29話  覚醒

「……カイ」

「大丈夫だよ、きっと」



いつの間にか俺の隣に来たニアは、普段とは違って少し心配気な瞳を浮かばせていた。


俺はその手をぎゅっと握ってあげながら、対峙しているクロエと化け物を見つめる。



『ゲベルスは自分の護身のために、人間の血肉と内在された魔力を使ってあの体を練り上げた。あれは、亡者たちの塊』



でも、ゲベルスはあの形態で戦ったことがほとんどない。化け物にならずとも、精神操作で簡単に人を殺してきたはからだ。



『なのに、無理やり最終手段を取った理由。それは、たぶん―――』



恐怖だ。


俺たちに対する恐怖。自分が死ぬかもしれないという恐怖。生まれて初めての感情が、彼の中でざわついているのだ。


もちろん、全体的なスペックはゲベルスの方が圧倒的に高い。ボスモンスターにも引けを取らない程度の戦闘力が、今の彼にはあった。


だけど、よく隙を狙えば、そしてクロエがこの場面でちゃんと覚醒してくれれば……勝ち目は十分にある。



「ふぅ………っ!」

「ぐぁあっ!?」



クロエは息を整えると思ったら、次の瞬間にはもうゲベルスの懐に突き込んで、腹の下の丹田にナイフを振り下ろしていた。


さすがに早い。俺が教えてくれたヤツの弱所―――すべての魔力が通る丹田を的確に狙っている。


だけど、攻撃が浅い。本人もそれに察したのか、クロエはすぐに距離を取ってから緊張した面持ちになる。



「ぐふっ、ぐふふふっ……その程度ですか?なるほど、なるほど!!」



数十人の声が混ざり合ったような、ゲベルスの不愉快な声が鳴り響く。


間もなくして、彼の隣に巨大な球体が出来上がって――そのままクロエに、撃たれた。



「なら、大人しく死んでください。私にはやることがあるんですよ!!」



凄まじい大きさに一瞬驚愕したものの、クロエはすぐに後ろへ体を飛ばして攻撃を避ける。


ドカーン!!という轟音が響き、クロエが立っていた床に巨大なへこみが出来上がった。攻撃を避けたクロエはバネのように、地を飛び立つ。


ゲベルスは前方を注視していたが、間もなくして悲鳴を上げた。



「くっ……!?くあぁあああ!?!?」



いつの間にか彼の後ろに回ったクロエが、神聖力が込められているナイフを首に刺したからだ。


一本だけとは物足りないとばかりに、クロエは空中で半回転をした後にまたもやナイフを突き刺す。ゲベルスは思わぬ攻撃に慌てたのか、体をふらつかせた。



『えっ?アルウィンに、祝福……?』

『ああ、君はナイフを何本も持ち歩いているでしょ?すべてまではいかなくても、アルウィンにお願いしてバフをかけてもらった方がいいよ。黒魔法は神聖魔法に耐えられないから』



