第1話 ぬいぐるみの鬼 一

 夕闇の中、森を抜けようとする武装した集団が歩いている。百人程の集団の中心にいる騎士が周りに注意を促した。

「そろそろだ。夜明け前には終わらせるぞ」

「分かりました」


 ロキはテントの中で目を覚ました。体調を崩して昨日から眠っていたが、すっかり良くなり今はいい気分だ。ロキが伸びをしてテントの外に出ると、森の向こうに見える夕日が眩しい。ロキの金色の髪が夕陽に照らされて複雑な朱に染まった。目を細めて周りを見渡すと、森に囲まれた広い草原にテントが立ち並んでいる。夕食の準備であちこちから煙が上がっていた。遊牧民であるロキの両親も他の者と同じように外に出て夕食の準備に取り掛かっていた。

「おうロキ起きたか」

「もう具合は大丈夫なの?」

「ああ。すっかり良くなった」

「ラナが心配してたぞ。ここはいいから顔見せて来い」

「分かった」

 ロキがテントの間を歩いて行き、他の住人と挨拶しながら東の開けた場所まで出ると近くからゆっくりとした歌声が聴こえて来た。ラナの声だ。近くの草原で十六歳の赤毛のラナが民族の歌を歌っていた。

「ラナ」

 ラナがロキに気付いて歌うのを止めた。

「あ。ようやく起きたなねぼすけ」

「悪い。久しぶりに疲れたのかな」

「なんとかは風邪引かないって聞いたコトない?」

「無いな」

 ラナはニッコリと笑ってロキに桶を突き出した。

「水汲みに行って来いって言われてるの。行こう、桶持って」

「ああ」

 ロキは桶を持ち、幼なじみのラナと並んで東の湖に向かって歩き出した。遊牧民として暮らしている二人はいつも一緒だった。

「なんで水汲みに行って歌なんかのんびり歌ってるんだよ」

「だって広くて気持ちがいいじゃん」

「そういう事じゃないんだけどな」

 森を入って行き、背の高い樹木が生い茂っている間の細い道を進んだ。この時期はいつもあの場所でキャンプを張り、森の湖の澄んだ水を使って生活する。湖への道は小さい頃から何度も通っていて迷う事は無い。時折木の枝を踏みながら歩く。ロキが振り返るとラナがどんぐりを拾いながら歩いていた。

「木の実で何か作るのか?」

「うん。首飾りでも作ろうかなって」

「早く行こうぜ。夜になっちまうよ」

 やがて少し開けた場所に出て二人は湖に着いた。森の中にある湖は静かで、周りの樹木も背が高くそのせいでいつでも薄暗いのだが、ロキは神秘的なこの湖が好きだった。澄んだ水の前に屈んで水を汲むロキを見ながらラナが聞いた。

「私の歌好き?」

「ああ」

「素直でよろしい」

 実際にラナの歌はキャンプの中で一番だとロキは思う。

「歌ってくれよ」

「ふふん。いいわよ」

 いつの間にか空に三日月が出ていた。ロキが桶を置いて地面に座ると草のひんやりとした感触が手に伝わった。湖に月光が反射する中、ラナが湖の前に立ち歌い始めた。ロキは歌っているラナを見つめ、ラナもロキに歌いながら笑みを返した。


ラナが頭をロキの肩に預けて二人で湖を眺めていた。

「そろそろ戻ろうか」

「うん」

 二人が立ち上がり、湖を去ろうとした時だった。ラナが何かに気付いた。

「あれ?」

「どうした?」

「あそこに誰か立ってる」

 二人が木に隠れながらラナの指差した方を見ると、湖の向こうに黒いローブを着た女性が立っていた。黒いつばの広い帽子をかぶり、おとぎ話に出てくる魔女のような出で立ちだ。魔女は違う方向を見ていてこちらには気付いていないように見える。

