69話  飲み込まれた未来

次に目を開けた瞬間、彼の前に広がったのは赤黒い煙だった。


それから黒い翼を生えた少女と、その少女に立ち向かう3人。その3人の顔を確かめるなり、彼の目が大きく見開かれる。



「なっ……あれは!!」



知っている顔だった。いや、知らないはずがない。


だって、目の前に立っているのは自分とアルウィンと、ブリエンだったから。



「てことは、これは本当に俺が歩めなかった未来……違う世界の自分ということなのか……?」



激しい戦闘をした後なのか、3人ともボロボロな状態だった。ブリエンは額から血を流していて、アルウィンはもうその場でへたり込んでいる。


そんな中でも、もう一人の自分は剣を握りしめてその少女に近づく。決意に満ちたその顔は、自分が理想としていた英雄そのものだった。


そして、その3人の前で倒れ込んでいる少女は―――



「……悪魔!!」



スラムの地下施設。


少年カイにコテンパンにされた時にちらっと見た、もう一人の悪魔の顔だった。何故だか彼女は血の涙を流していて、激しく体を震わせている。



『……どう、して?』



そんな少女に向かって、もう一人の自分が言う。



『ほざくな、悪魔が』

『わた……しは……』

『お前のせいでもう何十万人が死んだんだ。お前は人間じゃなくて、ただの災いでしかない。さっさと死ねばよかったのに』

『……違う。私は、ただ…………ただ』



剣が高く掲げられる。自分に振り下ろされる聖剣を見つめながら、少女は最後に言葉を紡いだ。



『普通の幸せを、願っただけなのに………』



それが、涙の魔女――ニアの最後だった。


もう一人の自分は悪魔を倒して、無事に世界を救うことができたのだ。



『カルツ様!』

『カルツ!』



そして、この世界の自分は独りぼっちじゃない。ちゃんと勇者として活躍している自分は、爽やかな笑顔を湛えて二人に振り向いた。



『お疲れ様、やっと終わったね』

『はい……!!本当に、本当にこれで最後なんですよね?』

『ふぁ……もうダメ。これ以上はもうやってられないわ……あとは故郷に帰って平和に暮らそうっと』

『あははっ!!一人でずるいな、ブリエン。いつか故郷の街を見せてくれるって約束しただろ!?』

「……………………」



信じられない穏やかさだった。


目の前の光景を見て、彼は口をあんぐり開けてしまう。自分が経験した雰囲気とあまりにも違いすぎるからだ。


自分は、仲間たちとあそこまで打ち解けられなかった。ブリエンから故郷の話を聞いたこともないし、アルウィンから信頼の眼差しを送られたのもずいぶん昔のことだった。


羨ましい。俺もあんな風になりたい。


彼は手を差し伸べる。見えない壁に隔てられているのを分かっていながらも、求めてしまう。


しかし、彼の手が風景に届くも前に、場面が切り替わった。



「…………は?」



次の広がったのは、黒髪のオッドアイ少年の笑う姿―――悪魔カイの姿だった。


そして、その悪魔を取り囲むように立っている少女たち。さっき倒したはずの銀髪赤目の悪魔がいて。見たこともない、か弱そうな印象の少女が愛らしく少年を見つめていて。


そして、もう一人の黒髪少女の顔を確認した瞬間、彼は驚愕してしまった。



「なっ…………!!!」



見間違うはずがない。だって、自分を殺した人の顔だから。


肩まで伸びている黒髪に、金色の瞳が特徴的な暗殺者――――クロエ。


自分を殺した相手が、自分がもっとも憎む悪魔に頬を染めながら笑っているのだ。しかも、それだけじゃない。



「なんで、お前らがいるんだ!!!」



アルウィンも、ブリエンも。


さっきの3人に比べて距離は取っているものの、幸せそうな表情を浮かべているじゃないか。


悪魔なのに。自分を殺した敵なのに!!なんで、どうして!?どうやったらあいつの前で笑えるんだ!!



「くそが……!!なにが歩めなかった未来だ!こんなでたらめの幻覚なんか見せて、俺を侮辱するつもり―――」



言い終えるも前に、またもや目の前の光景が切り替わる。今度は宮廷の前の広場で、第2皇子アドルフに跪いている自分が映っていた。


日差しが眩しい。晴れ渡っている空の下、一列に並んでいる兵士たちの前で……王冠をつけたアドルフは言う。



『悪魔を倒し、帝国に再び繁栄をもたらした英雄、カルツよ!これより、汝をこの国の騎士団長として命ずる!』



その言葉を聞いただけでも、カルツは何が起きているのかを察した。王になったアドルフが、騎士団長の任命式を行っているのだ。


もう一人の自分は決意に満ちた顔で頷きながらも、淡い笑みを湛えている。


そうか、すべてが上手く転んだ時の未来か………うらやましい。


俺も、あんな風になれたら――――――――



『うぉおおおおお!!カイ様を王に!!クソみたいな勇者と皇子を倒したカイ様を、我が国の王に!!』

『ありがとうございます……!!本当に、ありがとうございます!!カイ様、一生ついて行きます!!』

『だ、だから俺は王になんか興味ないって!!なんでみんな集まって……って、うわあああああ!?!?』

「………………………………………………………………………………………………………」



なんだ、これは。


また視界が回って、どこなのかはすぐわかった。首都オーデルの繁華街の真ん中。人が一番集まる場所。


なのに、なんで。なんであの悪魔が……市民のみんなに、感謝されてるんだ?


