第4章/玄き老将 第2話/地図の地下水路
一
古代の楔形文字が刻まれた羊皮紙は茶色く変色していたが、そこに書かれた地図がウルクル周辺を表していることは一目で解った。
「これは……なんと書いてあるのだ?」
「古代の楔形文字は、私も解読できません。しかし、城の北側にあたる場所をご覧ください。その点線で示された筋、おわかりでしょうか?」
「これは……カレーズの位置と一致しているの?!」
ファラシャトの言葉に、軍師は我が意を得たりと、頷いた。
「そうです。鳩の塔の位置もほぼ一致しております。間違いなく、それはナザフ朝のカレーズの遺構を示すものでございましょう。もう一つ、城の南側に当たる場所をご覧ください」
軍師が示す地点に眼を走らせたファラシャトの顔に、驚きの色が浮かんだ。
そこには、北側のカレーズと同じ点線が、書き込まれている。
「おそらく北側のカレーズは本来、南側のカレーズに通じており、もっと別の地点に向けて水を運ぶための物だったのでしょう。それがウルクルの城邑がこの地に造られたおり、分断されてしまった」
ヴィリヤーの説明に、ファラシャトは一瞬、眼を輝かせた。だが、すぐにその輝きは失われ、落胆の色が広がった。
「だが、この南側のカレーズが何の役に立つ? このカレーズが見つかったとて、城に水が引ける訳ではない…………」
ファラシャトの言葉も当然だった。
二本のカレーズの高低差を考えると、南側の遺構を利用して水を引くことは不可能なのだ。
「ファラシャト殿、その点線の先はどこに続いておるか、良くご覧なさいませ」
落胆するファラシャトに、ヴィリヤー軍師は羊皮紙の端を指した。
「これは……!」
ヴィリヤーはゆっくりと時間をかけて頷いた。
茶色く変色した羊皮紙には、ユフラテ大河の位置が書き込まれていた。
二
「現在とは流れがかなり変わっていますが、遺跡の位置から判断してこの青い帯が、ユフラテ大河を指し示していることは疑いありません」
黙って地図を見つめていたアサドが、低く言った。
「だいぶ、現在の位置より城寄りだな。しかし高低差を考えると、ぎりぎり河の水が城の近くまで引ける可能性はある」
自分の言おうとした言葉を全てアサドに奪われた軍師は、玩具を取り上げられた子供のような顔をして、不承不承頷いた。
「城の真下まで水を引くことはできませんが、城より10ガル程度には水が逆流してまいりましょう。交代で水を汲み出せば、兵や民の飲料水は何とか賄えるでしょう」
アサドの方は見ずに、ファラシャトだけにヴィリヤー軍師は語りかけた。
しかしヴィリヤー軍師の誇らしげな声は、ファラシャトには届いてはいなかった。すでに彼女の頭の中では作戦の実行に関する計算が始まっていたのだ。
そんなファラシャトの思考を停止させたのは、やはりアサドであった。
「ユフラテ大河の水を持ってきて、その後はどうする? 乾期の濁った水をそのまま飲むのか?」
古地図から面を上げたファラシャトの眼には、狼狽の色が浮かんでいる。
あわてて傍らのヴィリヤー軍師に視線を送ったが、彼の眼にも同じ狼狽があった。
水の供給の打開策が浮かんだのに浮かれ、その水の処理までは頭が回らなかったのだ。
「それは、その…充分な時間を置いて、瓶の中で塵芥が沈殿するのを待ってだな…その…何とかなるだろう…」
論理的なはずのヴィリヤー軍師が、奥歯に物が挟まったような、歯切れの悪い物言いしかできない。
「いくら時間をかけても、苦い水が甘い水になるわけでは無い。兵に病気になるのを承知で、生水を飲めと言うのか?」
「い、いや、十分に煮沸すればおそらく危険はない……」
「城邑の人間全員分の飲料水を煮立てていたら、十日で城の薪や駱駝の糞はなくなってしまうぞ。アル・シャルク軍が包囲している以上、外部から燃料を補給しに外へ出ることできないのだからな」
三
アサドの言葉に、ヴィリヤーとファラシャトは沈黙せざるを得なかった。
当然である。
砂漠の中の人工都市としては豊富すぎる良質の水に恵まれてきたウルクルであった。
