第33話 日常編揺らぎ【疑念】

 好幸からの突然のメール。好幸は恵と会いたいが為に休み希望を全て恵に合わせていた。
恵としては毎回合わせなくてもいいから、せっかく見つけた仕事に専念して欲しいという思いがあった。勿論恵自身、女友達とも出掛けたかったが、好幸と出会ってからは文字通り彼優先の休日となっており、友人と泊まり掛けで出掛ける約束など以ての外だった。



 彼は確かに優しい。これまで付き合って来たどの男性とも違い、自分の些細な変化に気付いてくれ、声を掛けてくれる。
けれど、最近ではその優しさも利他的というよりは恐れから来るものに思えた。それにつけ加え、好幸は異常なまでの嫉妬深さだった。好幸は恵の恋愛遍歴をやたらに気にし、過去の男性関係についてを根掘り葉掘り聞き出そうとしたり、アドレス帳に男性の名前がないか?職場に親しくしている男性がいないか?等を異常なまでに気にしていた。
勿論それも自信がないが故のことで、彼が自分というものを持っていないということを、自ら証明してみせるようでもあった。


 久しぶりに訪れたカフェ・リーロンで恵は不躾に聞いた。


『友達とかおらへんの?』 


『おらんなぁ。』


 あまりにも当然のことのように無表情で答える好幸に、恵はあっけにとられた。


『別に一人の方が楽やし、めぐとおったら楽しいから、別に友達とかは必要ないかな。』


『でもさ、私もたまには友達と遊びに行きたいし、今のままやったら泊まりがけで遊びにも行けへんねんで?』


『まさか?他に男でもおるんちゃうやろな?』


 冗談めかして言ってみたものの、それが根深いものであることは明白だった。疑い…それも恐れから来る最も醜い疑い。
好幸が自分のことを内心どんな風に思っていたのかは薄々気付いていた。
どうしょうもない年上のストーカー男から逃げるように前の旦那と付き合い、その旦那と不仲になったとはいえ、mixiで知り合った年の近い男性と男女二人で実際に会ったこともある。
それも『本当に男女間の友情が成立すると思っていた』だなんて好幸に弁解してみても、そんなものは言い訳に過ぎないことなど自分が一番分かっている。
『こいつ俺の幼馴染だから、裸で目の前にいても何にも感じないんだよね』なんてことをある俳優がテレビで言っていたのを『嘘くさっ』と一蹴した自分がいたではないか。



 そして今目の前にいる彼は、離婚前に出会い恋に落ちた男性。勿論離婚するまではキスもセックスもしていない。
けれど、自分が初めて付き合う異性である好幸にとっては、自分の恋愛遍歴を知れば、浮気に走る可能性が大いにあるととられても仕方がない。
大切な女性なら何故信じてあげられない?そんな安っぽいドラマの台詞をよく聞くが、これは信じる信じないで解決する単純なものではない。
互いの生きて来た環境、人としての本質、価値観、あらゆる要素に形成された私という人間。好幸という人間と長い時間をかけて向き合い、その先でやっと信じることが出来るのか?信じるに値しないのかが分かる。
何故信じてあげられない…は、冷凍食品のようなものだ。
長年継ぎ足し継ぎ足しで、味を守り抜いて来た一流店の料理に比べれば、お手軽な台詞に過ぎない。


『最低!本間におったら休みの度に会えるわけないやろ!』


『ごめん。冗談。信じてる。』


 恵は信じていないから冗談にしたのだろう等とは言えなかった。


『最近どう?横尾に引越ししてから。あそこ空気あんまり良くなさそうやけど。』


 自分から空気を悪くしておいて、空気を読むのが得意な好幸は話題を切り替えた。


『まぁ。市住は安いし、当たったのはラッキーやったけど、結局風呂釜取り付けたり、家電新しくしたら出費かさんだし。
掃除当番とか団地の集まりとか面倒臭いし。土地柄もあんまり良くないからなぁ。でも今はしほとなるの学費稼がなあかんから、贅沢言ってられへんねんけどな。』


