GAME OVER
思えばこの女も不憫だった。規格外の虚言癖があったとはいえ、その人生は十分同情に値するものだった。俺が裁判官だったら、それこそ同情して「情状酌量の余地あり」と刑を極力軽いものにしたのではないかとさえ思う。
「どうした、真理……さん」
最期の言葉ぐらい聞いてやるか。たとえその遺言が「くたばりやがれ」だったとしても。
「本、当は……。ずっと、す、き、でし、た……」
「……」
俺の聞き間違いでなければ、彼女は「本当はずっと好きでした」と言ったことになる。そんな相手にショットガンをぶっ放すとは思えないのだが。
まあいい。彼女も虫の息だ。大人しく遺言ぐらい聞いてやろう。
「童夢、さん、が、梨乃、ちゃん、と、仲良く、する、か、ら……」
「うん」
「わたしは、怖、かった、の……。童夢、さんが、梨乃、ちゃん、に、取られて、し、まう、んじゃ、ない、か、って……」
俺は言葉を失う。ちょっと待て。真理ちゃんがある日を境に俺を無視し続けた原因っていうのは、梨乃ちゃんと俺が親密になったからだっていうのか?
動揺する俺を脇に、真理ちゃんは話を続ける。
もう、奪われ、た、く、なか、った……。わた、し、の、愛する、ひ、と、を……。だか、ら、奪われ、る、ぐら、い、なら、壊して、しま、え、って……」
彼女の言葉に何も返すことが出来なかった。
真理ちゃんの言葉を要約すると、彼女がこの殺戮を始めるきっかけになった出来事は、俺が梨乃ちゃんと親密にしていたことだったと言うのか。
となるとだ、ここで殺された人たちは俺のとばっちりで死んだってことか?
いや、待て、おかしいだろ。俺と真理ちゃんは少なくとも付き合うところまで行っていなかった。一番仲の良かった時期でも、せいぜい「お互いに片思い」という状況だった。しかもそれは後から分かったことだ。
それで、そこに梨乃ちゃんが入ってきて俺と急接近したから、真理ちゃんとしては許せなかったってことか?
狂っている……。いや、狂っているからこそ、この惨状が生まれたのか。人とは嫉妬でそこまで狂うことが出来るものなのか。
……いくらなんでも極端過ぎるだろう。嫉妬でここまでするものなのか? いや、真理ちゃんを一般的な価値観で計ること自体が間違いだった。
しかし、そう考えると全てが腑に落ちる。元々真理ちゃんと仲の良かった俺は、もしかしたら始末される予定の人たちにはいなかったのかもしれない。
だが、俺が梨乃ちゃんと仲良くして、あわや恋人にまで関係が発展しそうになったと知った時、真理ちゃんの中で狂気のスイッチが入ってしまったのだろう。
スイッチの入った彼女は善悪の判断が全くなくなり、次々と新たな犠牲者を……という流れだったのかもしれない。もはや詳しく聞き出すだけの時間は彼女には残されていないが。
「そうか……」
目の前に広がる地獄絵図。それは他ならぬ俺自身が真理ちゃんと共同作業で生み出したものなのかもしれない。初めての共同作業にしては、あまりに趣味が悪すぎる。人を助ける側へと回ったはずなんだけどな。
「それは、悪かった」
自分で言っていても意味が分からないが、何を後悔したところでこの惨劇をなかったことにすることは出来ない。出来るなら早く逮捕でもされたい。何の罪状かは知らないが。
そして、誰にも知られることなく、世界の片隅で消えていきたい。
うなだれて、血の染み付いた床をじっと眺めていた。
視界の外から、ほとんど消えそうな真理の呼吸が聞こえてくる。俺は何をするでもなく、その息遣いにずっと耳を澄ませていた。
数分もせず、その息遣いも聞こえなくなった。信じられないほど静かな世界が残る。終わったんだ、この世界の何もかもが。
――顔を上げると、四方が真っ黒な空間になっていた。
「は……?」
俺は意味が分からず戸惑う。先ほどまであった地獄絵図のような空間はなく、代わりに星もない真っ黒な闇が広がっている。
これは夢なのか?
振り返ると、青白い顔をした織田真理が立っていた。
「うわっ!」
思わず腰を抜かして尻餅をついた。彼女はついさっき滅多刺しにして殺したはず。なぜ傷も癒えて何事もなかったように立っているのか。……そうなると、ここはあの世というやつなのか?
青白い顔をした真理はじっと俺を眺めていた。
何も言わない真理。恐怖ばかりが階乗的に増幅していく。
「残念です」
「は?」
青白い顔をした真理は感情の消え失せた声で何かを言った。
「あなたは、ゲームに敗れました」
「……何を言っているんだ?」
彼女の言っていることが分からない。
いや、俺は彼女の言葉が意味するものを知っている?
記憶の片隅から、何かが蘇ってくる気がした。
この手に残る、人を刺した感覚。憎悪、嫉妬、その他あらゆる狂気。……なんだ? 一体何が俺の中にあるというんだ?
混乱する俺をよそに、氷のように冷淡な表情をした真理が話を続ける。
「あなたはこのゲームが始まる前、『俺は改心出来る』と言いました。『もし俺と同じぐらい不幸な女がいれば、絶対に幸せにしてやる』とも。違いますか?」
「すまないが、何を言っているのか、意味が分からない」
「そうですか。まだ思い出せませんか。それでは助けてあげましょう」
真理の口調が機械じみて聞こえる。まるでAIみたいに……。
いや、待てよ……。
AIみたい、じゃない。彼女は……。
ふいに蘇る記憶。走馬灯のように、無数の映像がものすごいスピードで脳内を流れていく。
「あ、あ……!」
ビッグバンのように暗闇の中から同心円状に広がっていく映像。それはドットの粗い円のように、この宇宙を広がっていく。
――封印されていた記憶が蘇る。時間差で最悪な結末を迎えたことを知り、俺は絶望を覚えた。
「……思い出しましたか」
真理が冷淡な表情で訊く。彼女は全てを把握しているはずだ。俺が何をしたのかも。俺が今どのような心理状態であるかも。
だからこそ、俺は彼女に縋りたくなった。
「待ってくれ。違うんだ。こんな状況になったら誰だって……」
「分かりました。それはのちほどドクターと陪審員に言って下さい」
「違うんだ、待ってくれ!」
「これにて、ゲームオーバーです」
俺の呼びかけにも応じず、彼女は闇へと溶けていく。
最悪な、最悪なことを思い出した。こんなことを思い出すぐらいなら、ずっと目覚めなければ良かったはずなのに……!
俺の絶望など知らず、周囲を取り囲む暗黒にヒビが入っていく。それはガラスのように割れて、暗闇の向こう側には青い空間が広がっていた。俺はその青へと投げ出される。
「うおおおおおおお!」
目の覚めるような青へと吸い込まれていく。光に包まれた俺は、そのまま意識を失った。
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