恐るべき女
帰宅後にシャワーを浴びてからコーヒーを啜る。タバコを吸っている時に、知らぬ間に出発時間が近付いていたのに気付いた。
「もう時間か。キツいな」
昨日の夜に梨乃ちゃんとヤったせいで体が重い。それほどセックスは長くなかったはずだが、合計で2回射精しているので、やはり肉体的な負担が大きかったようだ。後は単純い加齢か。年は取りたくない。
体がキツくても仕事はしないといけない。仮病を使って休んでもいいが、金銭的な余裕がない。それに梨乃ちゃんだけが出席した場合、彼女に対して示しがつかない。オッサンになると、体裁やメンツも大事になってくるのだ。若くて怖いもの知らずだった頃に戻りたい。
「あ」
思わず声を出して立ち止まる。スマホの着信が大量にあったことを忘れていた。
狩野は深夜に電話をかけまくって最終的に諦めたのか、LINEで「これを見たらすぐに電話しろ」と割と真面目な文面でメッセージを送ってきていた。
なんてこった。時間がないのに。
ひとまず家を出て、移動しながら狩野に折り返す。数コール後、狩野はすぐ出た。
「やっとかけてきたか」
「悪い。気付かなかった」
「夜はお楽しみだったようだな」
ドラクエ1の宿屋みたいなセリフを吐きやがる。
よほど電話に出なかったことを根に持っているのか、その言葉にはとげとげしい響きがあった。この男には何もかもお見通しらしい。俺は気にせずに訊く。
「……で、何があった?」
「昨日ヤったのは例の真理ちゃんか?」
「ヤってない。いきなり何だ?」
言い返しながらも俺の心臓は跳ねていた。別に真理ちゃんと付き合っていたわけではないが、まるで不貞でも咎められたような気分だった。そう考えると、俺の中にもいくらかの罪悪感はあるのか。
密かに動揺する俺をよそに、狩野が口を開く。
「それなら良かった」
「良かったって、何が」
「童夢、結論から言うぞ。あの織田真理という女から手を引け」
「……何か分かったのか?」
狩野には真理ちゃんの身辺調査を依頼していた。というか、狩野が勝手に引き受けただけだが。
これから付き合うかもしれなかったので狩野の意向通りにしたが、この口調だと何かマズいものを見つけたようだった。
「あの女は、連続殺人犯の可能性がある」
「は?」
思わずでかい声が出た。慌てて周囲を見渡すと、関わりたくないと言うように通行人が足早に去っていく。良かった。狩野の声は誰にも聞こえていない。
気を取り直して再び歩きはじめる。駅へと向かいながら話の続きを聴く。
「俺が依頼して、あの女の動向を見ていた奴がいた。いわゆる外注だな。それで、そいつの報告によると、あの女は何人かの中年男性と親密そうに喫茶店で話したり、映画館に行ったりしていたそうだ」
「ああ」
気のない風を装ってはいるが、自分でないオッサンと真理ちゃんが遊びに行っている景色を想像すると心が穏やかでなくなる。すでに復縁は絶望的とはいえ、やはり一度好きになった女が他の男性と関係を持つと思うのは気持ちのいいものではない。
ダメージをひた隠す俺の気持ちなど知らずに狩野が話を続ける。
「まあそれは別にいい。かなりの年齢差ではあるが、年の差カップルっていうのは実際に存在する。だけど、あの女は特定の男性ではなく、別々のオッサンをとっかえひっかえ相手にしていた。この意味が分かるか?」
「……まさかとは思うが、パパ活か?」
聖母のように清らかな真理ちゃんの性格を考えるとあり得ない気がするが、俺の見ている彼女はあくまで全体像の一部分に過ぎない。俺もホスト時代、少なくとも店にいる間は王子様でいないといけなかった。それが仕事だからだ。
牧師や司祭が人知れず子供に性的虐待をしていた事例があったように、真理ちゃんが何らかのいかがわしい行為をしていても不思議なことは少しもない。受け入れがたいが、それが人間だからだ。
狩野は落ち着いた口調で普段よりもゆっくりと話す。
「ご名答だ。お前は受け入れがたいかもしれないがな」
「まさか、彼女が……」
「おい、お前だってアイドルオタクの童貞じゃないんだからよ、そんなことで傷付いている場合でもねえだろうよ。それに、これから話すことはもっとエグいぞ」
「マジか」
「ああ、マジだ。覚悟して聴け」
一度深呼吸をする。これから憂欝になることを聞かされることになるようだ。狩野は続ける。
「そのオッサンたちだが、くだんの真理ちゃんと密会した後、ことごとく行方不明になっている。それもな、どいつもお前の派遣先の会社にいるオッサンか、そこにいたけど契約が切れて去っていったオッサンなんだよ」
「なん、だと……?」