 離婚後暫くは高倉に住み続けていた恵達だったが、別れた旦那との思い出が染みついた家はあまり居心地が良いとは言い切れなかった。
それに加え、家賃は旦那が支払っていた為、別れて尚も、旦那に養われているという事実に恵は気が咎めていた。
その為、ある程度貯金が貯まったのを見計らって市営住宅の抽選に応募したのだ。
当選した市住は駅近で、規模は小さいながらも駅直結の商業施設もあり、母娘三人暮らしには丁度良い立地ではあった。
しかし、この横尾という土地。実はいわくつきの土地で、恵自身後から知ったのだが、主婦が乱暴をされた挙げ句に殺害され、その犯人が未だ逮捕されていないというのだ。
しかも駅から市住までは徒歩で10分かからないくらいの距離なのだが、辺りは薄暗い木々に囲まれ、駅裏手から市住に続く小道は死角も多く街頭も間隔が長い為、度々変質者が目撃されていた。
事実、当時学生だった娘のしほなる姉妹は、二人共が変質者に遭遇し、結局は事なきを得たのだが、それ以来横尾は呪われた土地となった。




『俺もそろそろ一人暮らしせんとなぁ。西宮からやと横尾まで遠いし、ここら辺だったらどこが住み易いんかな?』


『横尾は駅から出たら車がないと厳しいから、近くやったら板宿辺りがいいんちゃうかな?あそこやったら銀行から病院、飲食店に役所も近いし、一人暮らしにはもってこいやと思う!』


 板宿は横尾のある妙法寺から一駅の場所にある。駅を出てすぐに板谷商店街のアーケード入り口があり、製菓店から飲食店、ドラッグストアにレンタルショップ。100均に、整体、精肉店では有名なマルヨネと、あらゆる店舗のひしめき合う賑やかな商店街だ。
しかも、たった200m足らずのアーケード内に五つもの八百屋があり、品揃えから値段設定まで実に多種多様で、人情味溢れる板谷商店街は常に人々の暮らしを支えていた。勿論商店街を出てからも沢山の飲食店や銀行、病院などが密集しており、唯一レジャースポットがカラオケくらいしかないということを除けば、何でも揃っている街だった。


『板宿って柄が悪いんやなかった?』徐に好幸が聞く。


『それは長田区ちゃう?あっちの方は番町って柄悪いの有名やから。というか私のおやっさん番町出身やけどな。昔は本当に柄悪かったらしいけど、今はマシになってるんちゃうかな。』


『板宿で探してみようかなぁ。』


 好幸の〇〇してみようかなぁ…は、さほどする気がない…が正解なのを恵は知っている。
自身の欲求に繋がる決断、行動力には目を見張るものがあるとは思っていたが…例えば既婚者であった恵に一途に向かって来たそれだ。
しかし、実際の好幸はそれが自身の確固たる意志によるものであったとしても、彼はことごとく尻が重い。それが他者から提案されたものならば尚更、
だがそれすらも何者かによる壮大な計画の一部であるかのように、彼を突き動かす何らかの力のようなものが彼と恵のことを引き合わせ、本人がそれが望む望まないに関わらず、然るべき場所へ引き上げる。それは宇宙というキーワードが二人に出会いをもたらしたように。
二人を今いる場所に導いて来たものの存在を示唆している。
これまでもずっと大いなる啓示を与え続けてきた何か。二人が出会うことでその輪郭を露わにし始めた何か。根源的存在。それを愛と呼ぶ者もいれば、神と呼ぶ者もいる。
運命と呼ぶ者もいるだろう。


 たかが中年男の引越しごときで、運命などというたいそうな言葉を使うなど訝しく思うかもしれないが、何も壮大なものばかりが運命ではない。電車の吊り革広告。テレビのCM。ドラマの台詞。隣人の噂話。鳥から抜け落ちた羽根。雨上がりの虹からでさえも、運命の道標を見つけ出すことは可能なのだ。
 それらをくだらないとするのも、意味があるとするのも結局は自分次第なのだ。


【続く】

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