LAST HOPE 

てぃ

「プロローグ」

 昨日、今日。そして、明日──

 人々の営みは変わりなく、連綿と続いていくと思われた。


 だが、それは人々が勝手に思い描いた根拠のない夢想に過ぎなかったのである。


 ──その日、大陸全土が前触れなく瘴気しょうきに包まれた。薄いもやのようなものが覆い、隔絶する。世界が一変した瞬間だ。……に、に。人の世が争いによって主と従、官と賊が入れ替わるように。正と邪がまさに反転してしまった。


 時は正暦1335年。世界の中央にある"理想のアルカディア・大陸プレート"での出来事である──


*


 ……初夏の日差しの中、片手でを作り、船の舳先へさきから海原を眺めている薄着の少年がいた。年の頃は14、体の線は細く、まだまだ成長途上。海風になびく栗色の髪は死別した母譲りで、今の父親とは血の繋がりはない。


 彼は島影が見えたとの水夫の声に逸早いちはやく反応し、居ても立っても居られず、船室を飛び出してきたのだ。年相応、多感で未成熟な少年の心中を慮れば仕方あるまい……南方の大陸から出港してはや五日、魔物の影におびえながらも変化のない鬱屈うっくつした船上生活に飽き飽きとしていた、そんな最中である。


 前方を見遣みやれば、確かに島影のようなものが見えた。

 今はまだ拳大の大きさにしか見えないが、もうじきすればもっとはっきり、大きく見えてくるだろう。


 もう少ししたら船室の吊り床ハンモックで今も惰眠だみんむさぼる中年の親父を起こしてこようか……そう思った矢先、当人が珍しく起き出して甲板に上がってこようとしていた。


「おはようございます、ダイブさん!」

「おう。おはよう──」


 もっとも若い水夫──といっても、少年とは同年代だが──父親を見かけるなり、挨拶している。黒髪の散切ざんぎり頭は少し寝癖で跳ねているが寝惚ねぼまなこではなさそうだ。珍しいこともあるものだと少年は思ったが、口に出さない。


 その父、ダイブは水夫の少年と軽い世間話程度に言葉を交わした後、船の舳先へ、息子の方にゆっくりとやってくる。


「おはよう、ランパート。島が見えてきたんだってな」

「おはよう。まだまだ遠いけどね……でも、島だって言えるくらい、はっきりとした大きさにはなったよ」


「ほう。その島、迷ってなけりゃスワロー島だな。スフリンク領スワロー島……」

「……そこから本土まではどれくらい?」


 ランパートが父親に尋ねる。


「1時間だ。……といっても、単純な距離の話じゃない。砂時計とにらめっこしながら遊覧ゆうらんして、きっちり1時間で到着するって意味だぞ?」


「実際にはもっと近いってこと?」

「そういうことだ」


 そう聞いて、ランパートの表情が硬くなる。……いよいよか。背筋をほぐすように動かしながら、前方の島を凝視ぎょうししようとしていた。


「……なんだ? 今更、怖気づいたのか?」


 すると、ダイブが冗談めかして笑いかける。


 息子には航海初日に大袈裟おおげさおどかして話したからだ。あの異変以来、海には魔物が出没するようになった──と。それは確かに事実であるが大分誇張されている。海の魔物は現在、瘴気の漂う大陸沿岸部にしか出現していないのだ。


「そんなんじゃないよ」

「ほー、そうか──」


「ローウィン! おい、ローウィン!! 起きたなら、ちょっと来てくれ!」

「うるせぇなぁ……ローウィンなら、ここに二人いるぞ! どっちだよ!!」


「ローウィンっつったら、お前だろうが! ぶつくさ言ってないでとっとと来いよ!!」


「うるせぇなぁ……しょうがねぇ、ちょっと行ってくる」

「分かった。父さ──」


 ──その時! 船が何かに激突したかのように、船体が大きく揺れた!

 そのあまり強い揺れに立っていられず、そこかしこで膝をついたり、転倒した者も多かった。


 ダイブも立て直すと、さっきまで怒鳴っていた船長の方へ歩み寄りながら──


「なんだってんだ!? こんなところで座礁ざしょうかよ、ヘボ船長!」

「そんなヘマするかよ! そもそも──」


 だが、じゃれ合うような二人の口喧嘩はそこで中断された。

 ──状況は想像以上に深刻だった。派手な音をたてて船縁ふなべりに備えられた転落防止柵が破壊され、ドス黒い血を思わせる暗い赤色の触腕しょくわんが船外から乱入する!


 それも一つや二つではない、甲板の後部から巻き付き、船体そのものを締め付けて破壊しようとしていた!