「本当だ。向こうの街から来たんじゃないか? 珍しいけどまあ別に気にする必要無いさ。行こうぜ」

「う、うん」

 気付かれないように二人が静かに立ち去ると、魔女は穏やかな水面を見ていたがやがて顔を二人の方に向けて静かに呟いた。

「……ついに始まるのね」


 帰り道を二人が歩いている最中だった。キャンプのほうを見ると空が赤く染まっている。

「何だ?」

 遠くから何やら騒いでいるような音が聞こえてくる。

「どうしたんだろ……火事?」

「かもしれない。行こう!」

 二人は走り出した。しかしキャンプに近付くにつれて金属がぶつかる音や悲鳴が聞こえて来た。二人は悲鳴を聞いて立ち止まり、反射的にその場にしゃがむと顔を見合わせた。

「聞こえたか?」

「うん」

「大きい声を出すなよ」

「分かった」

 ごくりと唾を飲んでから二人は静かに歩き出した。どんどん音が大きくなる。森が開ける。木の陰からキャンプを見ると、真っ赤な炎と黒い煙がキャンプのあちこちから上がっていた。一番近くの火がついたテントから仰向けに倒れている人が見えた。服が血で真っ赤に染まっている。ラナは悲鳴を上げそうになり両手で口を塞いだ。炎の向こうで武装した男達が住人を襲っている大きな影がテントにチラチラと揺れている。シルエットの殺戮劇が今まさに繰り広げられていた。

「そんな……何これ……」

 ロキは襲われているキャンプを呆然と見ていた。体が動かない。向こうから逃げ出してくる住人が目に入った。ラナの父親だった。

「お父さん!」

 思わず飛び出したラナの手をロキが素早く掴んだ。

「駄目だラナ!」

「離して!」

 二人の声に気付き、ラナに気付くと父親は叫んだ。

「ラナ? 戻って来るな! 逃げろ! 早く!!」

「お母さんは!?」

 父親の表情が歪んだ。

「ここにいたら駄目だ、向こうの街まで逃げろ!」

 その時父親を追って来た男が向こうから現れた。男は持っていた剣で振り返った父親を突き刺した。

「嫌あ! お父さん!!」

 ラナの悲鳴に気付いた男が二人を見た。

「くそっ! 逃げるぞラナ!」

 ロキがラナの腕を引っ張って湖の方へ走り出した。男は父親を乱暴に足で蹴とばして剣を引き抜くと叫んだ。

「生き残りが森に逃げたぞ! 殺せ!」


 二人は全速力で森を引き返した。森を抜けた向こうの街まではかなりの距離がある。湖まで戻って来ると二人は疲れて膝を突いて咳き込んだ。ラナは先程のショックでかなり参っていてへたり込んでしまった。

「だ、駄目だ……とても街までは……!」

 ロキが顔を上げると少し離れた所にある大きな木の根元にぽっかりと開いた穴が見えた。小さい時からよく二人で遊んでいた場所だ。穴の中には木の実で作った道具やラナが集めた綺麗な石が散らばっていた。

「一か八かここに隠れるしかないか……?」

 穴はかなり大きい。夜とはいえすぐに見つかってしまうだろう。

「ラナ……もう少し走るぞ。もっと奥まで逃げれば何とかなるかもしれない」

「駄目……もう走れない。走れないよ……」

 ラナはしくしくと泣き出した。ロキは起きてからまだ何も食べていない。既にロキも限界だった。

「分かった。木の穴に隠れよう」

「うん」

 ロキはラナの肩を抱いてフラフラと歩き、木の穴に隠れた。二人で座り込んで身を寄せ合った。暗闇に湖の月光だけがぼんやりと光っている。ロキはラナの土に汚れた手を握って少しでも震えを和らげようとした。

