第3章/白き神官 第1話/論功行賞の喧騒
一
「では本日の戦の、論功行賞を行う!」
でっぷりと太った宰相の声が、大広間に響く。
ここはウルクルの王宮。
太守の謁見の間としても、使用される。
普通ならこのような場では功があった者半ば、功のなかった者半ば。
眼を輝かせて歩を進める準備をしている者。
寂しげにうつむいたり、ふてくされて横を向く者。
……悲喜こもごもである。
だが、今日はそうではない。
内容的にはウルクル軍の完敗であり、惨敗であった。
功のあった者などはいない。
たった一人を除いては。
「傭兵隊長アサド!」
「はっ…」
兵達の間に軽い動揺が走る。
称賛、羨望、嫉妬、諦念……それぞれの感情が入り交じったざわめき。
いやむしろ、畏敬の念がほとんであったか。
確かに、今日の一番の軍功はこの男にある。
なにしろ、総崩れのウルクル軍にあって、敵の司令官の首を落としたのだ。
奇跡のような武功である。
しかも彼の率いた、傭兵と農民兵の部隊に死者は無く、わずか3名の負傷者があるのみ。
もし彼の局所的な武功がなければ、ウルクル軍内部は緒戦の大敗に激しく動揺し、兵士や城塞都市の民にも、脱走者が続出した危険性すらあったのだ。
まさに、戦功の第一はアサドにある。
疑いのない事実である。
二
ファラシャトは唇を噛みしめた。
敵兵の追撃を突破した彼は、周囲を包囲され進退窮まっていた彼女の率いる近衛隊を、救うという離れ業さえ見せていたのだ。
プライドの高いファラシャトにとって、これ以上の屈辱があろうか?
だが、彼の姿を見たとき、安堵とも歓喜とも呼べる感情がわいたのも、事実である。
近衛隊からは実際に、歓声が上がったほどである。
それがさらに、ファラシャトの
太守の前に進み出るアサドの顔が、まともに見られない。だが……
ピシィッ!
鞭がアサドの頬に飛んだ。
「なッ…!」
将兵達の間にどよめきが起こった。
太守の脇に侍した宰相の手に、
その鞭の意味を把握できずに、居並ぶ各隊の指揮官達は、
「てめぇ、うちの大将に何すんだよ!」
ミアトの抗議を、ヴィリヤー軍師が一喝する。
「黙れ小僧! 本日のアサドの行動には、重大な軍規違反があったのだ!」
「軍規違反? 何が軍紀違反だ、言ってみやがれってんだ」
「一つ、作戦を無視して勝手に
人差し指を立てながら、ヴィリヤー軍師はミアトを睨みつけながら、ゆっくり語り出した。
「一つ、功を焦り敵軍深く侵攻し、自軍の兵を死地に晒したこと」
「はぁ? あんた何を…」
「一つ、偶然にも敵司令官の首級を挙げながら、それ以上の戦果を放棄してみすみす敵軍せん滅の機会を逸したこと」
三本の指をグイと突き出したヴィリヤー軍師は、ミアトの声を遮るように、一方的な宣告をした。
「───以上、明確な軍規違反であり、自軍の士気に与えた悪影響は、甚大である!」
広間は静まり返った。
アサドに一撃を加えた宰相が、ヴィリヤー軍師の言葉に続ける。
「本来ならば傭兵部隊長の任を解し、ウルクル軍から追放するべきだが、多少の戦功もあった故、これぐらいで
と、吐き捨てるように言った。
三
「おうおう、おう! ちょっと待てよ!」
ミアトのかん高い声が広間に響いた。
完全に頭に血が上っている、伝法な口調である。
とても宰相に向かって放つ言葉ではない。
「何だ?」
兵の間をかき分けて出てきたミアトの小さな姿を、宰相がジロリとねめつける。
だが、ミアトには通用しない。
「黙って訊いてりゃあ、なんだ! 多少の戦功だあ? 敵の本陣に突入して敵の副将軍の首を持って帰るのが、大したことじゃねえって言うのかよ? この豚野郎! 上等だ、それじゃあてめぇの部下を、半分以上殺しちまったこのウルクル軍の連中は、みんな石打ちの刑か? それとも打ち首か? 論功行賞が聞いて呆れらぁ~」
