第12話

 執務棟に向かう渡り廊下を通ると、騎士団の鍛錬場が目に入った。


 走っている部隊、素振りをしている部隊、スクワットや腕立てを何十回もこなす部隊······。中でも槍を使っている部隊は、全身甲冑を着けた団員達に向けてフォーメーションを組みながら追い詰めて行く、という実戦をしているらしく、通り過ぎる僅かな間であっても迫力を感じて目を留めてしまう。


「あれは槍と剣、互いの特性を活かして戦う稽古です。攻守入れ替わって戦うのですよ」

「守の時は防戦一方なのですか?」

「そうですね。他にも怪我をしていることを想定して、利き手を塞いでの場合もあったりします。色々な想定で戦う稽古が実戦に活きることが多いのですよ」

「なるほど! 姉上、面白いお話ですね!」


 ラウエルとともに従僕のお話に聞き入っていると、微笑みながらトビアスも補足してくれる。


「守る時は身を挺して対象を守り切ることに主軸を置く。戦う時は何を第一義として戦うのか、常にそこを明確にしておくと取捨選択で迷うことがないのです」

「迷う?」

「ええ。例えば身分の高い方三人がいる中で、襲撃に遭った。自分の立ち位置にもよりますが、自身が守れと命じられた相手を守るのが第一義です。ですが不測の事態が生じて、国難が迫っているとなったら、国を守ることを第一義とするかもしれません」

「それは国王陛下をお守りするということかしら?」

「はい。その時々で色々な場面があるでしょうが、王族の方をお守りすることは何をおいても優先される。我々はアルバーティンの王国民で、王国騎士なのだから。という意味で忠誠を誓っております」

「お話は少し難しいけれど、立派なお志を持って騎士の方々は職務にあたっておられるのね」

「稽古でいくら想定していても、実際にはそう思う通りには動けないものだったりしますけどね」


 トビアスの過去を知らないが、色々なことを経てここに居てくれている、という印象が強まった。もっと話を聞いてみたいが、リアーナがハンクス家の若奥様になれないならその機会はないだろう。少し感傷的だな、とリアーナは自嘲気味に笑みを浮かべた。




     ◇     ◇     ◇




 騎士団見学に行ったラウエルと一度別れて、リアーナは第三騎士団の執務室に連れて行ってもらった。てっきり副団長室に入るのかと思ったら、団長室の方に通された。


「悪いね、カールソン嬢。アルフレッドは別の任務に駆り出されてしまって離席してるんだ」

「ノーヴィック団長様、お気になさらないで下さい」


 ノーヴィックに先日のお礼を言ってから焼き菓子を渡すと、「ここは腹をすかせたやつが多いから喜ぶよ」と笑顔を向けられた。


「······その後アルフレッドと話せた?」

「いえ、ザイルバーガー公爵邸で別れて以来会ってないんです」

「そうなのか。いや、そうだろうな」


 先程の従僕がお茶を淹れて退室したのを見て、ノーヴィックが防音魔法をかけた。


「実はこの頃王都内でもおかしなことが起きているんだ。初めは春だから浮ついているのかと思っていたら、どうもそうではなく、意図的に浮ついた状態にさせられているというか」

「どういうことでしょう?」


 浮つくとは、人々が浮かれ騒いでいるということか。意図的に? そんな事が可能なのだろうか。

 リアーナが訝しげに問いかけると、腕を組んだノーヴィックは難しい表情で答えた。


「ビクトリア王女が顕著なのだが、本来あの御方はあのような言動を取るような人ではないのだ。王族に生まれたとはいえ、末子で引っ込み思案なご性格で、王族らしくない方というか」

