第16話 異世界編【マザーシプトン】

『素敵なネックレスね!』


 グレースは怒りん坊になっていたから、ネックレスのことなんか気付いていないと思っていた。けれどグレースはちゃんと気付いてくれていた。


『ありがとう!石屋の店主さんに貰ったんだ!グレースのドングリのネックレスも可愛いよね!』


『ありがとう!実はこれね、ドングリの中にネロリとラベンダーでしょ!…後は何だったかしら?…そうそうローズのアロマオイルが入っているのよ!』


 グレースが自慢気にネックレスを掲げて見せた。


『うん!とても素敵な香りだね!』


 夢の中で僕を虫に変身させて惹きつけた香り。悪夢からめざめた僕を、母のような優しさで撫でてくれた香り。
12月の雪が、暖かく僕に寄り添って眠る香り。

メタセコイヤ並木道のように、街道の両脇をカラフルな煉瓦造りの家々が生え揃っていた。文字通り地面から家が生えているみたいだった。きっと巨人が一つ一つ大切に、稲でも植えるようにして家々を植えたのだろう。
どの家もとても歪な形をしていた。

 一階が人一人と半分の広さしかないかわりに、十階建のヒョロ長住宅。
二階、三階、四階と上がるにつれて大きくなる頭でっかち住宅。
一階が家三つ分はありそうなのに、二階が、サイズ間違いの帽子をちょこんと乗せたような太っちょ住宅。
そのどれもが初めて見る形で、とても魅力的だった。



 歪なものは時として魅力的だったりするのだ。だって誰もが称賛する美しいは、平均的美しさでしかないのだから。
そしてそれを量産するのが商売であり、量産出来ないのが本当のアートだ。
本当に人の命が美しく、唯一無二であるなら平均的美しさとは、生命とは対極にある醜さを孕んでいる気がした。


何故なら世界平和や愛をやたらに掲げる人は、選民思想の強い人ばかりだからだ。
大声で吹聴する人間にホラ吹きは多い。


 ついさっき森を抜けて来たばかりの僕達はあちこち泥で汚れていたが、街の人達に好奇の目を向ける者は一人もいなかった。


きっと今は僕達が本当のアートなのかもしれないと思うと、何だか逆に見てもらいたくもなった。
称賛を浴びたいけれど、浴びてしまうと僕自身が失われてしまうかもしれない…そんなジレンマに悩む芸術家達は多いのだろうか?


『眉間にシワが寄っているよ?』 


 僕を思考の迷路から引っ張り出してくれたのはトアだった。


『そろそろマザーシプトンの家が近くなってきたよ。』


 トアに付いて、街道の路地裏を通り抜けたり、沢山の洗濯物のアーチが空を覆い隠すトンネルを抜けたりしている内に、さっきまでのカラフルな景色が、少しずつ蝕まれるように毒々しい様相を呈していた。


 マザーシプトンの家へと近付くにつれ、道端には尻尾や片耳を失った野良猫。
片目に稲妻のような傷の走った黒い猟犬。
時折邪悪な目つきでこちらを伺いながら、ゴミ箱を漁るカラスの群れ。
洗濯物の代わりにぶら下がるコウモリ達が、マザーシプトンの代わりに、立ち入る者達を監視しているようだった。

 暗い通りを進んで行くと、人生の終わりのような袋小路の先に、子供が一人やっと潜れるくらいの小さな鉄製のドアがあった。
ドアの上では、薄汚れたランプが哀れな客人を睨め付けるように照らしていた。


『可愛いアーシュラ!お目目はまん丸飛び出して!生まれたその日に生え揃う!可愛い乳歯で噛んどくれ!未来の出来事噛んどくれ!』


 突然トアが扉に向かってへんてこな言葉をリズムに乗せて歌うと、ガチャっと鍵の開く音がした。すると開いたのは正面のドアではなくて、さっきまでは何の変哲もなかったただの地面に、突然現れた正方形の地下扉だった。トアが地下扉についた取手を掴み、扉を開くと、地下へと続く階段がジメジメした空気を呑み込むように奥へと続いていた。


地下へと続く壁は灰色のでこぼこで、所々無理矢理くり抜いたような穴があり、錆びた蝋燭台がへばり付いている。


この暗闇の中では台に残されたゴミクズのような蝋燭が、唯一の灯りとなっていた。


また古びた階段は、土を盛り固めた上に、腐りかけの木の板を乗せただけのものだった。
僕達が一段踏み出す度に、尻尾を踏まれた野良猫の悲鳴のような声を上げた。




『こんな気味の悪い場所に住んでいるなんて、マザーシプトンはきっと悪い魔女に違いないわ。』


 グレースが慎重に階段を下りながら呟く。

 最後の一段を下りると、そこは洞窟になっており、ごつごつした岩肌と鋭く垂れ下がった鍾乳石が牙を剥いていた。
先へ進むほどに通路は狭くなり、まるで怪物に自ら丸呑みにされに行くようだった。