「……ダイブ! 丸腰か!?」

「残念ながらな!」


「武器は部屋か!? さっさと取りに行け、ついでに息子も閉じ込めとけ! 部屋には手斧もある!」


「悪い、少し任せた!」

「気にすんな! ……野郎ども、さっさと引き剥がすぞ!」


 ダイブはきびすを返してまずは息子の元へ急行し、その腕を手繰たくるとそのまま下の階層に向かって走り出す!

 ランパートは突然の出来事にただただ呆然ぼうぜんとしていたが、足は動かしてくれた。


 ……そうして、下層の寝泊りしていた船室に到着するとランパートを部屋に残し、ダイブは愛用の両手剣を持って甲板に上がろうとする。


「いいか、ランパート……扉の横に手斧があるだろ。いざとなったらそいつを使え。どういう風に使えとか具体的に言ってやれないのはもどかしいが、とにかく、上手くやれ。生き残ることを一番に考えろ。まずいと思ったなら部屋を飛び出してもいい。とにかくだ。とにかく、生き残れ。……親より先に死ぬんじゃないぞ」


「……父さん!」

「なんとかするさ……なんとかな!」


 部屋の扉を乱暴に閉める。

 ……今までなんとかなってきた。今もこれからも、なんとかなる。


 ダイブは遺言じみた言葉を残したが当然、死ぬつもりなど毛頭なく笑顔で息子の元に帰るつもりでいた。


*


「──悪いな、待たせた!」


 ダイブはさやをそこらに放り捨てて剣を両手で持ち、怪物の触腕に向かって駆け寄ると力任せに叩きつけた!


「……斬れねぇな、クソが!」


 剣で殴りつけた後は、大袈裟に後ろへ退いて距離をとる。

 ダイブが斬りつけた箇所は裂けて傷口から青い血が噴き出していた。確かに裂けているが、切り込めたというほどの手応えはない。ましてや切断には程遠い。


 ……ダイブは昔に退治した大蛇だいじゃとの戦いを想起そうきし、応用するつもりでいた。

 このたこだが烏賊いかだかの触腕はそれに類似している。鈍重そうにも見える緩慢な予備動作からの一瞬の瞬発力は特に注意しなければならない。


「ダイブ、やれそうか!?」


 船長が彼のところへ走り寄ってきた。

 その手には舶刀カトラスが握られていたが、この怪物相手には役に立たなかった。


 水夫たちが鉈やら手斧やらを駆使して撃退しようとしているが、それも効果的とは言えなかった。


「ダメだな……切れそうにないし、第一、俺の技とは相性が悪い」

「そうか、お前の剣でもダメか……歯がゆいな、何本か切り落とせれば引き剥がせると思ったんだが……」


「俺も海の怪物がこんなに厄介とは思わなかった。せめて弱点でもあればな……」


「こいつはおそらく腕の色からして蛸の化け物だ。だとすりゃ、目と目の間……人間で言えば、鼻筋あたりか。急所そこを突くか、切るしかねぇ」


「……やるか、ジョージ」

「しゃあねぇ。やるか……」


 ──二人の男は即断即決した。


 ジョージは船長としてその場の水夫たちに指示を出し、後事についても言い含めておく。そして、両名とも手にもりを持ち、船体の後部に絡み付く怪物の本体……海中に向かって飛び込んでいった。


 彼らは決して死に急いだのではない。生き延びるために最善を尽くしたのだ──




*




 ……ここまでの話は、過去の出来事だ。現在はそれより五年後。正暦1340年。

 当初は薄いもやのようだった瘴気は今や灰色の雲のような確かな"色"となって不吉に大陸全土を覆っていた。


 そして、物語はここから始まる──




*****


<プロローグ・終>




※この話は「魔術師と剣のひらめき」本編の名目上は外伝、実際は相互に補完し合う裏表の関係になります。本編と違い、ある男が復活しなかった為に狂い始めた世界。世界崩壊を食い止める為に魔物と戦い、奔走する……というようなストーリーになるはずです。多分。


・「瘴気について」※課題の捕捉

前述の通り、設定は「魔術師と剣のひらめき」と共通としています。瘴気についても同じです。本編第5話で説明していますが、抜粋すると──


「では、魔孔に突入する前に把握するべきもの……それは第一に、だ。瘴気は目に見えるが瘴気の色、濃さというものは個々によって一律ではない。安全に近いものは白く薄く、逆に危険性の高い魔孔といえばその瘴気も黒煙こくえん赤炎せきえん、毒々しい赤紫あかむらさきや紫の濃霧のうむのように見える、なんて話も聞くな」


……説明に少しノイズもありますが要は"色"がつき、濃くなっていくと危険が増す、という設定なんです。

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