ド屑なカルマ君、ラブコメはきっとよだか色。

夜泥棒

第1章

第1節 女たらしとオタク猫

プロローグ 


 聞いた話によるとこの社会には、と呼ばれる人種がいるらしい。


 倫理観、配慮など人として大切なものを無視した行為を平然とやってのけ。

 加えて少しも悪びれず、罪悪感を感じず、あまつさえ自分を正当化するのだと言う。


 なるほど確かに人間のクズと呼ばれるだけはある。

 誰もそんな人間とは関わりたいとは思わないだろう。




「――えへへ、ほんとに、奢ってもらってよかったの?」


 夕暮れに染まるアスファルトを軽やかなリズムで鳴らす少女。はらりと弾んだ明るい髪が夕日に染まる。



「いいよ、これも口止め料みたいなものだからさ」


「そこは会話が楽しかったから、とか言うもんじゃないのかなぁ。も~」


 拗ねたように頬を膨らませる彼女だが、その実、今も楽しそうに笑っている。


「俺たちの学校、正当な理由がないとバイトできないからさ。だから、俺のバイト中に会っちゃった桜ちゃんの口止め。それでおっけー?」


「む……わかったよー」


 あきらめたように彼女はそう言った。

 腕時計を確認すると、時刻は午後の六時を回った。

 近くも人通りが多くなっていく。


「わ、わたしは、楽しかったよ? 。でも、ちょっと話しただけでも分かったもん。かるま君、優しいんだって」


 ちょっとの会話で何が分かるんだよ。


「嬉しいよ。俺も、桜ちゃんと初めて話せて楽しかったよ。同じ学校にこんなに可愛い子いたんだって知れてよかったし」


「えへへ、そう、かな」


 多分ね。


「そうだよ。愛想よくて笑顔が可愛いし、そのワンピースも良く似合ってるよ。彼氏には言われないの?」


 先ほどカフェで話した時に、彼女がところどころで今の彼氏への不満を言っていた。それを思い出し、返答が分かっていながら聞いてみる。


「うん、あの人はそんなこと言ってくれないんだ。今日のデートだって、頑張って準備してたのにさ」


 だろうな。


「そっか。そりゃ、残念だ」


 少し悲しそうに、そして呆れたようにそう言った。


 会話が落ち着き、彼女から声が途絶えた。

 ふと横を見ると彼女は、緩く巻いた明るい髪の毛先をくるくると指でいじりながら、ちらちらとこちらの様子をうかがう様にしている。

 何かを言おうと口を開き、そして迷う様にまた閉じる。それを数回繰り返して。


「かっ、かるま君」


 彼女は夕日の色よりも濃い赤に頬を染めながら、震える声で言った。


「この後、よっ、用事、とかあるの?」


 明らかに意中の相手を誘うような状況と台詞である。

 まあ来るだろうな、と言う冷めた思いでそれを聞き。


「ないよ。あとは帰るだけかな」


 本当は家こっちじゃないんだけどね。


「そ、そうなんだ。ふ~ん……そっか……」


 彼女は照れたように口をむにむにさせながら俯いていた。

 彼女はただ、待っているだけである。だったら俺はそれに答えるだけであった。



「近くにおいしいトマトスパゲッティがある店があるんだ。桜ちゃん、トマト料理好きって言ってたからきっと気に入ってくれると思うよ。

まだ話も中途半端だしさ。もうちょっと付き合ってくれる?」


「うんっ!」


 彼女は弾けるように笑った。

 そして、再び俺の隣に小走りで並び、笑顔で会話を始める。


 その彼女の表情は、声音は、明確なを孕んでいる。

 彼女は俺に好意を向けている、のだろう。


 だから、俺はそんな彼女を見て思った。


――よくもまあ、好きになるよな、と。


 上辺だけの薄っぺらい恋愛感情などごみに等しく、しかし上辺を取り繕ったのは俺であった。


「――さくらッ!!」


 そんな中、突然、背後から図太い男の声がした。


 振り返れば、そこには中の上くらいのスポーツ系のフツメンが立っていた。むさくるくて馬鹿そうな感じの男である。


「翔太、くん……」


「お、おい、なんでそんな奴と一緒にいるんだよッ!!」


「こ、これは、違くてっ」


「おい、お前っ!」


