アオハルレシピは嘘をつく

七尾ネコ

第1話 春の熱帯魚

 四月にしては冷え込みが激しく、職員室は窓を閉めてがんがん暖房を入れていた。情緒のかけらもありゃしないが、俺レベルの国語力をもってすればこの状況でも一句読める。


 コーヒーの 粉末舞いけり 広瀬川ひろせがわ


 うわっ……私の国語力、低すぎ……?

 地元の川の名前を入れればそれっぽくなると思ったのに……。そもそもコーヒーの粉末舞ってるのはこの職員室であって、広瀬川関係ないからな。この学校からは広瀬川より七北田川ななきたがわの方が近いし。


 俺の目の前に座っているのは、黒スーツをだらしなく着込んだ中性的な顔立ちの人物。やけに長い手足と、長身ながら小さな顔が、さながらモデルのようである。胸くらいまで伸びている髪の毛は後ろで無造作にわれていた。

 生物学的には男性らしいが、男性のシンボルを目にしたことがないため、真偽は不明。女ですって言われたら俺は疑わないし、この人で抜いたって男子がいても俺は信じる。俺は抜いたことない。ほんとだぞ。


小鳥遊たかなし、お前はバカだな。バカすぎて話にならん。」


 そんなアラサー男性教師、川瀬かわせ優希ゆうき先生が貧乏ゆすりをしながらこめかみをひくつかせた。小さく舌打ちをして、ぎろりと俺をにらむ。

 声も妙に女性っぽいのが怖いよう……。男性ホルモンどこだよ。どうでもいいけど、川瀬先生と広瀬川って名前すげえ似てる。


「基本的に全教科平均くらいなので、バカではないと思います。」


「あーそこそこ。そういうところのこと言ってるんだよバカ。このバカ。バーカ。」


 そんなに言うなよぉ。


 同級生からクズだのゴミだの言われるのは別になんとも思っていないが、さすがにこんな美形から面と向かって罵倒されるとへこむ……。告白してないのに振られている気分。

 あれだ、スペイン語で『バカ』は『牛』というらしい。脳内で牛に変換しとこう。

 牛。牛。俺は牛。超牛。もうめっちゃ牛。牛超えてトラになるまである。

 ちなみに『アホ』はニンニクという意味。スペイン語の罵倒語耐性すごい。ニンニク使った牛肉のステーキは『バカでアホのステーキ』とかになるのだろうか。救えねー。


 川瀬先生はブラックコーヒーの缶をくいっとあおり、飲み干した。そのまま片手で缶を握り込む。


 ベキッ!ゴキゴキッ!


 ものすごい音を立ててコーヒー缶が潰れた。それスチール缶ですよね。その華奢きゃしゃな体のどこにそんなパワーがあるんですか。細身の超パワーってマンガの主人公かよ。やっぱりこの人、男だ。


 川瀬先生は俺を指差すと。


「次はお前がこうなる番だ。」


「怖っ。怖いよ……。」


 明らかな攻撃意志に思わず数歩たじろいでしまった。一体俺が何をしたってばよ……。


小鳥遊たかなし夜接よつぎ、進路希望 パティシエ。…………ちっ。」


 川瀬先生が読み上げたのは、俺の進路希望届と思わしき紙。再び舌打ちをすると、進路希望届をデスクに置いた。


「俺は別に、この進路に物申したいわけじゃないんだ。」


「いや、既にだいぶ物申してるじゃないですか。」


 川瀬先生は黙って聞け、と指を振る。

 さては『はかいこうせん』でも撃つ気か?いや、この人の場合『ハサミギロチン』みたいないちげきひっさつ技で確実に息の根を止めてきそう。川瀬先生の『ゆびをふる』、おっかない。


「あのな、進路希望届ってのはその名の通り進路の希望を申す届出なんだよ。将来の夢を書くものではない。具体的な進学先、ないしは就職先を書け。」


「い、いやだから、卒業したらすぐパティシエの修業をしようかなーっていうか……。」


 ベキッ!


 川瀬先生は再び缶に力を込めた。それ凄味すごみが増すからやめてよ。マジ怖いから。


「だから具体的に、どこで修業するのかを書け。」


 目が捕食者のそれだったので思わず目を逸らしてしまう。


「ど、独学ってのは――」


 ベキベキッ!


