序之章/赤き砂塵 第4話/異形の傭兵部隊

   一


「それ以上近づくな! おまえ達が何者か、まだ確認できていないのだからな」

 ファラシャトは声を荒げた。

 アル・シャルクの間者が消えた岩影から、のそりと出てきたこの一団が、敵兵である可能性も否定できないのだ。

「へへっ、心配しなさんなって! おいらたち、怪しいもんじゃないよ。東の辺境から来たんだ。つってもアル・シャルクからじゃないよ?」

 赤い一団の左側から、ふたたびさきほどの甲高い声が響いた。


 馬の背に乗って進みでたその声の主は、まだ八歳ほどの少年であった。

「ほらァ、大将がズンズン近づくから、ウルクルの皆さんびびっちゃってるじゃないか。はい止まった、止まった!」

 小さな身体に似合わず威勢がいい。

 少年の声に、巨大な赤い生き物の歩みが止まる。

 ファラシャトは、その生き物から少年に、目を向けた。

 大きな瞳と艶のある黒い巻き毛が印象的な、すばらしく愛らしい顔をしている。

 その子供っぽい容姿と、生意気な言動とのズレが大きい。


 ファラシャト達も、ゆっくりと後退した。

 赤い一団との距離を20キュビットほど取ったところで剣を下げる。

「おまえ、変わった生き物に乗っているな。それは何だ? 牛にしては首が長いし、角もない……辺境の生き物か?」

 ファラシャトが怪訝そうに少年に尋ねた。

 赤い一団の正体を知るためにも、とても人間が乗るには適していない、その巨大で奇妙な生き物の正体を、確認する必要があった。


 位の高い強大な妖魔は、時として自分の使い魔として、他の下級妖魔に乗る事があると聞く。

 知能は低いが力が強く動きが俊敏な妖魔を、人間が牛や驢馬を使うように使役に用いるのだ。

 ファラシャトは未だ、この中央の赤い男が人間だとは、確信していない。

 妖魔はその妖力が強くなればなるほど、自由にその姿を変えられようになり、高位の妖魔は好んで人間──それも美しい人間の姿をとることが、多いと聞く。

 もし、この男が乗っている生き物が妖魔であるなら、この男自身が妖魔である可能性も否定できないのだ。



   二


 声に微かな恐怖を含ませたファラシャトの問いかけに、男の横にいる少年は一瞬キョトンとした顔をすると、はじけるように笑い出した。

「ムプ…プププ…あはははは~」

 ファラシャトの問いがおかしくてたまらないようだ。

 馬の上で上体を折ってキャッキャッと笑っている。

 ムッするファラシャトを横目で見ると、少年は苦しそうに笑いを押さえながら、答えた。

「へ、変なこと…訊くねぇ。こいつは〝馬〟っていう生き物だよ」

「馬? それが……!?」

 自分が騎乗する戦車の驢馬と、交互に目をやりながらファラシャトは、言葉を失った。


 彼女が絶句するのも、無理はなかった。

 あまりにも大きい…。

 男が乗ったそれは、中原で見られる馬とは明らかに別種の生き物に見えるほど、巨大であった。

 そのうえ全身を、長い体毛が包んでいる。

 普通、たてがみや尻尾以外は皮膚の血管が見えるほどに馬の毛は短いく滑らかだが、少年が馬だと言ったそれは、全身を深い毛が覆い、たてがみに至っては首全体に被さるほどに長い。