 あぁ、今回はこのパターンかぁ。


 ものすごい勢いで俺に迫り、胸倉をつかまれた。

 あたりの人も何事かとこちらに視線を向けている。


「……なんだよ」


「何だよじゃねえだろ! 人の彼女に手出してんじゃねえよ! 噂通りのクズやろうじゃねえかよ」


 口臭い唾飛んでるこの人嫌い。


「噂通りのイケメンでごめんな」


「お前喧嘩売ってんのか!」


「買ってんだよ。まともに彼女一人相手でできないなら、別れた方がいいんじゃないか?」


「お前ッ!」


 今にも殴り掛からんばかりの形相である。

 

「さ、さくらはなんでこんな奴といるんだよ。今日は体調悪いから帰ったんじゃなかったのかよ」

 

「そ、それは……」


「よりにもよって、なんかと」


「あっ、ぅ……」


 彼女はしどろもどろに曖昧な返答をした。

 

 およそ、デートの途中で嫌気がさし、体調が悪い、と言う口実で抜けてきたのだろう。

 彼女の様子を見るに、彼氏に不満はあるが、さすがに罪悪感と気まずさがあるようだ。


 この状況になってしまえば、もう彼女とのディナーはおじゃんだ。


 だがこの際俺が何を言おうと、この彼氏君を逆なですることにしかならない。


「な、なんだよ。まっ、まさかお前、この男と……?」


「い、いや、ちがっ」


「お前あれほど浮気とか嫌だって言ってたのに、か……?」


「ぅ、うぅ……」


「そっ、そんな事ないよな……?」


 俺にはもうこの先の展開が分かってしまった。

 

 己が過去に放った言葉、今の状況、そして彼氏の焦る顔。それらから来る罪悪感から、彼女がどのような行動に出るのか。

 

 だから俺は。


「――桜ちゃんとカフェでお話しちゃってさ。楽しませてもらったよ」


「お、お前、ふざけんじゃねえぞ! ……さくら、どういうことなんだよッ!」 


「ぁ……え、えっと……」


 彼女は俺の方は見なかった。

 次第に、瞳から涙があふれ、それを手で拭いながら、震える声で。そう、それでいいんだ。


「――かっ、彼に、誘われて……」


「それで行ったのか!? 違うよな、何か理由があったんだよな!」


「そ、それは――」


「桜ちゃん、ダメだよ言ったら。だから、一杯奢ったんだ」


 びくっと肩を震わせる彼女。

 

 彼氏君は血管の浮き上がった真っ赤な顔でこちらを睨んだ。

 

「お前、やっぱ、桜を脅したりしてんだろ。噂とたがわねえ感じで」


「い、いや、ちがっ」


「桜は黙ってて。おい、槍城業、なんか言えよ」


 にゃーとでも鳴いてみようか。この人絶対何言っても怒るじゃん。


 俺は、そんな彼氏君にむかって、人差し指を口に当てながら笑った。


「――な・い・しょ♡」


「お前ッッ――」


「ッ――」


 痛いぃ。


 頬に鈍い痛みを感じた途端、俺はアスファルトに尻餅をつく。 

 今日はついてない。尻もちは着いたがついてない。女の子の平手打ちならまだしも、男の拳食らっても嬉しくなんてない。



 彼女の手を引き、去っていく彼氏君。

 修羅場かよこえーな今の高校生、と漏らす仕事帰りのサラリーマン。

 もう、何度目かも数えるのをやめた頬の痛み。


 俺はゆっくりと立ち上がり、歩き出す。


 早く冷やさないと腫れちゃうんだよなこれ。まずはコンビニ行くか。






――例えば。


 例えば、倫理観、配慮など人として大切なものを無視した行為を平然とやってのける人間がいたとして。


 にもかかわらず、人並みの罪悪感と道理をわきまえた思考の持ち主であったとしよう。


 そんなものは、

 普通のクズはそなわった考え方からクズに成りえて、そして自分の行いの何が悪いのか自覚しない、あるいは自覚が薄い。


 しかしもしも、それが悪い行為であると自覚しておきながら、その行為に手を染める者がいるとしたら。それは、正真正銘、クズよりも質が悪い。


 そんな人間はきっとこう呼ばれる。



――クズの中のクズ、すなわちと。

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