 既にズタボロだったスチール缶は今ので完全に潰れたようで、川瀬先生の握りこぶしに収まってしまった。それをぽいっと足元のゴミ箱に捨てると、先生が口を開く。


「パティシエが独学でなれる職でないのはお前が一番わかってるはずだが。」


 それはそうなのだが、俺にもそれなりの自論がある。例えば……。


「じゃあ逆にお尋ねしますけど、仮に先生が経営者だったとして、俺みたいな奴を雇いたいと思いますか?」


「思わんな。絶対いらん。お前は組織を悪くする。」


 即答すんなよ。


「経営者は俺を雇いたくない。俺は雇われたくない。これすなわち俺が一人で修業することは正当かつ合理的なんですよ。ウィンウィンってやつです。」


 ダブルピースをちょきちょきとカニのように動かしていると、川瀬先生はこめかみに手を当てて渋い顔をした。そして重々しく口を開く。


「普通の生徒なら説教れるだけで事が済むんだが、小鳥遊はそうもいかないのがたまらんな。なにより技術と実績がちゃんとあるのが腹立つ。」


「やだなぁ先生、褒めても何も出ませんよ。」


「褒めてねぇよ。」


 川瀬先生はノートパソコンの隣にストックしてある新しい缶コーヒーをカシュッと開ける。そしてなかば押し付けるように進路希望届を渡してきた。


「とにかくそれは再提出。頭を冷やしてからもう一度考えろ。」


「……はい。」


 もういいや。川瀬先生基準だと俺はバカなようなので、東京大学とでも書いて提出しよう。バカとブスは東大に行くのを推奨されてるらしいし。

 職員室を後にしようと踵を返すと川瀬先生が俺を呼び止める。


「なあ、小鳥遊。」


 ほぼ歩き出していた左足を軸に体を回転させて、先生の方向へと向きなおす。


「まだ何か?」


「お前、料理以外で趣味ってあるのか?」


「ないっすね。強いて言うなら寝ることと食べること。」


「それは趣味じゃなくて生理現象っていうんだ。」


 ほんとだもん。よつぎ、うそつかないもん。

 この世の不条理に嫌になったり、忘れたくなるようなことがあったりしたときは寝るに限る。寝ると強制的に思考をシャットダウンして、すべてをリセットできる。ついでに体力も回復できるとか神だろ。全人類、しっかり睡眠を取ったら争いは生まれない。


「質問を変えよう。小鳥遊は料理以外に何ができる?」


 何言ってんだこの人。


「何もできませんよ。先生はマラドーナやペレにサッカー以外の特技を求めるんですか?」


「お前はあくまでレジェンドたちと肩を並べる気か。」


 川瀬先生はあきれたようにため息を吐く。

 せっかく若いんだから夢はでっかくなくちゃね。


「小鳥遊、お前はあれだな。達観しているようにみえて手がかかる。熱帯魚かよ。」


「そんなきらびやかに生きているつもりはないです。で、何の話ですか?」


 川瀬先生はふむと鼻を鳴らすとコーヒーを一口。そしてうれう目でこちらを見てくる。その目はやめろ。その、かわいそうなものをまじめに心配するような目はやめろ。


「少しでも趣味や特技があれば高校生活を楽しめて、小鳥遊もまともな人間になると思ったんだが……。」


 今はまともではないと言いたいのか。なんだこいつむかつくな。

 しかもどうして今は学校生活楽しめていない前提なんだよ。


「先生の中で俺はどれだけ悲しい奴なんですか。」


 川瀬先生はわははっと大きく笑うと、サイドの髪を耳にかける。


「やることないなら俺と一緒にコスプレやるか?」


「何その地獄みたいな提案。」


 川瀬先生のコスプレ写真は女装が中心で、一言で表現すると非常にエロい。なんならそこらの女性コスプレイヤーの数倍はかわいい。

 持ち前のスタイルとシリコンバストを使って男を殺しに来るのだ。なんかこう、男子高校生のアレを悶々とさせる成分が含まれているのである。

 つまり俺が川瀬先生とコスプレをしようものなら、その写真が学校内に流出して誰かの夜のオカズにされかねない。それだけは絶対嫌だ。


「小鳥遊は素材だけはいいからな。今から始めれば夏コミまでにはなんとか……。」


「いや、やらない。やらないから。もう教室戻ります。」


 卓上カレンダーを見て本気で確認を始める川瀬先生を見て危機感を覚えたので、競歩選手ばりの早歩きで職員室を抜け出そうとすると、再び声がかかる。


「小鳥遊。今日の始業式、お前の表彰あるからサボるなよ。」

 

「……うす。」


 口の中でそう返事して、今度こそ俺は職員室を抜けだした。

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