第1話 三人の侵入部員(その1)
槌ヶ浦中学校の中庭では、校訓の碑にもたれかかったネコのブチロウが春の陽射しを浴びながら毛繕いに没頭していた。
ブチロウはいつの頃から校内に迷い込んできたところを誰かが餌付けしてしまい、学校に居着いた非公認の学校ネコで名前はブチロウだがメスである。
中庭にはツツジやアジサイといった背の低い庭木と花壇があり、それらの間をひらひらと小さな蝶が舞っているがブチロウはまるで気にしない。
そのブチロウを二階にある文芸部の部室から見下ろす大内環士はあくびをひとつ。
部室とはいえ少子化で生じた空き教室を流用しているだけなので、数組の机と椅子があるだけで備品らしい備品もない。
文芸部の活動内容は新聞部の発行する校内新聞の連載コラムと同人誌を年一回発行すること。そして、秋の学祭では推薦図書の紹介コーナーを設営し、それ以外の期間は出版社や新聞社が主催する新人賞への応募原稿を書いていたりする。
そんな具合に、やることはそれなりにあるのだが、部員は二年生の環士と三年生で部長の宮村紗登子のふたりしかいなかった。
その紗登子はいつもなら環士より先に部室に来ているのに今日はまだ来ていない。
環士が吹奏楽部の放つ管楽器の音色とグランドから流れてくる準備体操の号令を聞きながらうとうとしかけた時――。
「ここが部室」
不意に聞こえた紗登子の声に開けっ放しの扉を見る。
紗登子を先頭に三人の一年生が入って来た。
環士と目が合った紗登子が声を弾ませる。
「環士くん、見て見て。新入部員だよ。三人もっ」
「おおっ、三人もっ」
紗登子のテンションに合わせるように、環士も大げさに感嘆の声を上げる。
「そうっ。三人もっ」
繰り返した紗登子は“へへっ”と得意げな笑みを浮かべ、横一列に並んだ三人を紹介する。
「えっとお。鵜飼
ロングヘアの少女はなにが気に入らないのか、あるいはなにかを警戒しているのか、険しい表情で猫のような目を環士に向けている。
その身長は一年生にしては高く、百五十五センチの紗登子を少し超えている。
「百六十くらいか」
環士が思わずつぶやいたのは、身長以外にもうひとつ一年生には不釣り合いな部分があり、そこに目が行きそうになったから。
それはブラウスに押しつけられている窮屈そうな胸元――である。
環士は“重いものほど強い重力を持っていることを思えば、大きな胸に目が引っ張られるのは自然の摂理かもしれん”などと、くだらないことを考える。
そんなバカみたいな思考に耽っていることなど知る由もない紗登子が続ける。
「こちらが藤島
風羽子と同じくらいの身長で、スラックスを選択した制服姿がスレンダーな体型とショートヘアによく似合っている。
その海唯子は環士へ興味深げな目を向けている。かすかに上がっている口角で不敵な印象を与えながら。
「そして、小田
「はーいっ」
先のふたりとは真逆で両手を挙げて無邪気な笑みを向ける。
態度や表情のみならず、その身長も先のふたりから一転して小さくなる。
紗登子との比較から窺える推定身長は百四十センチほど。
確かに小柄ではあるが、さらに先のふたりが大きすぎることと、制服がオーバーサイズであることで余計に小さく見えているというのもあるのだろう。
そんな三様の印象を抱いた環士のかたわらに紗登子が小走りで立ち、両手を広げる。
「で、こっちが二年生の大内環士くん」
改めて紹介されると、どんな顔をしていいのかわからず――
「……ども」
――ぼそりとつぶやき、頭を下げる。
紗登子のテンションに付き合ってはみたものの、もともとはけして明るい人間ではないのだ。
そして、今の心中はといえば――あまり楽しくないというのが本音だった。
いきなりのハーレム展開なのかもしれないが、それを喜ぶほど環士は世界が自分に対して優しくないことを知っている。
普段からあまりヒトを信用していない環士にとって、三人の新入部員はまさしく“侵入部員”であり、紗登子とふたりだけの静かな毎日が破壊されるのではないかという危機感の方が大きい。
だからといって、その心中を露わにするつもりはない。歓迎ムード全開で喜ぶ紗登子の笑顔に水を差すようなことはしたくないから。
そんな環士を三人は険しく、不敵に、にこにこと三様の表情で見ている。
“なにかしゃべった方がいいんだろうなあ”――そんなことを思い、脳をかきまぜて話題を探る。なによりも黙ったままだと空気が微妙になりそうな恐怖もあって。
「えーと」
そして、どうにかひとつだけ見つかった話の糸口を紗登子に向ける。
「遅くないッスか」
その意図を問うように紗登子が小首を傾げる。
紗登子は上級生なのに、下級生の環士へこうやってこどもっぽい表情を向けることがたまにある。
「なにが、かな?」
「いや、新入生って四月中に部活を始めてるっしょ。五月に入ってからって」
風羽子の目線が厳しくなった気がした。
答えたのは海唯子。
「三人ともが今日から
“そういう事情か”と納得するのと同時に“それが上級生様に対する口に利き方か”とも思う環士だが“自身も紗登子や教師に対して敬語ができているわけじゃないしなあ”と気持ちを鎮める。
自分ができないことを他人に求めちゃダメだと思っているのもあるし、自分自身が一年先輩というだけでエライ人間だとも思ってない。
なによりも“こういうタイプ”は言うだけ無駄なケースが殆どであることを環士は知っている。
そもそも、説教とは相手に対する期待の裏返しである。
しかし、環士は誰にも期待はしない。
たとえヒトトナリがさっぱりつかめていない初対面の下級生であってもそれは変わらない。
相手が誰であろうとも、これが環士自身の対人作法なのだから。
環士自身が期待することも信用することも放棄しているのだから。
だから、見るからに不敵な表情を浮かべる
「つまり、去年の環士くんと一緒なんだよ」
続けた紗登子に環士は頷く。
「なるほど」
環士も転校生だったのである。
もっとも、環士の場合は一年生の二学期からだったのだが。
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