血の気が引いていく。脳内で、嫌なパズルがどんどん完成していく。何しろその件で警察から二度も事情聴取を受けているのだから。狩野にはその話はしていないはずだ。そうなると、自ずとその先は見えてくる。
もう半分ほど結末は知っているが、俺はあえてその先を訊く。
「それで、そのオッサンたちはどうなったんだ?」
「それはな」向こうで深呼吸する音が聞こえた。
「全員が発見されたわけじゃないが、少なくとも二人は他殺体で見つかっている。鋭利な刃物で滅多刺しにされていたそうだ。警察は怨恨による殺人と見て、いまだに捜査を続けている……と、新聞にはあった。実際は知らん。だが、たしかにそんな殺し方は強い怨みがないと無理だろう」
「……そうか」
息が苦しい。先が気になって仕方がないが、同時にこれ以上は聞きたくないという心理も出てくる。
「恐らくこれは警察ですら知らない情報だろうが……そのオッサンたちが失踪する前に、必ず織田真理との密会があった。雇った人間も四六時中彼女に張り付いているわけじゃないから、密会の前後で何があったかまでは不明だ。だが、少なくとも尾行についた奴や他の人間から織田真理とオッサンの密会が目撃されている。やはり若く美しい女性と冴えないオッサンの組み合わせだと浮くから、第三者の目撃でも見た奴らはよく憶えていたとよ」
「そんな、まさか」
「加えてな」狩野は青息吐息の俺を殺しにくる。
「その失踪したオッサンたちは直前にカードローンやらサラ金で限度額いっぱいにまで金を借りている。そしてその金はどこかへと消えている。さて、その大金は一体どこへ消えたのでしょうか?」
嫌なクイズ番組の司会者みたいな口調。
「まさか、その用途を知っているのか?」
恐る恐る訊くと、狩野は「ようやく頭が回るようになってきたな」と返した。表情こそ見えないものの、スマホの向こうで苦笑いしているようだった。
「その後を張っていたところ、織田真理はホストクラブへと直行したそうだ。高いボトルをホイホイと注文してな。シンママで生活が苦しいはずなのに、その金はどこから来たんだろうな?」
「何かの間違いだろう。お前が言うように、彼女には娘がいたはずだ。LINEで写真を送っただろ?」
シンママの真理ちゃんには当然のこと子供がいる。子供がいれば出費がかさむというのは本当だ。それを考えたらホストクラブで豪遊する気なんて起きるはずがない。
「童夢、お前はすっかりピュアな奴になっちまったな。まるで生きながら童貞の僧侶にでも転生したみたいだ。まあ、それでいいんだけどな」
「どういうことだ?」
ややキレ気味に訊く俺に、狩野はトドメを刺す。
「もらった子供の写真を画像検索にかけてみた。そうしたらギャルモデルの子供だったよ。一発でヒットした。間違いようがない。それなりに有名な子供だったからな。童夢、お前にしては珍しい軽率さだな。まあ、惚れていたら色々と見通しが利かなくなるもんなんだけどな」
「……」
俺は言葉を失った。
待ってくれ。彼女は聖なるシンママじゃなかったのか。いや、それは大げさにしても、少なくとも他人を傷付けるような人間には見えていなかった。
だが――
昨日に梨乃ちゃんから聞いた話を思い出す。
梨乃ちゃんは真理ちゃんのために借金をし始めて、最終的には闇金にまで手を出している。年の近い親友にさえそのようなことをさせるのだから、大して仲の良くないオッサンから金を巻き上げて殺すぐらい、悪魔のような女の感性からすればなんてことないのかもしれない。
頭が混乱してくる。情報量が多過ぎて処理が追い付かない。
真理ちゃんがパパ活? ホス狂い? しかも連続殺人までやった疑いがあるだと?
どれも現実的な話には聞こえず、どこか遠くの国で怒っている出来事のように聞こえた。
「……分かった。ひとまず昼間の仕事が始まるから、詳しい話は夜に聞く」
「そうだな。他にも色々と分かっているが、まだ調べ中のこともある。一応、気を付けろよ」
「ああ」
通話を切る。さて、一体何に気を付ければいいんだろうな。俺は途方に暮れる。
狩野の話は荒唐無稽に聞こえながらも、それが本当だと想定すると色々とあった違和感に説明がつく。嘘だと思いたいところだが、今のところ反論出来る材料もない。これから新たな情報が見つからないことを半ば願っている。
さて、梨乃ちゃんにしても真理ちゃんにしても、職場でどんな顔をして会えばいいのだろうか。それを考えると、今から憂鬱になる。
ひとまずは仕事に行こう。貧乏暇なしだ。勤務時間に入ってしまえば、仕事に集中して悩みもなくなるだろう。
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