第七話 古井戸の呪い
幸子園長は、自身のオフィスに戻り、日誌を静かにめくりながら、野々村たちが訪れるのを待っていた。彼女の心にはまだ伝えきれていないことが山積みだった。
一方で、野々村は警察署で確認した記録の内容を、彼女に対して正直に伝え、そして静かに問いかけた。
「幸子さん、この幼稚園でのご勤務はいつからですか?」
「この春でちょうど五年目になります」
ひよりが亡くなったのは二十年前。幸子はひよりとは一度も接していない。この幼稚園は彼女の父親が創立したものだ。
しかし、野々村の話を聞くうちに、幸子の目には涙が浮かんできた。彼女は二十年前の日誌を取り出し、この園にまつわる忌まわしい話を順を追って語り始めた。ひよりが殺害された当日の出来事から話し始めた。
子どもたちがお昼ご飯を終え、先生と一緒に庭で遊んでいた時、裏口から殺人鬼が侵入してきたという。当時はそこに防犯カメラはなかった。
「私、幼い子どもをたくさん預かっているから心配なのよね。ひよりちゃんの苦しみが手に取るようにわかるの。亡くなったのは、まだ六歳だったんだから……」
「はい、子どもの命を奪って、二十年の罰。僕も人間として許せません」
野々村は幸子を見つめて答えた。
「ひよりちゃんの命日には、古い井戸にいつも……」
彼女の声は震え、ページをめくる手が止まった。
ひよりが亡くなった五年後まで、ブランコやウサギ小屋の近くに、今では誰もが忘れてしまった、お化け屋敷にありそうな古井戸があった。
しかし、ひよりの三回忌法要を幼稚園のチャペルで行っている日に、園の創立者である幸子の父親が古い井戸のそばで倒れ、原因不明のまま亡くなった。
その後、当時の園長が子どもたちの事故防止と魔除けの意味合いを込めて、コンクリートの蓋で井戸を封印した。しかし、それ以降も井戸の周りでは、子どものせせら笑う声が聞こえるという噂が残っていた。
「野々村さん、安田さん、これをどう思いますか?」
「それで、お父様は?」
野々村が尋ねた。
「はい、そのときは心臓発作だと……。そして、園長の姉は交通事故で……」
幸いなことに、お姉さんだけは一命を取り留めた。古井戸からの声は、過去の悲劇を静かに語る霊のように、園の静寂を切り裂いていた。ひよりの怨念が、深淵からの叫びとなり、二十年の時を刻んでも彷徨っているのだろうか。
幸子はその事実を、まるで自らの胸の内に秘めた痛みのように、言葉に詰まりながらも伝えてきた。彼女の声には、かつての犠牲者への哀悼と、未だ解き放たれない怨念への恐怖が、混ざり合っていた。
「けど、井戸にまつわる恐ろしい出来事は、まだ終わっていませんでした」
幸子がそう言ってきた。彼女は非業の死を遂げた父親の命日からちょうど一年が経過したある夜の日誌を見せてくれた。
深夜の二時(丑三つ時)に、園内を見守る役目を担っていた年老いた守衛が、静寂に包まれた闇夜の中で、井戸から微かに聞こえてくるわらべ歌に耳を傾けた。そして、彼の心は、その歌声に引き寄せられ、井戸へと歩みを進めた。
うさぎ うさぎ
何を見て震える
血塗られた影が
月に映える
ひより ひより
何を見て泣くの
六つの夜に
赤き鬼が笑う
うさぎ うさぎ
どこで息絶えた
ブランコ揺れる
鬼の手が迫る
カチャリ、カチャリとブランコが風に揺れる音。ギシギシと古井戸の蓋が開く音。サワサワと蛍が舞う音。
そして、青白い顔の少女がひとりでブランコを漕ぐ姿があった。守衛は恐怖に駆られて逃げ出したが、その足音は誰にも聞こえなかった。園の関係者たちは彼が引退したと思っていたが、真実は井戸の底に沈んで、闇で覆われたようだった。
幸子は、ひよりが亡くなった後、当時の園長たちが残した日誌にはすべてが書かれていたと教えてくれた。
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