なんで、みんなあいつのことを敬うんだ?


違うだろ、あいつは敵だろ。あいつは悪魔で、お前たちをいつ殺すかも分からないヤツで―――なにかが込みあがって爆発しそうになった時に、彼の隣から新しい人が登場する。


アルウィンだった。



『らしいですよ?どうしますか、カイ様?』

『っ……!?アルウィンまで変なこと言わないでよ!大体、なんで教皇がこんなところにいるんだ!!』

『そりゃ、教皇は常に人々と一緒にいなきゃいけませんので。それで、本当にどうするんですか?帝国民のすべてが、あなたに王になって欲しいと言ってるんですよ?』

『だから、俺はやらないって!!』

「…………………………………………………………………………………………………」



場面が切り替わる。今度は、エルフの村にある小さな木造の家だった。



『ははっ、エルフの街って本当に静かだな』

『でしょ~?みんなつまらないのよ。たまには帝国で冒険した時が懐かしいくらい』

『おお、久しぶりにいいじゃないか。アルウィンが教皇になったらもっと忙しくなるだろうし、近いうちに3人でダンジョンに行くのはどうだ?』

『ああ~~ごめん。実は、街に色々と手伝わなきゃいけないことがあって』

『………そっか、仕方ないな』



また視界が回る。だけど、場所は同じだった。ブリエンの家。



『ぶぅ…………最近のカイ、ちっとも私たちに構ってくれない』

『本当そうだよね。ね、ブリエン。エルフたちは夫が浮気したらどうするの?』

『いや、あなたたちまだ結婚もしてないんでしょ?なんでそんなことを聞くのよ、クロエ』

『だってさ、だってさ!!告白したじゃん!愛してるって言ったじゃん!!私とニアとリエルに見事にプロポーズしたから、責任を取るべきじゃん!なのに、カイは昨日も他の女と話してたのよ!!』

『なんでアルウィンが他の女枠に入るんだよ!?お前ら親友だろ!?そうだろ!?』

『……カイはなにも知らない。アルウィンの目つき、最近ちょっといやらしくなってきたからね?』

『えっ、なにそれ。いやいや、それはリエルの勘違いじゃない?』

『絶対に勘違いなんかじゃないし……おまけに、ブリエンの目つきもなんか怪しい』

『………………………………………………………』

『……ブリエン?ねぇ、ブリエン?なにか言って?ブリエン!?!?』



……………………………………………………なんなんだ、本当に。


クロエの怒ったような口調を最後に、目の前の風景はすべて消えてしまった。漆黒が全身を包んで、息が詰まる。



「………………………なん、で」



呼吸が苦しくなって、思わず跪いてしまう。なんだ、この未来は。


なんで、悪魔なんかが幸せになってるんだ。なんで、俺の輝かしい未来よりもっと、輝いてるんだ。


ありえない、ありえないだろう、これは。アルウィンとブリエンが、あの悪魔に惚れている……?


いや、違う。そんなはずはない。そうなってはいけない!



「そ、そうだ……全部、全部ウソだ!全部でたらめだ!!こんなことが起きていいわけがない!くそったれな悪魔め、よくも俺を欺きやがって!!」

「いや、違う」



その瞬間、後ろから聞きなれた声が響く。



「君も、薄々気づいていただろう?」



トン、トンという足音が鳴る。



「この物語の主人公は、お前じゃない。もうお前ではなくなったんだ」

「………きっさまぁあああああああああ!!」



心臓が握りつぶされるような錯覚に陥って、彼は反射的に振り返る。こいつを一発でも殴らなければ気が済まない。ふざけやがって……!!


しかし、声の主の顔を見た瞬間、彼は動きを止めるしかなかった。



「さっき見たそれが、運命だ。お前を殺した悪魔が勝利するのが運命なんだ。お前の運命も、お前の光も、お前の名誉もすべてあいつのものなんだよ。お前が手に入れられなかった仲間たちの心まで………な」

「っ…………!くそがぁああああ!!」

「ふふっ、答えてくれ、カルツ」



そして、目の前の人―――もう一人のカルツが囁く。



「運命を変えたくはないか?勇者よ」

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