お狐様と翡翠の少女

@minatokikyo

第1話 翡翠の少女

「やーい、能無し!」


 ぎゃはは、と嘲笑う声とともに泥団子がぶつけられる。

 べしゃりとぶつけられて壊れ、緩く作られていた泥団子は有栖の艶やかな黒髪を無惨に汚し、ぼたぼたと着物にも垂れ落ちて染みを作り上げていく。


「それくらい避けろよバーカ!」

「気配を術で読んだら簡単なんだけどなぁ!」


 あっははは!と笑いながら泥団子をぶつけた男子たちは走り去っていった。


「……汚れちゃった」


 ぽつりと呟いた有栖は、垂れ落ちて肩に乗っていたままの泥団子を落とし、足元に落ちてぐしゃりと崩れたそれをじっと眺める。


「……まるで私みたい」


 こんなにも崩れやすく脆く、どうにもならない存在。

 少しは気持ちが晴れるかと思い、有栖はぐしゃ、と泥団子を足で踏み潰すが、気持ちは晴れるわけもない。

『能無し姫』と呼ばれることにはもうすっかり慣れてしまったが、慣れたからといって心地の良いものではない。できるならば、そんな不名誉なあだ名で呼んでもらいたくはない。


「仕方ないけど……でも」

「でも、何だ」

「あ」


 不意に聞こえた低い、聞き馴染みのある声。

 有栖が顔を上げれば、そこに居たのは長身で目つきの鋭い、黒髪短髪のとんでもないイケメン。瞳の色は髪の色と同じ、黒。しっかりと鍛えられ、筋肉がしっかりとついた体は、ちょっとやそっとでは吹き飛んだりもしそうにない。

 兄を見上げている有栖の顔は、ぽかんとしていて間抜けなのだがそもそもの顔立ちが整っているので、『間抜け』とは見えないのが幸いかもしれないのは良いポイントだ。


「おにい……じゃない、お兄様」

「おにい、で良い」


 有栖に手を伸ばし、遠慮なくわしわしと頭を撫でてやっていると、有栖から『うわぁ』と気の抜けた声が聞こえてくる。


「またか」

「……うーん……まぁ、その、はい」


 完全に兄は、有栖が泥団子をぶつけられたことに関して、大変怒っていた。

 有栖の兄、樟葉くずは

 2人は兄妹だが、諸々の事情により立場や役目などが異なっている。


 兄である樟葉は、砺波となみ家の一番の特徴を受け継いでいる。


 砺波家は、ある異能をその身に宿している。

 古く、言い伝えとして残っている『天狗』の力を宿している一家。

 だがそれは、全員に受け継がれているわけではない。砺波家直系にして、性別問わず第一子に受け継がれている能力。

 何故その能力が与えられたのか、であるが、かつて討伐した天狗からの『呪い』とも言われているが、祖先は迷うことなくこう言った。


「呪いといえど、力は力」


 とんでもない発言ではあるが、結果として強大な力を手に入れたのだから良しとしてしまった、というわけだ。

 いつの時代からこうなったのかは定かではなく、あくまで文献に残っている限りではあるが鎌倉時代から続いているとも書かれていた。その文献もボロボロで、読み取れた範囲で、学者などに依頼をして判明した結果、というわけである。

 実際、有栖も樟葉もその文献を見たことはあるのだが、二人の感想は『何かぼろい本だなぁ』程度の感想しか持たなかったわけだが、力は間違いなく受け継がれているから、信じるしかなかった。


 そして、現在。


 樟葉に天狗の異能が発現し、現当主である二人の母親から、当主になるための訓練を受けている。

 では、有栖はどうなのか。


 第一子には天狗の力が受け継がれる。第二子以降はどうなるのか、と思っていたのだが、『特に何もない』が答え。それで良かったのだが、人はいつの時代も欲張りなものだ。有栖にも何かあるのかもしれないと考えてしまった。

 しかし、有栖には数百年に一度の稀有な能力が宿ることとなった。


「…何で、うちの千年桜は、私のこと好きになるとか、よくわかんないことになってんのかな…」

「知らん。お前は桜華に溺愛されてやがるんだから、聞いてみろ」

「もう聞いた」

「答えは」

「『わらわが姫様を可愛がることに何の問題があるかや?』って、すーっごく可愛い笑顔で言われただけ」

「何だそりゃ」


 まず一つ目。


 砺波家には、有栖が言ったように『千年桜』という名前の立派な桜が植えられていた。

 砺波家の歴史が古いとはいえ、千年もの間続いているわけではない。砺波家の祖先が家を建てようとした場所に植わっており、切り倒そうとすればたちまち事故が起こってしまったのだ。

 さて、これをどうしようかと悩んだ祖先だが、天狗の呪いを『力は力』と言い切った豪胆な性格の人たち。桜が好きか嫌いか、と問われれば『好き』だったから、その桜が敷地の真ん中に来るようにしてぐるりと囲い込むようにして土地を手に入れ、家を建ててしまった、というわけだ。