 乾燥したこの地方では、このような長毛の生物自体が、極めて珍しいのだ。


 中原ちゅうげんにも、馬がいないわけではない。

 だが中原で見られる馬は、大きなものでも驢馬ロバよりもやや大きい程度で、それも農業の使役用の種である。

 牡馬ぼばは気性が荒く、乗りこなすのが難しく、しかも絶対数が少ない。

 わずかにひんのみが、比較的御しやすいために、戦車に使用される。

 野生の馬は、群れの先頭を牝馬が走り、リーダーたる牡馬は最後方で全体の動きを司る。

 牝馬が戦車に用いられるのは、このような特性からであった。


 また長期の遠征の場合、驢馬と比べると持久力が劣り、とても軍用としては使えない。

 ウルクルなどの、小国家群が乱立するこの地方では、むしろ騾馬ラバの軍事使用が一般的であった。

 雄驢馬と雌馬との間にできた仔が、騾馬である。

 雄馬と雌驢馬との間にできた仔は、駃騠ケッテイと呼ぶ。

 雑種であるが故に、その両親の馬や驢馬のいずれよりも体躯が大きく、より強い耐久力を持ち、より粗食に耐える。


 ファラシャトが戦車に使役しているのは、この騾馬であった。

 その姿は馬の胴体を持った驢馬、と呼ぶべきか。

 大きな頭部、長い耳、小さな蹄。

 尻尾はロバのように先の方だけ毛が豊かである。

 一般に騾馬は駃騠よりも丈夫であり、両親の遺伝的能力の良い部分が顕われやすい。

 ファラシャトの騾馬は、ウルクルの品種たちの中でも、並外れて体格の良い牝馬であった。



   三


 だが、男が騎乗するそれは、彼女の騾馬の体高のほぼ倍。

 その巨大な体躯に相応しく、長毛に覆われた蹄までが巨大である。

 蹄の大きい駃騠と比較しても、ほぼ倍の太さだ。体重は10キンタール近いであろう。

 全身を包む長い体毛は、燃え盛る炎のように赤い。

 ファラシャトの芦毛の騾馬が、まるで子供のおもちゃの木馬に見えてしまう。


「こいつのでかさにびっくりした? 確かにこいつぁ並外れてっからなァ」

 馬上の少年が自慢気に、鼻をピクピクさせている。

「おまえ達は商人なのか? とするとその馬は、祭祀用か…。辺境では羊は貴重品だと聞いた事がある」

 ファラシャトは合点がいったように呟いた。

 中原では祭祀の生け贄用に羊を使う。

 驢馬や牛は、潅漑農耕には必要不可欠ゆえ、神殿に捧げられるにえは主に羊であった。

 だが彼らの故郷の辺境の地は貧しく、貴重な家畜である羊は簡単に殺せないため、この見慣れぬ生き物を羊の代用品としているのであろう──ファラシャトはそう解釈したのだ。


 交易先で荷と一緒に馬も売り、故郷へはそこで買った驢馬に乗って帰る。

 その驢馬は故郷でまた売る。

 それはよく見られる、商人の合理的な売買方法であった。

 そういえば彼らは皆、武器らしい武器は持っていない。

 少年に大将と呼ばれた、中央の男が長剣を背にしてはいるが、あまりに長すぎて武器としてまともに振り回すことなどできまい。

 おそらくは祭祀用の儀礼刀。

 古来、野戦において敵の陣地を奪った際、長さ10キュビットを超える朱色の大槍が、立てられたという。

 だがそれは自軍の兵士に、勝敗のすうを示すための「象徴」であって「武器」ではない。

 象徴であれば、実際の武器としての機能は必要無い。

 見た目の立派さと風格があれば良いのだ。


 この男が背にした長剣もそのような物であろうとファラシャトは判断した。

 #なり__・__#は大きいが、ほとんど切れないナマクラに違いない。

 初対面の不気味さが消え、今では冷静にこの赤い男を観察する余裕が、ファラシャト達には生まれていた。

 身体に武器らしい武器を持たず、背中の長剣も抜いたような様子もない。

 何か、一種独特の雰囲気は、持ってはいるようだが……



   四


 そんな近衛隊の兵士達の思案も知らぬげに、巻き毛の少年は一方的にしゃべり始めた。

「ウルクルの兵隊さん達、おいらミアト。んで、こっちがオレらの大将で…」

 少年の紹介が終わらぬ内に、男は顔を大きく覆っていた布をずらした。それまで目しか覗いていなかった彼の顔が、赤い西陽の中に現れる

「うおお!?」

「これは…」

 ウルクルの兵達の口から、思わず驚きの声が漏れた。


 彫りが深く均整の取れた目鼻立ち。

 広い額は高い知性を感じさせる。

 意志の強さを表す濃い眉、かっきりと刻まれた唇。

 それらは未だ少年の面影を、残している。

 だが、その眼は「少年」の印象を大きく裏切っていた。

 世の中の何もかもを見てきたような、感情をあらわさぬ暗い瞳。

 無機的な光を放つ、黒い宝石を嵌め込んだような、それは…隻眼…であった。


 右眼には黒い硝子細工の眼帯が鈍い光を放ち、まだ髭も生えていないような滑らかな陽に焼けた肌と、アンバランスに同居している。

 おそらく二十歳そこそこであろう。

 ミアトと名乗った子供以外、他の従者は皆二十代半ばから三十代である。

 この男、一団を率いるには、あまりに若すぎる。

 十年以上も実戦をくぐり抜けてきた、精鋭たる近衛隊の兵達ですら、見誤っていたのだ。

 この謎の男のまとう異様な雰囲気……それは彼らに倍する修羅場を、くぐり抜けてきた者だけが持つ、殺気に他ならなかった。

 だがこの若さは……


■序之章/赤き砂塵 第4話/異形の傭兵部隊/終■

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