第3話 シンクロニシティ

 渡り鳥は隊列を作り集団となって飛ぶ。先頭の鳥の羽ばたきが空気の渦を作り出し、後方の鳥達が少ない力で飛べる様になるからだ。列の順番を順繰り入れ替え飛ぶ事で、先頭の負担を減らし長距離を移動する。

 飛行力学を本能的に理解し適用出来るのが、渡り鳥が群れである利点といえる。

 逆に鷹や烏、カワセミ等は基本的に単独で行動する。勿論番いになれば別だが、それでも寿命までの大半は単独だ。

 彼等に単独か群れかの傾向は主立ってある訳ではない。理由を付ければ「敵に狙われにくい」「餌を探しやすい」「番いを見付けやすい」などあるだろう。


 生物が排出する二酸化炭素を目標に飛び跳ね、宿主に寄生し吸血を開始する。吸血から24時間以内に交尾を開始。1日平均20~50個の卵を産み、その数を四則関数的に増やしていく。

 それが蚤という生物である。

 生命活動を行う過程において生存しやすい環境、つまり湿気の高い場所に固まっている事が多い。だがそれはあくまでも群れとしてではなく、ただ生存しやすい場所に集まっているだけである。

 蟻や蜂などと違い、群れとしての役割を持たない。

 しかし八月五日、琵琶湖周辺で発見された蚤は群れそのものだと言えた。


 奈良岡優子は夕方琵琶湖を眺めながら散歩するのが日課だったと言う。

 膳所城跡公園から琵琶湖を望みながら大津湖岸なぎさ公園へと移り、また戻って来るのがいつものルートであり、行きは特に異変は感じなかったそうだ。

 帰り道でまた公園に戻って来た時周囲の人影はまばらで、奈良岡を走り抜く人が数人。その数人目が奈良岡を追い越し右手に見える花壇に差し掛かった時

「うおっ」

 と何かに驚きよろめいて、チラチラと振り返りながら走り去っていった。目の前でそんな行動をされて気にならない訳が無く、花壇を注視しながら進むと1匹の白猫が花壇の中で倒れていた。

 行きに居なかったことからどこかから歩いて来たのだろう事は予想出来るが、皮膚の血色は悪く目は力無く瞑られ、今にも死にそうな見た目をしていた。

 後ろ足が黒くなっており、轢かれたのだろうと思ったそうだ。交通量もそこそこに多く、頻繁にではないが道端で倒れ伏している動物も見かけていた。

 奈良岡は同情の念を抱きつつも、ふとある違和感に気付いたという。後ろ足の黒い染み、あるいは模様が変形している様に見える。

 不思議に思った奈良岡は顔を近付けて確認しようとし、悲鳴を上げて仰け反った。

 大量の蚤が猫にしがみつき、我先にと吸血出来る場所を探してうぞうぞと蠢いていたからだ。大きくとも1センチにも満たない虫が巨大な塊となり、猫を覆い尽くしていく。夕陽が差し込みその赤茶けた甲殻を照らすと、濡れたアスファルトの凹凸を彷彿とさせたという。

 奈良岡はあまりの多さに衝撃を受けその場に立ち尽くしていたのだが、結論から言えばそれが良くなかった。

 ずっと猫の上で躍起になって吸血していた蚤達の動きが突然止まったかと思うと、花壇を出て奈良岡の方に飛び跳ねて来たのである。

 その一瞬の光景を見た奈良岡の証言である。

「あれだけ好きだった散歩が、今は恐怖でしかありません。1匹1匹はとても小さいのに、影が出来るくらいの塊になって私に向けて跳んでくるんですよ。着地する瞬間に音がするんですザァッて。ザァッ、ザァッって……黒い波……意志を持った黒い波でした。それに……どこを見ても目が合うんです。見える訳が無いって思いますよねあんな針の穴みたいな目が。でも本当に見えたんです。丸くて……無機質で……私を餌としか考えていない、黒い目が」

 比喩の通り、蚤は押し寄せる波の如く奈良岡に押し寄せ、反射的に身を捩り一時躱したものの、蚤はすぐさま方向転換して奈良岡を追いかけ始めた。

 逃げようとしたが数歩といかず捕まった奈良岡は、叫び声を上げて地面に転がり蚤を追い払おうとする。アスファルトとの間に挟まり死んだ蚤もいるが、その時点で死んだ数は3分の1にも満たないだろう。

 服の隙間や露出している部分(当時奈良岡はポリエステル製のランニングウェアを着ており、足首から10センチ程度と手の指先、首から上が露出)を目掛け飛びかかっては落ちを繰り返し、皮膚に飛び付いたものからすぐに吸血を始めた。

 目だけは開けていなかった事は不幸中の幸いで、開いた口や耳、鼻に蚤が入り込み、その場ですぐ吸血したと判明している。

 嘔吐物の中にも数十以上の蚤がいたようだが、食道と気管には皮疹が無いことから、体内にまで侵入したとは考えられていない。

 また、転がり続けた結果偶然すぐ脇の琵琶湖に落下し、全身が水に浸かったおかげで、殆どの蚤が死滅している。

 時間にして30秒前後の出来事であるが、もしも琵琶湖側に転がっていなければ花壇の猫と同じ結末を辿っていただろうことは想像に難くない。

 病院に搬送された奈良岡は命こそ助かったものの、両手足首が中程度の炎症、頭部前面から首元にかけて重度の炎症。口腔内に20以上の発疹、また細かい切り傷多数。落下した際に殴打した腹部臀部の打撲。

 そして炎症や刺された箇所から発生する水膨れによる皮膚呼吸困難。該当箇所の強烈な痒み。

 総じて全治四ヶ月との診断が下った。

 勿論炎症や水膨れは時が経てば治るものではあるが、後遺症として皮膚の引き攣りなどが残ってしまう可能性があるのも奈良岡を恐怖させた。

  この蚤の捕獲、調査は蚤の習性が生かされスムーズに進行した。

 蚤は生物の出す二酸化炭素を追う事で知られており、捕獲用の籠内から二酸化炭素を放出し、現場付近の蚤を相当数捕獲する事に成功。

 「群れとして動く」事を前提にしたのも功を奏した様だった。

 これら捕獲された蚤を調査した結果、フェロモンを出している事が判明。このフェロモンは獲物の方向を近くの仲間に知らせるものであり、蜂などの集団行動をする生物が保有する特有の生態である。

 周辺でも野良猫や飼い犬、公園で遊ぶ子供らにも同様の被害が同時多発的に発生。


 この被害が全国ニュースに取り上げられ、これまで各地域内でしか取り沙汰されていなかった無数の昆虫被害の全容が明らかになり始める。

 鹿児島、長崎にセミの異常発生。福岡、蛾の毒性。山口、ナナフシの巨大化。兵庫、広島、奈良にカマキリの入水。香川、蝶の多種への寄生。千葉、福島、宮城、秋田にムカデの足の増長。北海道、ゴキブリの発生。

 これらを受け同年十月、政府が緊急対策本部を設置。

 全国市区町村の役場、害虫駆除業者が一体となり調査、捕獲、駆除が行われた。


 変異したと目される昆虫種に関しては、在来種の生存域を脅かす恐れがあるとして、昆虫類の活動が鈍くなる秋季から冬季にかけて徹底的に駆除が実行された。

 しかし、それが更なる突然変異を引き起こす事になるとは、日本において誰一人として起想する者はいなかつた。

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