「恋をして変わったにしては、不自然なところがあるということですの?」

「そうだ。有り体に言って、殿下もアルフレッド同様になにか盛られているのかと思って調べているが、薬の類は出て来ない」


 仮に王族に薬を盛るとしたら、出来る者は限られてくる。あの厳しそうな侍女達を思い起こすと、彼女達の目をかいくぐって事を起こすなんて可能なんだろうかと思えてくる。


「では他にどういうことが起きてますか?」

「うむ。ほとんどが王都地区に限定されているようなのだが、女性を中心に感情的になっている者が多いようだ」

「感情的······?」


 それは女性の性格によるものなんじゃなかろうか。ピンと来ずに首を傾げていると、想定していたようにノーヴィックが話を続けて言った。


「大したことないと思うだろう? だが、観劇に行ってやたらと感動していつまでも泣き喚いたり、植物園で虫を見て狂ったように叫び続けたり、ある者は新作のケーキに感嘆してオーナーに素晴らしさを延々と話し続けたりしたそうだ。皆、君くらいのご令嬢がだ。普通、貴族令嬢は人前で乱れないようにと感情をセーブすることを教育されるだろう? それなのに誰もが子供のようになっている。一人二人なら気にならなかったが、団員の婚約者や妻が、突如激しい感情を見せるようになった、という愚痴を聞いてな」

「これはおかしい、となったわけですね」

「そうだ。だがカールソン嬢、君は平常のようだ。女性がかかる病気の一種かとも思ったが、そういうものでもない。治癒魔法というのも、原因が分かっていないものには捗々しい効果は現れないものなんだ。

 だがここで、あるご令嬢の件が注目を集めた。彼女は今まで友好的に過ごしていた婚約者に突如破棄を言い渡したのだが、婚約者が心の病かと心配して、王都から離れた場所に湯治に行かせたそうなんだ。そうしたら、十日ほど経ってみると元の穏やかな性格に戻ったというんだよ」


 集団ヒステリーの様相を呈していたが、離れたら収まったのか。リアーナも温泉は心が落ち着くので好きだが、環境の変化も心に影響したのだろうか。


「もしかして、温泉の薬効に効果のある成分があったのですか?」

「まだ調査中ではあるが、おそらくそういうわけでもないらしい。王都から離れたのが良かったのか、彼らはそのまま領地で結婚するらしいのだがね。彼女は『憑き物が取れたように落ち着いた。頭もすっきりした』と言っているんだ。不思議なことに、感情的になっていた時のことはモヤがかかったような、自分じゃないような気がするらしい」

「······怖いですね。そんな事が王都で起きているなんて知りませんでした」


 リアーナは王都に来てから令嬢はキャロラインとしか会っていない。彼女はいつもどおりだったが、他の令嬢と何が違うのだろう。


「それで感情的に浮かれているビクトリア王女のことを心配して、陛下は原因が分かるまでは王女の感情を波立たせないように、との命を出されたのだ。それの割を喰らっているのがアルフレッドというわけで」

「なので、王女殿下のご意向に沿って私も婚約解消しろってことでしょうか」

「そんな事はない!」


 リアーナの言葉に被せるように声を上げたのは、息せき切って戻って来たらしいアルフレッドだった。


「アルフレッド······」

「短い時間しか取れないのだろう? 二人で少し話せ。俺は席を外す」


 気を利かせてノーヴィックが退室し、途端に気まずい静けさを感じるようになってしまった。二人とも目を伏せていたが、その沈黙を破るようにして、ようやくアルフレッドが顔を上げた。


「リアーナ。なかなか話せなくてすまない。団長から聞いたかもしれないが、俺は婚約解消するつもりもないし、ましてやビクトリア王女となんて何もないしこれからもない、絶対に」

「······お父様から手紙が来たの」


 一息に話すアルフレッドに、リアーナは短く言葉を返す。僅かにアルフレッドの肩がぴくりと動いた気がするが、リアーナはそのまま話していく。


「ビクトリア王女殿下から、陛下も承諾しているから婚約解消しろって。そうしたら領地は優遇するから、早く返事を寄越せって書いてあったって」

「何だ、それは······!」

「元々はザイルバーガー公爵邸を立つ時に言われていたの。でも、私がこうして会いに来るまであなたにその事も相談できなかった。うちは田舎の弱小貴族家で、王族の命ならば早くお答えしなければならない立場なの」