『相変わらず君は怪物が好きだね?』


 僕の想像にはどうやら怪物が必要不可欠なようだ。


『だって…こんな醜い口の中、怪物くらいしか想像出来ないよ。』


 もう少しで怪物の歯が、頭に食い込もうかというくらいの所で、突然正面に木製の扉が現れた。
今回もトアが合言葉のようなものを言ったら、
予想外の場所に新たな扉が現れるものと思っていたけれど、期待を裏切るかのように扉の奥からとても品の良い女性の声がした。


『お入りなさい。』


 扉を開けるとそこは、先程までの禍々しい空間とは異なり、木の温もりに満ちた、優しい空間が広がっていた。
入り口右手にはキッチンがあり、天井からはドライフラワーやニンニクが吊るされている。
壁に備え付けられた棚の上段には、小瓶に入った種々様々なハーブが整然と並んでいる。
カモミールにフェンネル。
マートルにウッドラフ。
マリーゴールドにディル。
マグワートにルー。

 続いて二段目の棚には、コウモリの牙にトカゲの尻尾。マンドラゴラの悲鳴にドラゴンの喉笛。セイレーンの歌声やハーピーの爪垢。とても言葉では表現出来ない程恐ろしい名前のものまであった。


 キッチンの中央に置かれた竈門かまどの上には、絵に描いたような大鍋と小鍋が並んで置かれており、今は空っぽの鍋の中からとても眠気を誘う香りがしていた。


『観光なら後で好きなだけすればいいから、先にこちらへいらっしゃっい。ついさっき眠り薬をこしらえたばかりだから、まだ薬が鍋にこびりついているのよ。そのままキッチンに居たら、貴方達眠ってしまうわ。』


 グレースはすでに欠伸を五回もしていた。僕は二回だ。眠い目をこすりながら、声のした方へ進む。グレースが六回目の欠伸をした。

部屋には暖炉があって、青色の炎が静かに揺らめいている。一応電灯らしきものはあるが、青色の炎が部屋全体に放射する光は、オーロラのように幻想的だった。

 暖炉の前には、枯れ枝を組み立てたような不揃いの四脚の椅子。樹齢千年はあろうかという大樹をスライスしたようなおっきな丸テーブルが、今尚生命を輝かせている。


『こっちに来て頂戴。今ちょっとばかり手が離せないのよ。』


 声の主はさらに奥の部屋にいるようだ。

 声のした方へ行くと、扉のない洞窟を大きくくり抜いた空間があり、そこには書斎が広がっていた。壁側には大きな本棚が四つもあり、そのどれもが、難しそうな本を寸分の狂いもなく収納していた。まるで健康な成人の歯並びのようだと思った。(真っ白ではないけれど)
地面にも机の上にも本は山積みにされており、積もった埃の海を、足長蜘蛛が優雅に滑っている。


はじめ声の主は、うず高く積まれた本の山に隠れて姿が見えなかった。


『ごめんなさいね。魔女学会で発表する論文を仕上げなくちゃならなくてね。今回は、【科学の発展に伴う精神性の退化】についてまとめなくちゃいけないのよ。』


『おばさん本当に魔女なの⁉︎』



 グレースはすっかり眠気が吹き飛んだようで、驚きながらも何故かニコニコしている。


『紹介が先だったわね。初めまして!マザーシプトンよ!』


 本の間から顔を出したのは、とても綺麗な痩せ型のお婆さんだった。マザーシプトンがこちらに歩み寄る。魔女というよりはまるで品の良いマダムのようで、想像していた魔女の姿とは似ても似つかない。
グレーに光る髪は丁寧に結えられ、頭の上で艶やかなお団子になっている。
服装も、真っ白のシャツの上から暖色系のカーディガンを羽織り、皺一つない真っ白のロングスカート。
腕には小さな石の連なったブレスレットをしており、その石は、石屋さんで見たそのどれとも違い、まるで宇宙の惑星を並べたような美しさだった。


『ふふ。魔女はイボイボだらけの肌で鉤鼻をしていて、つぎはぎだらけの服を着て、無意味に大きな帽子を被っていると思った?』


『ごめんなさい。あまりに想像と違ったので…その…綺麗ということです。』


『あら?お世辞でも嬉しいわ。』


『お久しぶりです。アーシュラ。』



 トアが言ったアーシュラという名前は、さっきの合言葉に出て来た名前だった。

可愛いアーシュラ!お目目はまん丸飛び出して!生まれたその日に生え揃う!可愛い乳歯で噛んどくれ!未来の出来事噛んどくれ!

