第2話 ナナシ

 荒れ狂う天候になるだろうと海を眺める漁師。ここはラモト漁村であり、美味しい魚が獲れると地元で有名な漁村であり、偶に都市の方から観光しに来るほど人気でもある。


「こりゃ漁には行かねぇ方がいいな」


 今はまだ静かな海だが、漁師の知識と長年の勘が漁には出ない方がいいと告げていた。美味しい魚を村中の人に届けるのが漁師の務めではあるが、命には代えられず渋々今回の漁は諦めるしかないと思い海を眺めていた時だった。


「うん?」


 最初は何かゴミが浮いているのかと思った。ゴミを捨てた不届き者に憤りを積もらせる漁師だったが、目を凝らしてよく見るとそれは間違いだったと気づく。何故なら浮いているのは同じ種族の人間だったからだ。


「ゴミなんかじゃねえ……子供だ!! 子供が流されているんだ!!」


 漁師は急いでボートを出して子供の下に向かう。鍛え上げられた筋肉を使って、オールを動かし、子供の近くに行き引き上げる。


「脈がある……今助けるからな!!」


 引き上げた子供の性別は男だった。見た目からして歳は10代前半で自分の娘と近い年齢だろうと感じた。すぐに脈を図ると、かろうじて動いており、まだ生きていることが判明し手遅れになる前に漁師は急いで漁村に戻る。


☆☆☆☆☆


 長い眠りから解放された少年は意識が覚醒して目を開ける。目に映ったのは見知らぬ天井であり、辺りを見渡すも見覚えのない家具が置いてあり、自分がベットの上で寝ていたことに気づく。


「ここは……?」


 少年は何故ここで寝ていたかの経緯を思い出そうとするも、上手く思い出せずにいた。そもそも何故自分が海に出たのかすら覚えていなかった。


「くそ何も思い出せない……」


 しばらく考え込むも、何も解決策は浮かばないため、少年はベットから起き上がり、ドアを開けこの部屋から出た。

 とてもいい匂いがした。随分と温かみのある匂いでどこか落ち着くような感じがしてその匂いに釣られるように向かう。


「目が覚めたのね良かったわ!!」


「えっと……俺を助けてくれた人ですか?」

 

 エプロンを着た赤髪の女性が安堵の表情を浮かべて近寄ってきた。驚いた少年は後退りしながら質問をする。


「私の名はロアナで貴方を助けたのはうちの主人で……そうじゃない!! 目が覚めたことをお医者様に報告しなくちゃ!!」


 慌ただしい様子でキッチンを飛び出し、家を出て行くのをただ見つめる少年。


「行っちゃった……というか本当にここはどこなんだ?」


 辺りを見渡すも、見慣れない家具などが並んでいた。その時ドアが開く音が聞こえた。


「あれ? 目が覚めたんだ!! だから母さんが走ってたのか」


 現れたのは少年と同年代であろう見た目の赤髪の少女。母さんという言葉から先程出て行ったのは母親だと少年はわかった。


「さっき目が覚めました!! えっと主人に助けられたって聞いたけど、お礼が言いたいんだが場所はわかりますか?」


「場所はわかるけど父さんは漁に出てるから、安静にしておいた方がいいよ!! 三日間眠り続けてたんだから」


「三日間も寝てたのか!!」


 どうやら海を眺めていた父親が偶然漂流していた少年を見つけて保護したとのこと。その後は医者に診てもらいながら、ここの家族から看病をしてくれていたらしい。


「まじか……」


「あっ帰ってたのねナタリ!!」


 どうやら母親が帰ってきたらしく、目の前の赤髪の少女の名はナタリという名前。母親の後ろにはもう一人の男の姿が見えた。


「うちの主人のヤニックです」


「目が覚めたって聞いたぜ坊主!!」


「あの、助けてくれてありがとうございます!!」


 この家の主人であるヤニックに命を助けてくれたことに、頭を下げてお礼を伝える少年。

 