ヴィリヤー軍師やファラシャトにとって、水がないと言う事態は生まれて始めて経験する大事件なのだ。
「これは、俺の部隊が常備している濾過器だ」
そう言いながら、アサドが机の上に置いたのは、円筒形の物体だった。
長さは大人の前腕よりも少し永い程度であろうか。
両端と中程の3ヶ所に、銀のタガがはめられている。
「これを使えば、ほとんどの水が無害になる。もちろん、煮沸するほど安全ではないが、ユフラテ大河程度の水質なら充分だろう。これと同じ構造で、もっと大型の濾過器を造れば、何とかなろう」
「いったいどうやって汚れた水を甘い水に変えるのだ?」
濾過器を前にして、ヴィリヤーが思わずうわずった声を上げた。
知識欲が旺盛な彼にとって、始めてみる仕掛けや道具類は何よりも好ましいものなのだ。
「きめの細かい砂とナツメヤシを焼いた炭を交互に敷き詰め、所々に銀製の網を挟んである。これでほとんどの水は飲めるようになる」
銀には雑菌の中の硫黄成分と結びついて、雑菌の細胞分裂を阻害する作用がある。
もちろん、アサド達にそのような知識はないだろうが、経験として銀が毒をなくす作用は広く知られている。
アサドは意識してはいないだろうが、ヴィリヤーにしてみれば、完全に彼我の博識さ、実戦に即した経験の差を見せつけられてしまった形だ。しかもファラシャトの目の前で。
「さて、俺はどうすればいいのかな、軍師殿?」
「……城に残って濾過器の作成を指揮していただこう。ファラシャト殿と我々で、南側のカレーズの状況は調査する!」
吐き捨てるように呟くと、ヴィリヤー軍師はアサドに背を向けた。
四
その夜。
本来ならば銀の光を放つ満月が重く垂れ込めた雲に隠され、闇が砂漠を覆う頃。
その闇に紛れてファラシャトとヴィリヤー軍師に率いられた近衛師隊士達が、徒歩でウルクルの城邑を出た。
アル・シャルク軍の斥候に見つからないように、兵達は頭の被り布から足音を殺す皮のサンダルまで、闇にまぎれる黒い装束に身を包んでいる。
ファラシャトも黒のベールですっぽりと顔を覆っていた。
徒歩での移動は迅速とは言えないが、隠密理の行動には適している。
「敵の哨戒兵は?」
「北側のカレーズの方のみで、南側には見あたりません」
敵の布陣は斥候の報告どおりであった。
「よし、予定取り二手に分かれて行動するぞ」
ファラシャトが右手を挙げると、彼らはファラシャトと副隊長を長とする二隊に分かれて、ゆっくり足を進めた。
雲はますます厚く濃く漆黒の闇を創り出し、ファラシャト達の姿を包み込む。
本来ならば、この暗い闇は彼達にとっても不利になるのだが、遠征してきたばかりのアル・シャルク軍と、生粋のウルクル育ちの近衛隊の面々とでは土地勘が違う。
全体に起伏に乏しいウルクル城邑周辺であっても、そこは地元の人間しか知らない微妙な地形が存在していた。
十人の分隊での素早い行動は、アル・シャルク軍の警戒網を易々と脱すると、目的地まで一気に歩を進めた。
だいたいの位置の目星はついていた。
場所を特定する方法も判っている。土を調べるのである。
カレーズがナザフ朝のかつての遺構なら、大規模な石材を利用した土木工事によって成されたはずである。
当然、その工事で大量の土砂が掘り返され付近に投棄されたであろう。
素人目には同じような土砂であっても、数万年前から自然の浸食によって削られたきめの細かい土と、数千年前に掘り返された土とでは、微妙に違うのだ。
この違いを調べるために、ファラシャト達は墓泥棒を二人、牢から引き出して連れていた。
代々、墓泥棒を生業としてきた者には、この微妙な土砂の違いが分かるのだと言う。
恩赦を条件に、牢から出した。
本来ならば、極刑のはずが生きる可能性を与えられたのだ。
彼らが本来の職能を十二分に発揮すれば、案外簡単に遺構を発見できる可能性が高いのだ。
■第4章/玄き老将 第2話/地図の地下水路/終■
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