれらしく、普段の胸あてなどをつけた動きやすい格好や軍服などではなく、白いブラウスに藍色のジャケットとスカートという服装で頭にはつばの広い帽子をかぶっていた。

 というよりも服装に関してはこの街を訪れてから一貫して旅行者らしい服装にしている。

(野良精霊の出る森でピクニックか……)

 綺麗な花畑とかならまだ様になるのだが、とミモザは周囲を見渡す。

 どこまで見ても森である。それも木漏れ日が差し込んでのどかな感じのものではなく、どこまでも鬱蒼として薄暗くて不気味なタイプの森だ。

 なんか草むらからは怪しげな動物の鳴き声も聞こえてくる感じの森である。

(日の光、少ないな)

 まったく差し込まないわけではないし、まだ朝早いので太陽が昇っていないだけかも知れないが、植物の種類によっては育ちにくそうである。

(ここで間違いないよな?)

 思わず地図を確認する。場所に間違いはなさそうだ。

 ミモザはその場にしゃがみ込んで土に触れた。

 日の光が少ないためか、じめじめと湿った土だ。

 湿地の多い第4の塔に生えるだけあって、土は湿っていた方がいいのかも知れない。しかしそれだけが育つ理由なら誰も苦労はしていないだろう。

(水分量の調整も確かしていたな……)

 カークスから預かったノートを取り出して中身を確認していると、

「お」

 ふいにレオンハルトが小さな声を上げた。

「お?」

 その声を復唱するように口にしてミモザは顔を上げる。見るとレオンハルトの視線の先には、

「あー……」

 ミモザはげんなりとする。

 視線の先では狼型の野良精霊達が、徒党を組んでこちらを睨んでいた。


「きゃうんっ」

 か細い声を上げてその野良精霊は切り捨てられた。

 動きに合わせて藍色の長い髪が揺れるのをミモザはぼんやりと見守る。

 しゃがみ込んだままのミモザの目の前に悠然と立ち、レオンハルトは血のりを振り払うように剣を一回振って見せた。

 風を切る音が響き、それだけで狼型の精霊達は怯えたように後退った。

「どうした? かかってこい」

 彼らももう悟ったのだろう。

 目の前にいるのが決して手を出してはいけない脅威であったということに。

 大型の肉食獣のように歯を剥き出しにしてレオンハルトの口は笑みを形取る。そのまま一歩、前へと踏み出した。

「ううううーっ」

 野良精霊達は小さく唸り声を上げると、そのまま後方へと走って逃げ出した。

「ふん」

 その様子につまらなそうにレオンハルトは鼻を鳴らすと剣をレーヴェへと戻す。幻術で黒い姿のままのレーヴェは周囲の安全を確かめるように耳を動かした。

 いまだにぼんやりとそれを眺めていたミモザとレオンハルトの目が合った。

「なんだ?」

「便利だなぁと思いまして」

 あのくらいの野良精霊なら確かにミモザでも対処できるが、それでも追い払うのにもう少し時間を要するだろう。そしてなによりも眺めているだけで戦闘が終わるというのは、

「楽ちんだ……」

 ミモザの呟きに彼は口の端を上げて笑うと、しゃがんだままのミモザと視線の位置を合わせるように腰をかがめた。

 金色の瞳が面白がるような光をのせて爛々と輝く。

「堕落させてやろうか?」

「念のため聞きますけど、どういう意味でしょう?」

「そうだなぁ、……まずは君が仕事を辞めて屋敷に引きこもるだろ?」

「あ、もういいです」

 ミモザは手でレオンハルトの顔を押しのけた。確かにそれは堕落だが、同時に人間としての尊厳も失いそうだ。

 あとたぶん身体的な自由はなくなる。確実に。

「チィー!」

 そんなミモザに同意するようにチロがレーヴェに向かって手をバッテンにして拒否の意を示した。レーヴェはというとそんなチロのことを愉快そうに眺めると、その顔面を大きな舌でべろりと舐め上げる。

「チチッ、チチチッ」

 情けない声を上げながらチロはミモザの背後へと回るとその背中にへばりつくようにして隠れた。

「……………」

 なんだかレオンハルトとミモザの力関係を表しているようで非常に複雑な気分である。

「……よいしょ」

 ミモザはなんとか気を取り直すと立ち上がり、レオンハルトの切り捨てた野良精霊の遺体へと近づく。レオンハルトもそこまで本気で言ったわけではなかったのかそれ以上は何も言わずに着いてきた。

 軽く手を合わせてからその遺体の中を探る。小さな魔導石の欠片を取り出した。

 それはやや白く濁っているものの、それなりに透明度も高い。そこそこの値段になりそうな魔導石だった。

 レオンハルトはこともなげに撃退したが、それなりに強い野良精霊だ。群れで行動していることもあるし並の精霊使いでは一人での対応は難しいだろう。

 カークスが実験を中止して撤退したのは適切な判断だったと言える。

 森に入った時から気づいてはいたが、周囲からは獣の気配が途切れることなく存在していた。こちらが無遠慮に縄張りに侵入しているからだろう。しかしそのほとんどはこちらの様子を窺うばかりで襲ってくる気配はない。