「でもそれは殿下に何らかの問題が起きているからで」

「それはいつ解決するの? それまで王族相手に返答を待たせるわけには行かないわ」


 アルフレッドは納得の行かない表情を浮かべたまま黙り込んでいる。カチカチと時計の秒針が動く音だけが響き、膠着状態になってしまった。

 リアーナはため息を押し殺して、淡々と話を進めることにした。


「アルフレッド、私は自分を偽ってあなたとベタベタするのに嫌気が差したの。家に帰るわ」

「······嫌だったのか?」

「そうよ、お互いせいせいするから、ここらで演技はやめましょう」

「そんな言い方はやめてくれ、リア、リアーナ······」


 グッと拳を握り締めてアルフレッドの体に力が籠もり、震えているのが見える。でも続けなければいけない。この話を終わらせるために。


「それにあなたの理想の『俺ののリア』ってビクトリア王女殿下のことなんじゃないの? よかったわね、ビクトリア王女殿下もあなたが好きみたいだし、理想のリアと結ばれればいいじゃない」

「違うんだ!」


 震える腕でアルフレッドに両肩を掴まれて、リアーナは思わず目を合わせてしまった。


「あれは幼い頃のお前が俺にベッタリ甘えてきて可愛かったっていう話をしていたら、又聞きした奴が今の話と勘違いしたっていうだけだから! 正真正銘リアーナの話をしていたのは間違いない!」


 アイビーグリーンの瞳が揺れているのが分かる。こんなに間近で瞳を見るのはどのくらい振りだろう。


「ただ、今はうまく行ってないくせに、あの頃の可愛いリアーナが今も変わってないという風に話を続けてしまったのは······ごめん、嘘ついた」


 耳がまた赤くなっている。アルフレッドは照れていて赤くなっていたのか。今までの事を思い出すと、少年の頃の彼が愛おしくなる。そして今の彼も。だけど。


「······さっき騎士団の鍛錬を見ていたの。国を守るためにあんなに稽古をするのね」


 急に話を変えた婚約者に驚いたのか、アルフレッドの眉毛が動いたのをきっかけに、リアーナはやんわりと肩から手を外させて背中を向けた。


「アルフレッドは王国騎士なのだから、国を守ることが第一義だわ。そして王族を守らないと」


 嫌だやめてくれ、という声が聞こえるが、止めるわけには行かない。


「私達は以前から話も続かない関係だった。幼い頃はたしかに仲良しだったけれど、今はもう違う。無理やりの演技では、その頃には戻れないんだわ」




     ◇     ◇     ◇



 待っていてくれたラウエル達と合流して馬車に乗り込むと、リアーナは小さく息をついた。

 動く車窓に目をやりながらぼんやりとしていると、季節は一気に動いたようであちらこちらに春の花が芽吹いていることに気づいた。このあたりも南部と同じでミモザは黄色だ。少し橙色のような濃いものもある。あの野営病院近くのガルド地区付近だけが白いのだろうか。

 そんなとりとめのないことを考えていると、様子を伺っていたらしいラウエルが声をかけて来た。


「騎士団の稽古はとてもハードだったよ。でも迫力もあってためになった! 僕達が持って行った焼き菓子も喜ばれたしね! それでね、ホフマンって騎士から焼き菓子のお礼となんかお詫びにって、姉上に何かくれたよ」


 ラウエルが小さな紙袋を差出してきた。中を見てみると、よく眠れる効果があるというメモ書き付きのサシェが入っている。王女の馬車にあったものと同じレースが使われているが、この匂いではとても安眠など訪れそうもない。

 お詫びとはなんだろう? 使う気には到底なれないので引き出し行きかな、などと失礼なことを考えて、リアーナはまた外に目を向けた。

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