ミアトが両手を広げて、一気にまくしたてた。
砂漠に出現する
見た目が幼子ゆえ、なにやら滑稽ではあるが、語る内容は大人のそれと変わらない。
理路整然としていて、まるで大人が腹話術でミアトに語らせているようでさえある。
彼の回りを赤獅団の傭兵達が、険しい顔で囲む。
皆、宰相の次の言動によっては、剣を抜くことも辞さない眼をしている。
「な、な、な、何という無礼なっ! 将が将なら部下も部下だ。礼儀も何もわきまえておらぬ。これだから田舎者は……」
「いきなり鞭でひっぱたくのは、ウルクルじゃあ正しい礼儀作法なのかよ!?」
空気を読まないミアトの鋭い声が、さらに続く。
「だいたい、軍規違反って言うけどなぁ、おいら達の部隊はそこの軍師さんが立てた作戦から外れたことは、何ひとつしちゃあいないぜ? 作戦どおりアル・シャルク兵と対峙して、一歩も引かなかったんだ。命令を完璧にこなした。それは本陣からもパッチリと見えただろうがよ!」
「だが、アサドの戦場離脱は明白……」
「大将がいつ戦場から逃げ出した? 敵と互角に戦って、隙を見て敵の本陣に突撃したんだ! 敵将の首を狩って、後方に戦果を届けたら、また前線に戻って、近衛隊を助けた。褒められこそすれ、てめぇらに非難される覚えはねえやい。それに大将がいなくたって、おいら達は敵軍を押しまくってたんだぜい!」
「……ぬぬぬ、小僧!」
「小僧じゃないやい、ミアトだっ!」
「お、おのれの名など訊いてはおらぬ!」
宰相の顔が紅潮し、垂れ下がった頬の肉が小刻みに揺れる。
脳天を突き破って血が吹き出しそうな勢いである。
「ええい、斬れ! この生意気な小僧を斬れ!」
「おお、やんのか? このぉ!」
ミアトが身構えた。
その小さな身体いっぱいに怒気があふれ、ふいに周囲を、きな臭い空気が包む。
左右の衛兵がミアトの方へ向かおうとした時───
ミアトと衛兵の間に、スッと入ってくる影があった。
四
「ア、アサド……殿。何の真似かな?」
先頭に立った衛兵の顔に緊張が走る。
彼は先日の惨劇を目の前で見た一人なのだ。
身に寸鉄を帯びていなくても、この男の体術の恐ろしさは、骨の髄までしみこんでいる。
たとえ自分が剣を持っていようとも、この男には勝てない。絶対に…。
膝を砕かれるか?
頬骨を陥没させられるか?
腹を蹴られて
だが、衛兵として弱みは見せられない。
背骨の真ん中から自然と沸き上がる震えを必死に押さえながら、威圧的にアサドと対峙するしか彼には選択肢はなかった。
ところが、である。
「部下の無礼は長の不徳、ミアトの非礼は私がお詫びいたします。どうか穏便に……」
静かな口調で、アサドが言った。
衛兵達はそれ以上、ミアトの方へ歩を進められなくなった。
言葉は丁寧だが、アサドの全身からすさまじい殺気が漂っている。
衛兵達はウルクル軍の中でも、かなりの武技を身につけた者達である。
だからこそ、その殺気の大きさから十分に彼が本気であることを感じ取った。
「何をしている、その小僧を!」
アサドの殺気を感じることすらできない、商人上がりの宰相は、口の端から泡を飛ばしながら怒鳴り続ける。
多少なりとも武術の心得がある者は、宰相の言葉がアサドに最悪の行動を起こさせはしないかと、戦慄した。
「ええい、傭兵隊長ごときを畏れおって、ならば儂が…」
「ふぉふぉふぉ、宰相殿、ちと大人げないのう」
剣をたぐり寄せた宰相の背後から、ゆったりした老人の声が、緊張で張りつめた大広間に響いた。
■第3章/白き神官 第1話/論功行賞の喧騒/終■
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