(厄介な敵だと認識されたな)

 彼らも馬鹿ではない。こちらが手出しをしなければ敵わないと悟った相手にはわざわざ挑んではこない。

 ふと、ミモザは思いついて先ほどの野良精霊がやってきた方向へと足を進めた。そしてその先で見つけた物に納得する。

「どうやら僕たちは彼らのお食事を邪魔してしまったようですよ」

「そのようだな」

 レオンハルトもその光景を見て頷いた。

 そこには彼らの残した食べかけだろう、食い荒らされた鹿の野良精霊の遺体があった。


 通常、チロやレーヴェのような守護精霊はつながっている人間からエネルギーをもらうため食事を必要とはしない。しかし人との接続が切れてしまっている野良精霊は自らエネルギーを摂取する必要があり、そのために人間などの動物や精霊を食べてその体を保っていた。

 もちろん、草食な精霊も存在する。

「ここら辺まで来ると平和ですねぇ」

 ミモザは持ってきたバスケットに入っていたサンドイッチを食べながら、のんびりと言った。

 視線の先では木の上でリス型の野良精霊がどんぐりをかじっている。

 二人は森の入り口付近まで引き上げて来ていた。街に近いため木々はまばらで光も存分に差し込んできている。第1の塔の姿も遠目だが見ることができた。

 地面が柔らかく砂利の少ない場所に持ってきたシーツを引き、その上に座ってサンドイッチとお茶を楽しむ姿はまるっきりピクニックだ。先ほど狼型の野良精霊を殺してきたとは思えないような牧歌的な光景である。

 ここに来る途中でもう一つの栽培に適していた土壌である獣道も見てきたが、森の奥深くよりは光が差し込み地面も乾いている印象だった。というよりも人の通り道なので地面は踏み固められて非常に硬かった。

 猟師が通り道にしているという話は本当だったようで、途中、野良精霊の遺体が土に埋められて埋葬されているのを見かけた。精霊を狩る猟師は通常、角や毛皮、魔導石などの売れる素材だけを持ち帰り、肉や臓器などはその場で土に帰す。精霊の遺体は動物とは違い人間には食べられないからだ。

 原因は不明だが、精霊を食べて死亡したという報告があるらしい。一説によると元々人間と共に生まれてくる精霊を食べるという行為は共食いに近いものがあるため、心理的に拒否感があることに加え食べ続けると身体に異常をきたすとのことだ。

「うーん……」

 まぐまぐとサンドイッチを食べながらミモザは唸る。

 なぜ森の奥深くと獣道は良くて、森の浅瀬や畑がダメなのか。

(思いつくことがないわけじゃないけど……)

 やはり一度色々と試すしかなさそうか、と考えたところで、

「難しい顔をしているな」

 サンドイッチのソースが手についたのか、指を舐めながらレオンハルトが声をかけてきた。

 その目は微笑ましいものでも見るかのように細められている。

「そうでしょうか?」

「ああ、何を考えているかはわからないが、もう少し肩の力を抜きなさい」

 レオンハルトは聖騎士もとい、騎士自体を辞してからはミモザの仕事について尋ねなくなった。ゲーム関連のミモザに直接危害が加わりそうなことは例外として、それ以外の業務に関わることはその職務に就いていない者が聞くべきではないと考えているのだろう。

(真面目な人だ)

 ミモザはすすす、とレオンハルトへと近づくと、その肩へと寄りかかるようにして頭を預けた。

「ミモザ?」

「少し休憩します」

 そのまま目をつぶる。

(確かに少し肩に力を入れすぎていたかもな)

 考えなくてはいけないことが山積みだ。だがそれはいつもの業務も同じことだ。

 ステラが脱獄したと言う事実、そしてゲームに続きがあったということがミモザの心を焦らせているのだ。

 刑務所で面会したステラ。彼女はまだレオンハルトを諦めていない様子だった。

(ないとは思うけど……)

 それがミモザの不安を煽るのだ。

 彼女はゲームの主人公だ。そしてミモザは所詮脇役に過ぎない。

 何かの拍子でレオンハルトがステラの元に行ってしまうのではないか。

 そんな不安がぬぐえない。

「レオン様」

「うん?」

 レオンハルトは大人しくミモザの枕になったまま、ミモザの呼びかけに首を傾げた。

 ミモザも目を閉じたまま、「お慕いしています」と告げる。

(どうか、この日々が当たり前のままであればいい)

 レオンハルトは微笑むと「俺も愛しているよ」と言葉を返してミモザの頭へとキスを落とした。

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