どうやら俺のアドバイスをちゃんと聞いてくれたらしく、クロエは有意義な攻撃を与えてすぐ体を離して、ゲベルスを見上げた。


もちろん、これは決定打じゃない。そもそも、彼女がゲベルスを倒すためには神聖力を込めたナイフを、丹田の真ん中に深々と突き刺す必要がある。


そして、その隙を簡単に見せるほど、ゲベルスはやわなやつじゃない。



「ハエみたいなくそったれがぁああ!!」



ヤツが叫ぶと同時に、小さな棘が何百本も空中に浮かぶ。


暗黒の棘は避けられない雨のように、クロエに降り注がれた。



「―――っ!」



その魔法を察した瞬間、クロエはただちに試験管の後ろに身を隠す。


持ち前の速さを生かしてなんとか生き延びてはいるけど、俺の心には段々と焦りが芽生え始めた。



『やっぱり、決定打が足りないか……くそ、暗殺者だから仕方ないけど』



クロエの役割は、あくまでも相手の奇襲することだった。前衛の人が注目を引いているうちに相手の後ろを取って、一瞬で殺す。


彼女にとって、火力が必要な1対1の戦闘はあまり向いていないのだ。


ゲームの中で描写されていなかったから分からないけど、ゲベルスの攻撃パターンを知らなかったクロエなら間違いなく、今の段階で重傷をを負っていただろう。



「ふぅ、ふぅ………ちっ」



その証拠に、相手のスキルを知っているにも関わらず、クロエは荒い息を吐きながら目を細めていた。


棘に頬をかすめられた対価として、クロエの頬からは血が流れていた。とてもいい状況には見えない。



「そうですね……ふふっ、いいことに思いつきました」



そして、ゲベルスはさっきよりも余裕を持った顔で言う。



「カルツに、あなたを殺させるのです。聖剣に選ばれた勇者が仲間を殺す。ああ、これはなかなかいい光景だと思いませんか?」

「……思わないわよ。ここで死ぬのはあんただから」

「ふふっ……なら、その気にさせてあげましょう」



ゲベルスは一度天井を見上げてから、さっそく―――



「それは、私の得意分野ですので」



目を赤く光らせて、クロエを見つめる。


ゲーム内でももっとも強調されたゲベルスの特徴だった。周囲のあらゆるものを操り、敵の精神さえも支配する能力。


だけど、俺はクロエに打開策を教えてあげた。



「………え?はっ、ははっ!!これはこれは、驚きましたね……!!ははっ、あはははっ!!」



目をつぶること。


要するに、ヤツと視線を交えないようにすること。それこそが、精神操作を防げる対策だった。


前世のクロエはその事実を知らずに操られて、カルツに殺された。その段階は過ぎたものの……やっぱり、クロエが不利なのに変わりはない。



「………カイ」

「いや、ダメ」



ニアの手がどんどん冷たくなっていく。


いつの間にクロエに情が移ったのか、もしくはただ単に優しいだけなのかは知らないけど、ニアの顔には陰りが差していた。



「この復讐は彼女のものだよ、ニア」



それでも、俺は首を振ってクロエを見つめ続ける。クロエはまたもや降り注いでくる棘を避けるために床を転がっていた。


視界も遮断された状態で、火力の差も圧倒的。それでも、俺は彼女を信じることにした。



「それに……なによりも」



早死にしたものの、俺はちゃんと分かっているのだ。


クロエがどれほど才能を持っているのかを、ちゃんと。




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平静が取り戻せない。棘の雨が降ってきて肌をかすめて、体が徐々にボロボロになっていく。


クロエは歯を食いしばりながらも、生きるために並んでいる試験管の間を転がりまわるしかなかった。


遮蔽物がない状態で戦ったら絶対に勝てないと、カイが教えてくれたからだ。



『どうすればいい?どうすれば……!!』



カイからほとんどすべてを教えられたものの、クロエの中には徐々に不の感情が芽生え始めた。


このまま死ぬんじゃないかと。このまま復讐も成し遂げずに、カイに恩返しすることもできずにみっともなく殺されるのではないかと、恐怖が心に滲んだのだ。


目を閉じたままヤツの気配を感じ取ることでも精一杯だ。精神を集中させようとしても、いつの間にか増えた小傷と血が頭の中を紛らわせる。



「かはっ、かははははっ……!!いい眺めですね、実にいい眺め!!このままだと、あの二人を殺せる力も残せそうです!」

「っ……!?!?」



カイとニアが殺されるなんて、そんなことがあってはならない。二人の強さをある程度は知っているけど、クロエは自分の手でヤツを殺したかった。


棘の雨が止んで、クロエはじりじり痛んでくる片腕を抱える。私じゃ無理だったの?


復讐をするために、目の前で爆発した親友の復讐をするために……毎晩毎晩、泣きながら悪夢にうなされながら、それでも精一杯、頑張って来たのに。


暗殺者になったのだって、すべて復讐のためだったのに……!でも、でもこのままじゃ、本当に……



『最後に、もう一つだけアドバイスさせて』

『うん、なに?』

『君は君が思っている以上に、才能があるよ』



…………………。



『えっ、なんなの急に……ちょっと恥ずかしいんだけど』

『いや、これは本当のことだからね?だからさ、クロエ』

『なに?』

『もうちょっと、自分自身を信じた方がいいよ』



………………ぁ。



『もし自分を信じれなかった場合は、俺を信じて。俺はなんの根拠もないウソはつかないから!』

『……………』

『俺は君を信じてるよ、クロエ。だから、自分自身を信頼してあげて』



………………本当、できすぎてるんじゃない?


最後のアドバイスって、もしかしてこのこと?こんなピンチに追い込まれることさえ全部、あなたは計算してたって言うの?


ありえないでしょ、普通に。急に浮かんだアドバイスが頭の中で轟き、クロエは目を開ける。



「……信じる、か」



ありえない話だと思う。あいつと私は、どちらかというと敵だから。


でも、今更あいつを信じないのもありえない話だと、クロエは思った。だって、あいつの目つきは。


今まで見てきたどんな人間よりも、あの勇者であるカルツよりも―――純粋だったから。



「……自分自身は、あんまり信じれないけど」



空気中に漂っていた空気が黒く染まり、一点に集まっていく。



「あなたの言葉は、信じてみるね」



小さな球体が、すべてを飲みつくさんとばかりにかさばっていくのが分かる。


クロエは再び目を閉じる。カイの言葉を思い出したら、頭がもっと澄み渡る気がした。


動く。感覚に従って、自分を信じろと言ったカイの言葉に従って、クロエは動く。


影に染まるかのように、動きは素早くなる。足取りが軽い。脈が速くなる。


クロエはナイフを握り直して、ゲベルスに向かって駆け出した。



「ダークサイト」



姿がいなくなるクロエを見つめて、カイは口の端を吊り上げる。


球体が放たれた。さっきとは比べられない程度の爆発が、広い実験室の片隅を飲みつくす。


この段階でクロエは、その爆発に巻き込まれて黒ずみになるべきだった。


だけど、急に天井が光ると思ったら―――ナイフを逆手で持ったクロエがそのまま、ゲベルスの頭にナイフを突き刺す。


黒い血がぷしゃっと、ゲベルスの頭から噴き出した。



「ぐ、ぐぁ、ぁああああああああああああああああああああ!?!?!?」



その時になって、カイはようやく確信することができた。


クロエの職業クラス。それは、ゲーム内でもっとも詐欺と言われた―――


影に溶け込む暗殺者、シャドウダンサーなのだ。

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