炎の夜:始まり

 少女の目が細められた。

 その刺さりそうな程の視線から、彼女が俺を見定めようとしているのがわかる。


「……10万メルクだ」

『契約成立だな』


 差し出した一枚の金貨は、鳥に奪われたパンのように少女の手の中に消えた。


「リネットだ」


 おっと、偽名を使わないんだな。

 

『改めてイフリートだ。よろしく頼む』


 差し出した俺の右手は、しかしリネットに無視スルーされてしまった。

 

「わたしはフィナです」

「ミナはミナ!」

「ぼ、ぼくはジョンです!」


 フィナと名乗った少女が、代わりに俺の手を握ってくれた。

 右目は古傷で潰れていたが、悲壮感を全く感じさせない、人当たりの良い笑みを浮かべている。


「先程は申し訳ありませんでした」


 フィナと名乗った少女俺に頭を下げてきた。

 

「こう見えて私達はこの場所のことを誰よりも知っています。安全な道や使える宿、色々なものを買えるお店まで」

『わかった。期待している』

「はい」


 リネットは向こうで倒れている男を介抱していた。

 俺に背中を向けているのは度胸があるからか、それとも割り切りがいいからか。


「彼はザッグといいます。本来は別のチームなのですが、リネットに好意を持っているようでして。勇敢で気が強く、腕っぷしもあるのですが……」

『ある程度は大目に見る。だが俺を害するようなら消す』


 取り扱いの注意と、もしもの場合はザッグを切り捨てても構わないと、この十歳に満たない少女は言っている。

 実に素晴らしい危機管理能力だ。

 

『フィナだったか。君はここに来る前は、貴族の家か大きな商会で働いていたのか?』


 感情の読めないフィナの笑みが、とてもわかりやすい「困りました」という形になった。


 拒否を口に出せば角が立つ。

 その意図を察することができれば、俺は引く。


 それらを読み切った上での、まるで遣手の営業担当と相対しているようだなと感じた、フィナの答えだった。


『最初の出会いは随分だったが、君達に頼んだのは正解だったようだ』

「ありがとうございます」


 声を聞くだけでも、相手の為人を知ることができる。

 穏やかで気品のある、しかし感情の色を感じさせないこの声から、目の前のフィナの姿を想像できる人間がどれほどいるだろうか。


『ヒール・レーザー』


 フィナの頭を撫でる。

 ついでにスキルで右目と他の傷も治しておいた。


「え?」

『チップの代わりだ』


 左の茶色の瞳と、右の赤色の瞳が俺の顔を映す。

 フィナの右手が恐る恐るといった様子で、自分の顔の右側に触れた。


「フィ、フィナちゃんの右目が治ってる!」

「う、うん!」


 ミナとジョンがフィナに駆け寄り、驚きの声を上げた。

 聞こえ始めたフィナの嗚咽は次第に大きくなっていく。

 その響きからは、悲しみとは真逆の感情を感じ取ることができた。


「あなた、神官?」


 少し熱を感じるリネットの問い。

 隣に立つ男は憮然とした顔をしていたが、襲い掛かって来る気配はないようだった。


『俺は神官という身分じゃないし、前にそうだったこともない。ちょっと魔法が使えるだけの、さっきも言った通り冒険者稼業をしているだけの男だ』

「…………そう」


 納得はできなかったようだが、引き下がってはくれた。

 一応この場は、みたいな感じだがな。


「それで、あなたはどこを案内して欲しいの?」

『ああ、それな。実は俺、ある男を探してるんだよ。居場所を転々としてるみたいで、心当たりを片っ端から当たってみようと思ってたんだがな』


 俺は簡単に勝てたが、そこら辺のチンピラ程度ではリネットに勝つことはできない。

 面倒事を避けるための弾避け的な意味も込めて、リネットには道案内だけを頼む積もりだった。


 だが、フィナがいたことで考えを変えた。

 フィナならば、引き際を見誤ることはないだろうと思ったのだ。


『【デルビック・ボン】という男だ。『ボン・ファミリー』というギャングの頭をしているらしいんだが、知らないか?』

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