日頃の想いをつらつらと

@ts_sakamoto

第1話 世の中平和だからできること

 エッセイというものはおよそ有名人や著名人こそが書いてこそ価値がある。その意味では、なんの肩書きもない筆者が毎日のようにつぶやいたといえ、何も価値はなさそうである。

 しかし、SNSが発達した昨今、1人のつぶやきが多大な反響を呼び、世界を動かすことさえある時代だ。これは誰にだって価値はあるということになる。


 ところで、私がSNSではなく、エッセイを書こうと決めたのは、一時的な感情に流されず、物事を少しゆっくり眺めてから発信したいと思ったからだ。

 SNSやテレビの報道は一気に巷に流れるが、実はそれが物事の本質からはずれていることも、いや、少し待て、ということもよくある。

 そんなとき、少し頭を冷やして考えられるのがエッセイを書くことの意味だと思うのである。


 まずは一回目ということで、こんな堅い話からスタートしたが、興味があったらお付き合い願いたい。


 今回のテーマだが、『平和』について考えてみたい。

 今、ウクライナやパレスチナでは、戦争が起きている。他の地域、例えばスーダン、イエメン、シリア、などなど多くの国や地域で小競り合いのような戦争は起きている。

 なぜ、このような戦争は起きるのか、なぜ人は武器を持って戦うのか、よくわからない。

 かつては日本でも内戦があった。戦国時代や明治維新期の戦争だ。同じ民族で、宗教対立があるわけでもないのに戦争をする。そんなことを考えてみたくて、戦国時代の歴史小説や歴史の資料をy読み、書いて整理している。


 おそらく、その問いに関する答えは死ぬまでには出ないだろうし、多くの人はそうやって生きてきたのだろう。歴史家や政治家であってもだ。


 こうしている間にも私たちは、ウクライナやガザでは多くの子どもが亡くなり、病院が破壊され、住む家を失った老人や逃げ惑う姿をメディアを通して間接的に見る。

 少なくとも明日の食べ物に窮することなく生きている私たちにとって何ができるのだろう。義援金?SNSで意見を公表する?デモに参加?どれもむなしい気がする。

 そうであっても、意見を表明することでしか、私たちには何もできないのだ。

 その意味で私はエッセイをしたためているのである。

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