 土地の広さは当時からそのままで、さすがに家は建て直しなどを繰り返したことで当時の面影はほぼないのだが、千年桜はそのまま残っている。

 なお、天狗の異能が発現してから後、『桜を残してくれた判断は大変良かったが、何でそなたらは天狗の呪いを力として使っておるのじゃ!あほか!』と桜の木の精霊のようなものが姿を現した。


 切り倒そうとした者への事故など、諸々やらかしてくれたのがこの精霊なのだが、天狗の呪いに関してはさすがに我慢ならず、姿を現し、当時の当主に雷を落としたとか何とか。


 そして、その桜の精霊である桜華から、こう言われたそうだ。


「そなたら、天狗の力を好き勝手使い過ぎじゃ。あくまであれは呪いでしかなく、このまま使い続けると一族もろとも滅びるぞ」


 この言葉と共に、呪いに身を滅ぼされないようにと祝福を授けられた。

 両親から聞いた話をあれこれ思い出していた砺波兄妹は、はぁ、と揃って溜息を吐いた。


「でも、結果として天狗の力と桜華の祝福ももらえたのって、うちはすごいよね」

「アイツの好みと力の波長の合う合わないで、祝福を授けるかどうか、っていうあたりが精霊ゆえに、だとは思うが…まぁ、すごいんだろうな」

「んで、今代は私に何故か祝福がある、っていう」

「…いや、お前は…」


 ぐ、と樟葉は言葉に詰まってしまった。


 桜華の授けた祝福の他に、もう一つ、砺波家に伝わっている異能。

 条件など一切不明だが、これが発現したときには砺波家の繁栄が約束されているという『翡翠眼』である。

 翡翠は、「仁、義、礼、智、信」という5つの徳を備えた石として知られているが、『翡翠眼』とは翡翠の力を目に宿すことで、宿した者の周りに対して繁栄をもたらすもの。文献によれば、『翡翠眼が視力に何か影響を与えることはなく、問題ない』と記載とされている一方、『力を得た代償については発現した者により異なるため、一切法則性なし』とある。

 中には物静かな性格だった人が活発になったり、その逆もあったり、というものがあるのだが、如何せん発現した人が片手で足りるくらいしか確認されていない、


「(翡翠眼の発現が…お前は叶ってしまったんだよ)」


 有栖が生まれ、目が開いたときの両親の衝撃は相当だった。

 ぱっちりと目が開いた我が子の目が、それは見事な翡翠色。確かに有栖を身ごもったあたりから、砺波の携わる事業がことごとく成功していたのだが、これは翡翠眼を持った子によるものか!と親戚一同は歓喜した。


 だが、代償は相当なものだった。


 翡翠眼に関して、分かっていることはもう一つ。

 それは、莫大な力を得るということ。大きな力、と聞けばこういった異能もちの家には大歓迎だったのだが、あくまで力は少しずつ大きくなっていくもの。大人が持てる重さの荷物を子供が持てるわけがない。


 しかしこの翡翠眼を宿すと、容赦なく強大な力が授けられることとなってしまう。


 有栖の両親は、目を開くことで翡翠眼を完全に発現させてしまった自分の娘を案じ、慌てて翡翠眼そのものを封印した。

 完全な封印ではなく、体が作られ、少しずつ大きくなっていくことで体に宿せるが大きくなっていっても問題無いように調整しながら封印が解けるという細工がされたもの。

 皮肉なもので、これによって有栖は様々な能力に制限がかかるようになってしまい、結果として『砺波家に生まれたにも関わらず何もできない半端者』というレッテルを張られてしまうこととなった。


 翡翠眼を宿したことで、桜華が有栖の力の質も、有栖本人の性格も気に入ったことで力を貸してくれることになったのだが、この力も制限がかけられてしまうことになった。

 そもそも砺波家の第一子に天狗の能力そのものはきっちり受け継がれており、樟葉は次期当主としての才能に満ち溢れているから、何も問題がないはずだ、と両親は反論したものの、樟葉の才能が大きすぎたことで『もしかして妹にも何か異能があるのでは!?』と何故か曲解した親族が暴走したことで、今の最悪な状況が生まれてしまっている。


「おにいに桜華の祝福があれば良かったんだけどね」

「合わないモンを受け取る必要はない」


 はぁ、とため息を吐く有栖だが、力の質が合わなければ祝福鵜を授けない。それが桜華という精霊だ。

 更に有栖が生まれた時に桜華が姿を現し、『わらわの祝福は、この子に』と告げた。しかし翡翠眼の封印に伴い、周囲の人間に対して桜華の姿が見えなくなってしまったことと、目に見えた祝福ではなくなったことによって、不満が有栖へと集中してしまった。

 有栖が何か悪いことをしたわけでもないのに、有栖を見つけると親族の心無い人たちから、嫌がらせを受けることとなってしまったのだ。


「何か、私にも目に見えて分かる力があれば良かったのに」


 そう、悲しそうに呟く有栖の言葉に、樟葉はぐっと拳を握りしめることしかできなくなってしまった。

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