13:発情期って知ってるか?



「イアン、どうした。なにかくつしたに言ったか?」

「いいや、なにも?」

「いーや、なにか言った!くつしたはよい耳を持っているから聞こえた!全部くつしたのお陰だ。と言っていた!そう、確かに聞こえたぞ!くつしたのおかげか?くつしたは良い子か?」

「はいはい、早く帰るぞ」

「くつしたのおかげ!くつしたのおかげ!」


 ただ、俺の前ではこんなにペラペラとお喋りをするくつしたも、狼見知りは健在だ。唯一交流らしきものをしている狼はストローくらいなモノだろう。

 しかし、人見知りは……どうだろうか。そもそも、俺以外の人間にはあまり興味を持っていないように見える。


「ほら、くつした。足」

「ふむ」


 家に到着し、いつものようにくつしたの足をタオルで拭いてやる為に膝をついた。そんな俺に、くつしたは得意気に顎を上げると、ひょいと前足を上げた。毎度、足を拭うだけだっていうのに、妙に偉そうに振る舞われるせいで、俺はまるで王様にかしずいているような恭しい気持ちになる。


「まぁ、王様っていうか……実際に神様なんだよな。くつしたは」

「うぬ。そうだが?くつしたは大神ホーラントの子ぞ」

「そうだった、そうだった」


 大神ホーラントとは、三つの顔を持つケルベロスと同様、二千年以上も前に魔王によって生み出された伝説の神獣の一匹だ。


「なぁ、ホーラントってどんな狼なんだ?」

「あったかい。いいにおい。乳をくれた」

「……そっか」


 くつしたにホーラントの事を尋ねても分かるのはコレだけだ。

 なので、本当にくつしたがホーラントの子なのかは定かではない。なにせ、伝説によるとホーラントは白銀の毛を持つ、長毛種の巨大な狼だと言われている。でも、当のくつしたの見た目は普通の狼となんら変わりない。

 お陰で他人に神獣だと怪しまれずに済んでいるので、ある意味ラッキーなのかもしれない。


「ほら、後ろ足」

「ん」


 くつしたが、真っ白な靴下を穿いた後ろ足を一本ずつ上げる。そして丁寧に丁寧に拭いてやった。ほどよい弾力のある肉球の温もりが、心地よく手のひらに広がっていく。


「あー。そろそろ、爪を切ろうな。くつした」

「くつしたは、あまり爪切りは好きではないが?」

「ふーん、爪切りが出来たら、俺はくつしたの事をもっと好きになりそうだなぁ」

「イアン、今以上にくつしたを好きになったら。それはそれでとても大変だと思うが?」


 尻尾を振りながら、凄まじく高い自己肯定感を振り乱す神獣様は、きっと次の俺の一言で爪切りをさせてくれるだろう。


「もっとくつしたの事を好きになりたいんだよ。俺は」

「……ぅーー、イアンには特別にくつしたの爪を切らせてやろう」


 ほらね。やはり、狼を縛るのは「大好き」と「楽しい」でなければ。

 くつしたは俺の事が大好きなのだ。


「ありがとう、くつした。俺はくつしたの爪切りが出来て嬉しいよ」

「ん。くつしたは良い子だからな!」


 俺はくつしたの後ろ足を綺麗に拭い終えると、家の扉をあけ放った。


「はい、部屋に入って。爪を切るからハウスはまだだ」

「ぅーー!」


 とたとたとた。と、軽快に木製の床をくつしたが駆け抜ける音が耳の奥に響く。この足音が、俺は昔から大好きだった。ご機嫌で、楽しそうで。聞いているだけで幸せになる。

 俺は部屋に入ると、戸棚から狼用の爪切りを取り出した。狼の爪は固いので、見た目は殆どペンチだ。


「ほら、おいで。くつした」

「ぅーー!」


 最初は大暴れして吠え癖も噛み癖も凄かったのに、今じゃ見違えるようだ。俺に向かって素直に手を出すくつしたの姿に、思わず笑みがこぼれる。


「動くなよ、くつした」

「ん」


 グッ、グッ。

 肉球をおして飛び出してきた鋭い爪に、太い爪切りの刃を通す。これが中々に力仕事だ。

 狼の爪は、あらゆる敵の肉を引き裂きけるように出来ている。そのせいで、固くて太い。それでいて、鋭利だ。


「そういえば、くつした。今日はストローと何を話してたんだ?」

「ん、今日はストローの交尾の話をした」

「こっ……ほうーーー?」


 なんだ、こいつら。可愛い顔して微かに鼻をフスフスさせながら、そんな男子高校生のような話をしていたとは。

 でも、それはそれで気になる。そろそろ、くつしたに性教育をすべきか悩んでいるところだったのだ。なにせ、いくら精神的には子供とは言え、くつしたの大仕事は、大会の後が本番なのだから。

 一応、テイマーとして教えられる事は教えておいてやらないと。


「ストローは……その、なんて?」

「ストローは、こないだ交尾をしたらしい」

「っは!?もう!?」


 驚き過ぎて、子供の友達が性行為を済ませている話を子供ツテに聞いた親のような反応になってしまった。


「別におかしくはないだろう?だってストローはもう大人だ」

「……まぁ、そうだが」


 確かに、ストローはもう一歳になるので、別に早すぎるワケではない。が!


「……そうか、もうストローは交尾を終えたか」


 半年前に初めて会った時は、まだまだストローも赤ちゃんだったのに。狼の一年は本当に早い。きっと、全身黒狼は珍しいので交配依頼が来たのかもしれない。

 ジワリとした苦々しさに襲われていると、何故かくつしたが焦ったような声を上げてきた。


「イアン!くつしたも、くつしたも交尾はもう出来るんだぞ!」

「……やり方、分かってるのか?」

「もちろん!」

「ストローは、ちゃんと出来たって?」

「楽しかったと言っていた!くつしたも早くしたい!」

「……そうか」


 まるで無邪気な子供のような返事に、正直「お前絶対分かってないだろ!?」という気持ちになる。が、人間と違い獣は本能が強い生き物故、多分口でどうこう教えなくても、その瞬間になればやり方は分かるのかもしれない。


「くつした?春になったら、一緒に大会に出る事は教えたよな?」

「あぁ、くつしたが一番になるとイアンが嬉しい大会だろう?」

「そうそう。その大会に優勝出来たら、くつしたも交尾をする事になる」

「っ!」


 パチン!

 くつしたの爪が弾けて遠くに飛んだ。同時に、くつしたの目がキラリと輝いた気がした。


「くつしたも、交尾をするのか!?」

「そうそう。くつしたも、ちゃんと自分の子供を作るんだ」

「大会で一番になったらか?」

「そう。だから、それまでに交尾で分からない事があったらストローにしっかり聞いておけ」


 この辺は狼同士の方がきっと話が分かるだろう。俺にはさすがに狼視点での交尾のアレコレなんか分からん。……つーか、人間のだって分からん!


「くつしたはストローに聞かなくても出来る!」

「そうか、さすがくつしただ。……はい、爪切り終わり!」

「出来る!」

「えっ、うわっ!?」


 両足ともに爪切りが終わった瞬間、くつしたは俺の体に前足を巻き付けてきた。


「……おいおいおーーい!?」

「できる!できる!ほら、ほらー!」


 その日から、くつしたは何かにつけて俺にナニを擦り付けてくるようになった。

 犬あるあるとは言え、喋りながらソレやるのやめて!?



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