「気にすんな!! それに坊主の癖に敬語なんか使う必要はねぇぞ!! 自分の話しやすいように話しな!!」


「わかりまし……わかったありがとう!!」


「それにしても身体は大丈夫か? そもそもなんで海に漂流してたんだ?」


「えっと……」


 少年は三人に事情を話すことに決めた。何故自分が海に出でいたのかと、その前の記憶を遡ろうとしても上手く思い出せないことを。


「成程な……」


「思い出せないって……もしかして記憶喪失?」


「自分の名前はわかるの?」


 事情を聞いたヤニックは腕を組んで考え、ナタリとロアナは心配そうに見つめる。ふと疑問に思ったのかロアナは、少年に自分の名前はわかるのかと質問した。


「……やっぱりだめだ思い出せない」


 自分の名を思い出そうとするも、上手く思い出すことができなかった。まるで脳内の記憶に深い霧がかかっているかのように。


「そうか……医者に診てもらいたいが、生憎今は薬を買いに外出してたからな」


「確か明日の午後には帰ってくると張り紙があったわ」


 話を聞くとここラモト漁村には、医者が一人しかいないらしく、先ほどロアナが呼びに行こうとしたら張り紙が玄関のドアに貼られていたことを主人であるヤニックに話した。


「そうか……まぁ医者が帰ってくるまでゆっくりしていきな!!」


「そうだもう少しでご飯も出来るし、みんなで食べましょう!!」


 少年は不思議に思っていた。何故今日初めて会った人にそこまで優しくしてくれるのか、何か裏があるのだろうかと頭によぎるも、温かい雰囲気に心が落ち着くような気がした。


「もしかして……うちの母さんの料理が食べないとか言うんじゃないでしょうね」


「いや、違うんだ!!」


 思わず考え込んでしまったのか、ナタリから不機嫌なオーラを醸し出しているのに気づいた少年は手を振り誤解を解こうとする。


「あら、私ショックだわ……張り切っていつも以上に美味しい料理を作ろうとしてたのにな……」


「誤解ですよ!! そんな訳ないじゃないですか!!」


 今度は落ち込む仕草を見せるロアナに、慌てて弁明しようとする少年が面白かったのか、ナタリが静かに笑いだす。


「冗談に決まってるじゃん!! あんなに慌てちゃって面白いね!!」


「えっ……冗談?」


 今さっきのやり取りが冗談だったことを言われ、ほっとした少年。


「ガハハハッ!!」


 少年を囲うように楽し気な笑い声が聞こえる。何だかその優しくも温かい雰囲気に少年の表情はいつの間にか緊張がほぐれていった。


「ごちそうさまでした」


 ロアナの作った料理はとても美味しかった。主に魚料理で素材の味を生かす味付けにしていて、より魚の魅力を知った少年。


「どうだ上手いだろうロアナの手料理は」


「めっちゃうまいです!!」


 食事の最中も会話は続いており、すっかりこの雰囲気に馴染んできた少年。そんな少年を見てたナタリがこう呟いた。


「それにしても、名前が思い出せないって不便よね……ほら、話しかける時って名前を呼ぶからさ、仮の名前をつけてみない?」


 確かにその通りだなと少年は思った。結局未だに何一つ思い出せていないため、自分の名前すらわからない。

 三人は真剣に少年に名前を考えようとしていた。その気持ちが嬉しく感じていた。そんな中、ナタリがぼそっと呟いた。


「ナナシ……ほら名前がない少年だから……名前がない少年の文字を抜き取ってナナシはどうかな?」


 呆気に取られる三人の表情を見て、ナタリは今の発言を撤回しようと口を動かそうとしたその時だった。


「ナナシ……ナナシか……いいな」


 しっくりきたと少年は思った。ナナシという名前の由来にも納得がいき、いい名前だなと考えていると。


「おっ……その感じだと悪くなさそうだな」


「じゃあ、ナナシ君って呼んでもいい?」


「はい、俺の名はナナシです!!」


 こうして少年はナナシという名前になった。その時のナナシの表情はとても楽しそうに笑っていたのだ。

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