「怖いよ……」

「俺もだ」

 ロキは病み上がりだった事もあり、気を張っていたにも関わらずしばらくするとそのまま眠り込んでしまった。


 いつの間にかロキは小高い丘に立っていた。青空の下、草が揺れ、遠くに城のような建物がぼんやりと見える。

「あれ……? 俺は確か……」

 前後がよく思い出せない。風が通り抜け、目を瞑って顔を背ける。目を開けると近くに魔女が立って城を見ていた。

「あんた確か……そうだ! 湖にいた人だよな?」

「あなたはロキ……でしたね」

「あ、ああ」

「私はあの樹に宿りし精霊です。長い間温かい人間の感情にさらされると樹に魔力が宿るのです。あなたとラナの温かい気持ちが私を作り出しました」

 ロキはラナのやり取りを知られていたのだろうかと気恥ずかしくなった。

「私自身が現世に干渉する事はできません。ただ世界の有り様を眺めるだけです」

 魔女はロキに向き直った。

「自由を愛する者よ。あなたに魔力を授けます。あなた達の助けになるために」

「ど、どういう意味なんだ?」

「あなたは世界で唯一人の魔法使いになるのです。このままではやがてあの男達に見つかり殺されてしまう。授けた力で生き抜き、この荒れた世界で自由を掴み取ってください」

 言われてロキは急に記憶が甦った。

「そ、そうだ! 俺達は追われてたんだ! ラナの所に戻らないと!」

「さあ手を伸ばして」

 ロキが右手を伸ばすと、掌に光の玉がフワフワと降りて来て吸い込まれて行った。

「既に魔法を発動させてあります。あなたはその状態で目を覚ますでしょう。私はあなた達をこれからも見守っています。強く生きてください」

 光の玉が完全に吸い込まれるとロキは手を閉じた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 魔法って一体……!」

 視界が白く染まって行き、ロキの意識は現世に戻って行った。


 ガシャッ、ガシャッという鎧の音でロキは目を覚ました。記憶が戻り、木の穴に隠れていた事を思い出した。外から兜でくぐもった声が聞こえてくる。

「まだ見つからんのか?」

「こっちの方に逃げたのは分かってます」

「何人だ?」

「ガキ二人です」

 男二人はすぐ側にいる。恐怖のせいか体が全く動かない。穴の中がやけに広く見えた。

「む?」

「どうしました?」

「そこの木の根元に穴があるぞ。調べろ」

 ロキは凍り付いた。油断無く近付いてくる足音が聞こえる。殺される。やがて鬚を生やした厳しい顔の男が少し屈んで覗き込んで来た。血が付いた剣を持っている男と目が合った。かなりの大男だ。ロキは恐怖でまばたきすらできなかった。しかし男はロキから目線を外し、穴を見渡すと体を起こして騎士の方に向き直った。

「いや、いませんね」

(え?)

「確かか?」

「ええ、木の実で作ったおもちゃや人形があるだけです。おそらく普段からここで遊んでいたんでしょう」

 騎士もガシャリと音を立てながら屈んで覗き込んで来た。兜の面を上げ、額に傷のある五十代くらいの男がロキをギロリと睨み付けた。騎士はロキを見てしばらくしていたが、やはり穴を見渡すと体を起こし男に向き直った。

「ふん、ここでおままごとでもしてるようなガキ共だ。大した事はできまい。もうすぐ夜が明ける。あと一時間捜索したら引き上げだ」

「分かりました」

「足跡もまだ新しい。近くにいるはずだ。しっかり探せよ!」

「はい」

「まったくこれだからゴロツキ共を雇うのは嫌なんだ。雑な仕事ばかりしやがる」

 男が立ち去ると騎士はブツブツと文句を言いながら離れて行った。

(一体どうなってる? 助かったのか?)

 穴の外では二人を探す男達の松明があちこちで動いている。しかし松明の炎はもう穴の中に近付こうとはしなかった。ロキはだんだん気持ちが落ち着いて来て、体の感覚がようやく戻って来た。さっきまで肩を寄せ合っていたラナがいなかった。

(ラナはどこだ? 外に出ちまったのか?)

「ロ……ロキ。どうなってるのこれ?」

 しかし意外にもすぐ側でラナの囁き声がした。ラナはやはり隣にいた。ロキが首を動かして横のラナを見ると自分の目が信じられなかった。慌てて自分の体を見る。木の実や綺麗な石が転がる穴の中、二人は小さなぬいぐるみになって仲良く地面に座っていた。

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