彼女の宣言
この日は梨乃ちゃんと一緒に帰った。一人で帰っているところを、梨乃ちゃんが追い付いた形だ。たまに真理ちゃんも入れて三人で帰ることもあるが、どういうわけかその機会はあまりない。
「そういえば梨乃ちゃんも独り立ちしたね」
「ええ、お陰様で」
つい先日までは補助役の先輩が教習所の教官よろしく横に付いていたが、今日から梨乃ちゃんは一人で受電していた。さすがコルセン経験者というか、すでにモンスターの扱いも慣れだしたようだった。彼女はおそらく生き残るだろう。やる気がなくならない限りは。
「でも童夢さんもすごいですね。コルセンの経験がないんですよね」
「ああ、ただ歌舞伎町でバケモノみたいな奴を相手にしないといけないこともあるからな」
「じゃあ実はすごく強かったり?」
梨乃ちゃんはファイティングポーズのマネをする。こういう仕草がいちいちかわいい。それが若さなのか。
「いや、俺は弱いよ。困ったら元不良の後輩を呼び出すんだ」
事実、俺はそんなにケンカが強くない。やたらと屈強な外人が英語でまくしたてながら店に来たことがあった。魔が差して男らしいところを見せてやろうと出て行ったらものの見事に返り討ちに遭った。それ以来荒事は後輩に任せている。
「じゃあ、あたしがピンチになったら助けてくれます?」
「ああ、コワモテの後輩を呼んでからな」
二人で笑い合う。くだらない軽口を言い合っているだけだが、それなりに楽しい。
しばらく笑って、ふいに梨乃ちゃんが緊張した面持ちになる。
「あの、ちょっと訊いてみたいことがあるんです」
「なにが」
「童夢さんって、真理ちゃんのこと、好きだったりします?」
微笑みながらも、微かな怯えが含まれた表情。自信と不安が半分ずつ。つけまつげをした瞳が、おもねるように俺を見上げる。
「……どうだろうな。まだ同僚って感じだからな。恋人にしたい、とかではない気がする」
半分本当で、半分は嘘だ。
彼女と一緒に暮らしていけるならそれも楽しそうだが、本業と両立できるのか、そして金にならない慈善事業へ奔走する変態を彼女が理解出来るのか、やってみないと分からない。連れ子だっているから、より一層無責任なことは出来ない。そう考えるとどうしても恋愛対象として考えるのには二の足を踏む。
だが、逆に幸の薄い女ということで、俺でも幸せに出来そうな感じはする。少なくとも彼女の人生を台無しにすることはないだろう。多分、多分だけど。
「煮え切らないなあ」
梨乃ちゃんが頬を膨らませる。まあ、君の気持ちは正直分かっているんだけど、俺は女の子からお金を引っ張ろうとは思っていないし、職場の色恋で面倒ごとを引っ張りたくないだけなんだよ。理解してくれ……とは思っているけど言わない。
「真理ちゃんとあたしだったら、どっちを選びます?」
ふいに放たれた質問に一瞬フリーズする。笑ってごまかそうとしたが、梨乃ちゃんの表情を見て無理だと悟った。
「どちら、というのはないさ。どっちも俺にとっては大切な存在だからな」
無難な答えに逃げる。昔なら双方に「君が一番だ」と言ってきたが、それがバレた後にどんなトラブルになるかは散々思い知らされてきた。
「うーん、そうですか」
梨乃ちゃんがいかにも「逃げられたか」という風に苦笑いしている。
「でも、それってあたしにもチャンスがあるってことですよね?」
そう言って、梨乃ちゃんは前へ前へと進んでいく。俺は何も答えずに、ずんずんと歩いて行く彼女の背中を眺めていた。
ふいに梨乃ちゃんが立ち止まる。そのまま振り返って口を開く。
「あたしも、本気でやりますからね」
含みを持たせながら、梨乃ちゃんが宣言する。爽やかな笑顔の影に、どこか幸の薄さを感じた。こんな表情をよく見た気がする。
「分かったよ」
ここまできてトボけるのもアレだ。彼女の気持ちは受け取っておこう。俺は彼女の宣言に答えた。
今後を考えると微妙な気もしたが、二人の女性から惚れられるとまあこんな展開も避けられないんだろう。願わくば、醜い女同士の潰し合いが始まりませんように。
仏教徒のくせに、俺は虚空に十字を切った。
だが、俺はのちにこの日を苦々しい思いとともに振り返ることになる。それに気付けるほど、当時の俺は聡明ではなかった。
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