だが、目は飛び出していない。むしろとても優しくて綺麗な目をしている。


『そちらの可愛い方がそうなのね?そう。せっかくだから向こうのテーブルで、お茶菓子でも頂きながらお話ししましょう。』




 僕達は暖炉の前のテーブルについた。
枯れ枝の椅子は思いの外頑丈で、尚且つ座り心地は最高だった。巨大な切り株のテーブルは腕を乗せると肌心地が良かったし、暖炉の優しい炎は、あらゆる不安を洗い流してくれるみたいだった。


『どうぞ!ハーブティーとビスケットを召し上がれ。』


 僕もグレースも、短い冒険で手が汚れていたので、ビスケットを触っていいものかまごまごしていた。


『あら!ごめんなさい。まずは手を洗わなきゃね。キッチンで洗ってくるといいわ。服や靴、身体は後で、お風呂に入るといいわ!』


 僕とグレースはキッチンの水道で手を洗うと、再び席につくや否やビスケットに手を伸ばした。


『うわぁ⁉︎美味しい!』


『なんて美味しいの!』

 二人同時に声を上げた。


『さて、貴方が名前を忘れちゃった子ね?』


 ビスケットでぱさぱさになった口の中を、紅茶で潤してから返事をした。


『はい。』


『端的に言うわね?貴方には幾つかの呪いがかかっているわね。その呪いをかけたのは…』


 マザーシプトンが言い淀んで、眉根をひそめる。何処か悲しんでいるようにも見えた。
 僕に呪いがかかっていることは、確かに驚いたけれど、それ以上にマザーシプトンの表情が気になってしまう。


『幾つかの呪いは、悪い魔女の仕業ね。それも生まれながらに邪悪な魔女。勿論私達魔女にも良い魔女と悪い魔女がいるの。そもそも魔女ってね、ハーブや薬草などを使って民間療法を行ったり、悩み事を解決するカウンセラーのような仕事を生業とする女性達のことだったの。』


『そうなんだ⁉︎なら魔法は使えないの?』


何でちゃんが聞く。


『勿論使えるわよ。けれどむやみやたらに使っちゃいけないの。どうしても解決が難しい時の最終手段が魔法なのよ!それも人の手に余る魔法は使っちゃいけないの。あくまでもサポートであり、その人本人の力で解決することが何より大切なの。』


『悪い魔女は何故いるの?』
グレースが聞いた。


『魔女も人間なのよ。貴方達と何も変わらない弱い人間。私もたまには占いや予言の類はするわ。けれど中には、まるで自分が他人の運命まで支配出来るんじゃないかって勘違いをして、自分だけが特別だと勘違いする人がいるの。沢山の人に崇められ、沢山搾取して、それを愛だとか平和の為だとうそぶく可哀想な人達が…』


 マザーシプトンは暖炉の炎を眺めながら話を続けた。


『そういった人達は、時折天使のふりをした悪魔に目を付けられて、真っ当な知恵を授かったりするの。そこが恐いところね。だってでたらめなものより、正しいことを教えてくれるなら誰だって悪魔だなんて疑わないわ。悪魔にとって人間を騙すのなんて朝飯前よ。本当の神や天使は魔法と同じ。やたらめったらに手出しはしないものよ。それでも自分達を信じる力のある人間に恩恵を与えるの。』


『だったらどうやって悪魔だって見抜くの?』


マザーシプトンがグレースの方に向き直って話す。


『見抜く必要はないわ。自分を、人を大切にするだけよ。万物に感謝をして、独り占めせずに、与え、与えられ、共に生きるだけ。とてもシンプルだけど、人間にはとても難しいこと。』


 マザーシプトンが僕の方に向き直る。


『ごめんなさい。呪いがかかっているなんて言っておいて、貴方を置いてお話ししてしまったわね。』


 マザーシプトンの言葉に乗せた優しさが、ただ心地良くて、僕は静かに頷いただけだった。


『貴方に呪いをかけた魔女は、原初の魔女と言って、私達のような後天的な要因で生まれた魔女とは違うの。彼女達は生まれながらにして邪悪な魂を持った人間。』


 マザーシプトンの表情が僅かに曇った気がした。


『呪いを解くには…呪いをかけた魔女を殺さなければいけないの。』


 殺す?呪いを解かせるでもなく、改心させるでもなく…殺す?
だって邪悪な魔女とはいえ人間なのに…それは僕が人殺しにならなければいけないってこと?


『そうね。辛いわよね?でも貴方は…』


『アーシュラ!それは…』




 トアがマザーシプトンに強い視線を向ける。初めて見るトアの怒ったような表情。


『貴方は、もうすでに一人殺しているの。』


 心が。魂が。引き裂かれるような音がした。


【続く】

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